第69話:敵の影
東区の元材木倉庫。地下水路からの帰還後、秘密基地の作業台には回収した回路の破片と、過去数ヶ月の取引記録が広げられていた。
あの現場では回路の停止と周囲の安全確認で手一杯だったが、停止した回路の奥に伸びる細い導線と、石壁の亀裂がどうしても気になっていた。
リィネが眼鏡の位置を静かに直し、羊皮紙の一角を指で叩いた。
「……今回の西区や南市場での小分けの仕入れですが、流通の元を辿ると……以前見つかった『蛇の刻印』の荷と、流れ方がよく似ています」
「蛇の刻印……?」
俺が首をかしげると、シィが影の中から静かに頷いた。
「昔、ヴァルカ商会の荷に混ざってたやつだね。表向きは普通の資材だったけど、妙な荷に付いていた」
「えっ、でもヴァルカさんってすごく良い人だったよ? 困ってる人にお金をあげたりしてさ」
俺の問いに、リィネは優しく首を横に振った。
「ええ。ヴァルカ商会長ご本人が関与している形跡はありません。ですが、商会全体の巨大な取引の中に巧みに紛れ込ませ、内部の何者かが正規の物流を悪用しているようです」
「……商会を隠れ蓑にしてる、ってことか」
バルドが大剣の柄を叩き、吐き捨てるように言った。
ミリスが作業台の端で、回収した細い導線をつついて呟く。
「……停止させた回路の奥……亀裂の先に、まだ導線が続いてた。あの先を調べれば……もっと深い場所に行ける」
リィネも広げられた古い地下図面に視線を落とし、小さく頷いた。
「はい。今回止めた東区の回路は、ほんの一角に過ぎません。さらに深い場所へと伸びる線を辿るべきです」
「……よし。態勢を整えて、もう一度確かめに行こう!」
俺たちは倉庫を出て、昼間の東区の路地へと踏み出した。
通りには行商の荷車が行き交い、人々の生活の活気に満ちている。
「……こうして見ると、すごく平和な普通の街だね」
リゼリアが周囲を見回すと、シィが静かに並んで歩きながら答えた。
「だからこそ、紛れ込ませやすいんだろうね。地下の仕掛けなんて、誰も気づかない」
人通りの少ない裏路地へと曲がり、地下水路へ続く古い鉄格子が見えてきた。
だが、先頭を歩いていたバルドが不意に足を止めた。
「……待て」
「どうしたの、バルド?」
バルドが屈み込み、鉄格子の周りの湿った地面を指で示した。
「……足跡だ。まだ新しい。少なくとも、俺たちが前に来た時にはなかったはずだ」
「……誰かが、地下へ降りた?」
シィが周囲を見回すと、バルドは小さく頷いた。
「そうみたいだな」
俺たちは互いに顔を見合わせ、引き締まった心地で湿った階段を下りていった。
◆
地下水路の最奥部。
巨大な魔導回路を停止させた場所には、まだ薄青い光の残滓が石壁にわずかに残っていた。
その脇にある石壁の亀裂から、かすかな冷たい風が流れている。
バルドが亀裂の縁を指で慎重になぞり、構造を確認した。
「……ここ、後から割れたんじゃねぇな」
「どういうこと、バルド?」
「石組みの内側に隙間がある。壁そのものが崩れたっていうより、元から奥に空間があったみてぇだ」
バルドが亀裂の縁に慎重に手をかけ、押し込んだ。
ザリ……。
石と石が擦れ合う鈍い音が響き、崩れかけていた隙間がわずかに広がった。奥からひんやりとした古びた空気が流れ出してくる。
隙間をくぐり、一人ずつ奥へと足を踏み入れる。
奥へ進むにつれて、先ほどまで聞こえていた水音は次第に遠ざかり、足元の湿り気も消えていった。代わりに、乾いた古い石の匂いが強くなっていく。
「……この積み方、今の王都じゃ見ねぇな」
バルドが魔導灯を足元と壁へ向け、継ぎ目を指し示した。
「古い遺跡や廃道を歩いてりゃ嫌でも分かる。今の職人は、こんな大きな石をこんな雑な形では積まねぇよ。少なくとも、今の王都が造られる前からあった構造みてぇだ」
ミリスが壁に近づき、魔導灯の光を掲げた。
「……ここ」
「どうした、ミリス?」
「……石が削れてる。……何かを壁に固定してた痕……配線を通すための溝……?」
「昔からここを使って、何かを取り付けていた連中がいるってことか……」
バルドが低く唸り、先頭のシィが外套のフードを深めにかぶり直した。
「……気をつけて。ここから先は、冷たい気配が残ってる。水路の連中とは違う気配だよ」
曲がりくねった古い回廊をしばらく進むと、やがて道は行き止まりとなり、そこに一枚の重厚な石門がそびえ立っていた。
「……行き止まりか?」
「待って。門の真ん中に……何か書いてある」
リゼリアが差し出した魔導灯の光が、石門の中央を照らし出す。
そこに刻まれていたのは、石に深く刻まれ、黒く染みついたような不気味な紋章だった。
黒い円環の中に、複雑に絡み合う二匹の双頭の蛇。
「見たことのない意匠ね……王都のどの貴族や学派の紋章でもないわ」
リゼリアが怪しむ声を上げる横で、俺は息を呑み、その紋章から目が離せなくなっていた。
(……え?……嘘だろ……?)
胸の奥がドクンと嫌な跳ね方をした。
(これ……俺が昔、ノートの表紙に落書きしてた紋章に……すごく似てる……?)
冷や汗が背中を滑り落ちる。
いや、落ち着け俺。蛇と円環なんて、格好いいデザインの定番だ。前世の俺がノートに描いた落書きと、たまたまデザインの系統が似てるだけだ。偶然に決まってる。
そう自分に言い聞かせようとしたその時、ミリスが石門の脇に刻まれた小さな文字に気づき、静かに指を添えた。
「……文字……書いてある」
「なんて書いてあるの、ミリス?」
ミリスが小さな声で、ぽつり、ぽつりと読み上げる。
「……『導きの手は闇より伸び、愚かなる巡りを束ねん』……」
俺の思考が、ピタリと固まった。
(……なんだ、この言い回し)
頭の中の古い記憶の引き出しが、勝手に開いていく。
(……いや、待て。これ……俺が中二の夏休みに、ノートの冒頭に書いた決め台詞の雰囲気に……なんか似てないか……!?)
「クロノ? 顔色が悪いけれど、大丈夫?」
リゼリアが心配そうに覗き込んできた。
「えっ!? あ、うん! 大丈夫! なんでもないよ! ただ、ちょっと寒気がしただけで……!」
慌てて首を振る俺の横で、シィが不意に体を固くした。
シィの視線が、石門のわずかな隙間、その先の暗闇へと向けられる。
……何かが、近づいてくる。
静まり返った古い回廊に、かすかな気配の揺らぎが生まれた。
気配なのか、暗闇の奥で空気そのものが揺れたのかすら分からない、不気味な触感。
俺たちは息を殺した。
「……誰か、来る」
シィの低く冷ややかな呟きに、バルドとレオンが即座に武器を構えた。
石門の向こうから漂う不気味な気配と、脳裏にこびりつく記憶の違和感に挟まれ、俺はゴクリと唾を呑み込んだ。




