第72話:先を行く者
秘密基地に戻り、短い仮眠を取った翌朝。
作業台の上には、リィネが夜通しで整理した地図と何枚もの帳簿が整然と並べられていた。
朝の光が倉庫内に細く差し込む中、リィネが静かに眼鏡の枠を押し上げた。
「昨夜ミリスさんからいただいた部材の特徴と、小口仕入れの最終配送先を照合しました。……やはり、旧大聖堂の周辺区画に集中しています。別々の品として仕入れられていますが、最後に向かう場所はかなり重なっています」
「表向きは別々の工具や金具として買わせて、最後は全部、旧大聖堂の近くへ集めてたってことか」
バルドが大剣の柄に手を置き、低い声で頷いた。
昨日、あの地下深部の作業場でミリスが見つけた壁一面の巨大な図面。王都の地下全体から伸びる無数の導線が、たった一つの地点を目指して交差していた、あの不気味な設計図。
地上で起きていた奇妙な小口仕入れと、地下の古代回路。その二つの流れが、旧大聖堂という一つの場所へ向けて重なり合っていた。
「地上側の大聖堂跡地は、昔の火災で大きく崩落してからは誰も近づいていねぇ」
バルドが作業台の地図の一角を太い指で指し示した。
「だが、崩れた礼拝堂の裏手に、昔の聖堂地下へ抜ける古い隠し階段が残ってるはずだ。表の街道を避けてあそこから潜り込めば、人目を忍んで地下へ出られる」
「よし……準備を整えて、旧大聖堂跡へ向かおう」
俺の言葉に、仲間たちが頷いた。
俺たちは秘密基地を出て、王都の北東区画、人通りの途絶えた旧大聖堂跡地へと向かった。
かつての威容を失い、崩れた石柱や割れたステンドグラスの破片が草むらに埋もれる聖域の跡地。朝の薄光の中に佇むその廃墟は、静まり返っている。
だが、崩落した壁の隙間からは、冷ややかで重苦しい魔力の微かな揺らぎが漂い出していた。
「……ここだな」
バルドの案内に従い、崩れかけた礼拝堂の裏手へと回る。茂みを掻き分けた先には、地下の暗がりへと斜めに伸びる古い石造りの隠し階段があった。
だが、その入口は、天井から崩れ落ちた巨大な石柱と何重もの瓦礫で固く塞がれていた。
「くそっ……完全に埋まってやがるな」
レオンが長剣の鞘で瓦礫の表面を叩き、悔しそうに顔をしかめた。
「退かせるか? 俺とバルドで突っ込んで――」
「待て、レオン。無理に動かすと上が崩れるぞ」
バルドが低く制し、巨躯を屈めて崩落箇所の構造を観察する。レオンは「……おう」と苦笑いしながら一歩引き、自分の先走りを頭の後ろをかきながら引っ込めた。
俺が指示を出す間もなく、仲間たちが各自の足で動き出していた。
「……待て。この崩れ方、自然な崩落だけじゃない」
シィが物音ひとつ立てずに瓦礫の側面へ回り込み、泥のついた石の表面を指でなぞる。
「いくつかの石、人間が意図的に積んだ跡がある。仕掛けを隠すために」
「……うん。この奥、壁の内部に古い術式反応がある」
ミリスが魔導灯を壁にかざし、石の継ぎ目を静かに指で辿った。
「崩れ落ちた瓦礫が、ちょうど隠し扉の起動機構を押し潰してる。そのまま叩くと、残った魔力が暴走して崩壊が広がる……」
「なら、魔力の流れを凍らせて抑え込めばいいのね?」
リゼリアが前に出ると、手をかざして氷の魔術を詠唱し始めた。透き通るような冷気が石柱の表面を覆い、バチバチと跳ねかけていた不気味な赤い火花を力任せに封じ込めていく。
「ミリス、支点はどこだ!?」
「……あの大きな黒い石。あれを外せば、安全に瓦礫を退かせる」
ミリスの指し示した支点の巨石へ、バルドとレオンが同時に手をかけた。
「せーのっ……ぬううんっ!」
地響きのような唸り声と共に二人が全身の筋力を込めると、支点になっていた巨石がゆっくりとずれ、積み重なっていた瓦礫が雪崩のように音を立てて横へ滑り落ちた。
暗く開いた石造りの階段。冷たい地下の風が、解き放たれたように吹き抜けてくる。
誰かが動けば、別の誰かがそれを支えている。
ほんの少しの先走りはあっても、気づけばみんなの動きが自然と重なり合っていた。その光景を見ていると、胸の奥が少しだけ温かくなった。
(……なんだか、いいな)
「……行こう」
バルドを先頭に、俺たちは斜めに続く古い石階段を下り、地下回廊へ足を踏み入れた。
ひんやりとした湿気が肌を刺す。壁には古い灯籠の痕跡が残り、果てしない暗闇が奥へと続いている。
だが、階段を下り切ったところで、先頭を行くシィが不意にすっと手を掲げて立ち止まった。
「……シィ?」
「……罠がある。でも……」
シィが指差し、ミリスが魔導灯の光を壁際へ向けた。
そこには、壁の溝から突き出しかけた毒針の仕掛けと、足元の石畳に仕込まれた細い魔導糸の結線があった。だが、それらは強引に破壊されたのではなく、結線が丁寧に解かれ、構造そのものが無効化されていた。
「……壊したんじゃない。仕組みを正しく解体して、静かに止めてある」
ミリスが感嘆の混じった吐息を漏らした。
「かなりの熟練……仕掛けの構造を知り尽くしている人の手口」
「昨日の仮面の男が、逃げるときに止めたのか……?」
レオンが警戒を深めて周りを見渡すと、シィは静かに首を横に振った。
「違う。足跡を見て」
シィが屈み込み、湿った石畳の泥の上に残された靴痕を指で示した。
「……昨日の男とは違う。足の沈み方も、歩幅も違う」
「じゃあ……あの仮面の奴とは別の人間だってのか?」
バルドの問いに、シィは足痕の向かう先――暗闇の奥を見つめたまま深く頷いた。
「うん。それに……この人、途中で一度も立ち止まってない。迷うことなく、真っ直ぐ奥へ進んでる」
シィの言葉に、その場の空気が一瞬で張り詰めた。
昨日戦った敵だけではない。自分たち以外の何者かが、敵と同じ場所を、自分たちより一歩早く、迷いのない足取りで地下深部へ進んでいる。
(……考えるな。今は、目の前のことに集中するんだ)
胸の奥で渦巻く不気味な冷や汗を飲み込み、俺は固く拳を握りしめた。
「……行こう。俺たちも、奥へ」
先を行く謎の追跡者の気配を闇の奥に感じながら、俺たちはゆっくりと暗闇の回廊へと歩みを進めた。




