第65話:第六の星
王都東区の旧市街。大きな石橋の袂にある日陰の壁際に、少女は腰掛けていた。
通行人から少し離れた壁際。人の流れを背にして、周囲をくまなく見渡せる場所。
使い古された灰色のフード付き外套に身を包み、膝の上には小さな木彫りの動物を置いている。橋を渡る人間の顔を一人ずつ確認しながら、手元のナイフを静かに削っていた。
「よう、情報屋。今日は場所が違うんだな」
顔なじみの露店商が足を止め、声をかけてきた。少女は木細工から目を離さない。
「……なんとなく」
露店商は少女の顔をちらりと見ると、それ以上は聞かなかった。懐から取り出した銅貨を、木箱の端へ置く。
「例の話だ」
少女は硬貨を指で確かめ、静かに深く頷いた。
「……南市場の染物屋。明日の朝、店を開ける前に行く」
「助かるよ」
露店商は満足そうにその場を離れていった。
シャリ、シャリ、と木を削る音が乾いた空間に響く。
だが、少女の手元は時折、ごくわずかに止まった。
何日か経っても、あの変な客たちは現れなかった。
(……来ない)
少女は膝の上のナイフを止め、削りかけの木細工を静かに懐へ収めると、木箱から立ち上がった。
◆
そのころ俺たちは、南市場の資材街の角で、買い出し用の袋を抱えて立ち尽くしていた。
「……やっぱり、あの子のいた路地には誰もいないね」
俺がポツリと言うと、バルドが頭の後ろで手を組みながら肩をすくめた。
「そりゃそうだろ。あんな追っ手に狙われたんだ、同じ場所で優雅に情報屋を続けるほど間抜けじゃねぇよ」
「ちゃんと逃げ切れたのかしら……」
リゼリアが心配そうに振り返る。ミリスも静かに頷いた。
「……また、どこかで会える……」
「然り! 闇に生きる星々は、必ずや再び巡り合う運命にございます!」
レオンが大げさに胸を張るのを、リゼリアが冷ややかな目で見つめる。
そのときだった。
「……何してるの」
路地の影から、聞き覚えのある低く冷めた声が聞こえた。
俺たちが一斉に振り向くと、そこには灰色のフードを深く被った少女が立っていた。
「あ! 場所変わったんだ! 無事だったんだね!」
俺が手を振って駆け寄ると、少女はフードの奥から俺たちをじっと見つめ、ぽつりと答えた。
「……うん。少し場所を変えただけ」
「そっか! よかった!」
俺がニッと笑うと、少女は俺の顔と、その後ろに立つリゼリアやバルドたちの顔を順番に見つめた。
それから、小さな声を漏らした。
「……この前の話」
「え? 何の話?」
「……クロノ・ヴェール。まだ、情報を集める人が必要?」
俺はパチパチと瞬きをした。
「あ、リィネが言ってたやつ! うん、もっと王都のことがわかる仲間がいたら嬉しいなって!」
「……必要なら、私がやる。ただし、私の仕事として」
「ほんと!? やったー! じゃあ、七星になってくれるってこと?」
少女は首を微かに傾げた。
「……そういうことになるの?」
「うん!」
俺が迷いなく頷くと、少女は深めにかぶったフードの奥で、小さく息を吐いた。
「……好きにすれば」
◆
俺たちはそのまま、秘密基地へと少女を案内した。
元材木倉庫の古い木の扉を開けると、奥で帳簿をつけていたリィネが驚いたように眼鏡の位置を直した。
「……クロノさん、その方は?」
「南市場の情報屋の子だよ! 今日から俺たちの仲間になってくれるって!」
「……情報を扱える方なら、確かに心強いですね」
リィネが丁寧にお辞儀をすると、少女は警戒するように基地の中をぐるりと見回した。
散らかった作業台。ミリスの道具。バルドの武具。そして羊皮紙に書かれた組織の記録。
俺は作業台の上の羊皮紙を引き寄せ、魔導ペンを握った。
そこには以前、リィネが書いた文字が残されていた。
『七星:五人』
俺はニッと笑うと、ペンの先で『五人』という文字を横線で消し、新しい数字を書き加えた。
『七星:六人』
少女は少し離れた場所から、その羊皮紙を見つめていた。
「ねえ、名前なんていうの?」
俺が振り返って尋ねると、少女は外套のポケットに手を突っ込んだまま、そっぽを向いた。
「……ないよ」
「え? 名前がないの?」
「必要ないから」
少女が静かに言い捨てる。俺は顎に手を当てて「ふーむ」と考え込んだ。
「名前がないと呼ぶ時に不便じゃん。うーん……よし、決めた!」
「え?」
「君の名前は『シィ』ね!」
俺が指をピンと立てて胸を張ると、少女は胡散臭そうな目で見つめ返してきた。
「……は? なに勝手に名前つけてるの」
「だって、6番目の星だから『Sixth』で『シィ』!」
「語感だけで決めたの!? 雑すぎるでしょ!」
少女の切れ味鋭いツッコミに、バルドが笑いを噛み殺しながら肩を揺らした。
「ハハッ! 諦めろ、このボスの命名センスはいつもこんなもんだ。文句があるならもっとマシな対案を出すんだな」
「対案も何も、私は名前なんて要らないって――」
「シィって名前がついたら、パワーアップするかな?」
「……するわけないでしょ。名前が変わっただけで強くなるなら、みんな名前を十回くらい変えてるわよ」
「そっかぁ……」
「納得するところじゃないでしょ」
呆れる少女の横から、レオンが重々しく前に踏み出し、胸に手を当てて深々と礼をした。
「否! 真名とは魂の器を充たし、格を上げるものにございます!」
「変な大人は黙ってて」
「ふふ、でも『シィ』って、響きも可愛くて素敵だと思うわ」
リゼリアが満足そうに笑うと、ミリスがそっと近づき、小さな干し肉をシィの手の中に握らせた。
「……シィ……美味しいよ……」
「私まで食べ物みたいに言わないで……っ!」
散々振り回されたシィは、俺たちの楽しそうな顔を見回し、最後には大きなため息をついた。
「……もういい。好きに呼べば」
「やったー! よろしくね、シィ!」
俺が満面の笑みで手を差し出すと、シィは呆れたように首を振った。
握手はしなかったものの、外套のポケットから手を少しだけ出し、受け取った干し肉を小さくかじった。
そして、誰にも聞こえないほどの小さな声で、ぽつりと呟いた。
「……変な組織」




