第63話:危険な情報
王都東区の裏通り。
人通りの少ない日陰の路地で、少女はいつもの木箱に腰掛けていた。
自身の身体よりも二回りも大きな、使い古された灰色のフード付き外套に身を包み、膝の上には小さな木彫りの動物を置いている。
手にしたナイフで表面を静かに削っていると、路地の入口から軽い足音が近づいてきた。
一人目の客は、慌ただしい様子の若者だった。
「情報屋! 東門の近くの宿に留まってる行商人について知りたい!」
「……銀貨二枚。昨日の夕方着いて、明日の朝には西門から出る」
若者はすばやく銀貨を二枚投げ渡すと、礼も言わずに走っていった。
少女は慣れた手つきで硬貨を懐に収め、再び木細工に刃を入れる。
しばらくすると、二人目の客がやってきた。初老の小綺麗な商人だった。
「明日の朝、南市場に入る荷馬車の予定を聞きたい」
「……銀貨一枚。北の街道が雨でぬかるんでるから、到着は昼過ぎになる」
「助かるよ」
商人は銀貨を一枚手渡し、満足そうに立ち去った。
銅貨や銀貨が数枚、静かに行き交う。これが、この路地裏で繰り広げられるいつもの日常だった。
だが、三人目の客は違っていた。
路地へ入ってきたのは、身なりの整ったごく普通の男だった。どこにでもいる商人の格好をしており、周囲を一度だけ注意深く見回してから少女の前に立った。
「情報屋。最近、魔導導線の動きがおかしい。何か掴んでいるか?」
少女は手元のナイフを木箱の脇へ置いた。
ここ数日の市場の噂と動きを、頭の中で手早く整理する。
「……南市場の裏手にある二つの資材屋。それと東門の近くの露店。先週から、型落ちの魔導導線を誰かが少しずつ買い集めてる」
「買い主の名は?」
「……そこまでは知らない。代理の買い出し人が小分けにして買ってるだけ」
男は短く息を吐くと、黙って懐へ手を差し入れた。
引き出された指先から、大銀貨が一枚、木箱の上へと滑り落ちる。
少女の目が、微かに細くなった。
「……大銀貨?」
「足りないか?」
「……逆」
男は何も答えず、追加の質問もせず、ただ踵を返して路地を出て行った。
少女は木箱の上に残された大銀貨一枚をじっと見つめ、ゆっくりとそれを手の中に収めた。
◆
その後も、路地裏にはポツリポツリと客が訪れた。
「西の街道の警備の状況は?」
「……銀貨二枚。交代の時間は未刻」
少女は大銀貨を受け取った後も、いつも通りに客を裁き、情報を売り続けた。
だが、手元の木細工を削る刃先には、どこか拭いきれない微かな引っかかりが残されていた。
◆
一方、秘密基地の作業台では、リィネが三冊の帳簿を並べ、魔導ペンの先で数字を指し示していた。
「……見てください、ミリスさん」
「……帳簿?」
「ええ。三週間前、二週間前、そして今週の素材の購入記録です。うちの秘密基地で購入している魔導導線の数量そのものは、一切変わっていません」
作業台の前に集まった俺とリゼリア、バルドも帳簿を覗き込む。
「ですが、仕入れ先の資材屋に問い合わせたところ、他の店舗でも同様に在庫が急激に減っています。しかも、一つの店で大量に買い占められているわけではありません」
「どういうことだ、リィネ?」
バルドが眉をひそめると、リィネは真面目な顔で言葉を続けた。
「複数の店で、少しずつ、均等に流通量が削られているのです。まるで、誰かが市場全体から必要な量だけを静かに拾い集めているかのように」
「……それなら、試作の導線が手に入りにくくなる……」
ミリスが困ったように呟くと、リィネはペンを置いた。
「ただ、これだけで誰が何をしているのかまでは分かりません。ですが、流通の偏りそのものは確実です」
「なるほどな。資材の出回り具合なら、いつものあいつに聞くのが一番早いだろ」
バルドが顎で外を指すと、俺はニッと笑って手を叩いた。
「よし! じゃあ、今日もあの子のところへ聞きに行こう!」
「ハッ! 暗躍の情報網を動かす時……!」
「レオン、静かに」
俺たちは南市場の裏通りへと向かった。
◆
日陰の路地裏に入ると、少女はいつもの木箱に座っていた。
俺たちの足音に気づくと、少女の手元が止まり、ゆっくりと顔を上げた。
「やあ!」
「……また来たの」
少女は木箱から降りることなく、冷めた視線を俺たちに向けた。
「うん! ちょっと聞きたい素材があってさ。最近、魔導導線が手に入りにくくなってるらしくて」
俺がそう尋ねた瞬間、少女はすぐには答えなかった。
深めに被ったフードの奥から、静かな瞳が俺たちの姿を順番に捉えていく。
俺。
リゼリア。
ミリス。
バルド。
一人ひとりの顔を無言で見つめたあと、少女は少しだけ声を低くして切り出した。
「……今日は、やめたほうがいい」
俺はパチパチと瞬きをした。
「え? なんで?」
「……なんとなく」
いつものように値段を提示するでもなく、素っ気なく突き放すような言葉。
俺は首を傾げたが、無理に探ろうとはしなかった。
「そっか! じゃあ、また今度にするよ!」
俺があっさり笑って引き下がると、後ろにいたバルドが、ほんの少しだけ目を細めて少女の様子を観察していた。
「おい、クロノ。今日は大人しく引き上げるとするか」
「うん。じゃあな!」
俺たちが手を振って路地を去っていく間、少女は無言のまま俺たちの背中を見送り続けていた。
路地を出たところで、バルドが頭の後ろで手を組みながら、低く呟いた。
「……何かあったな、あの嬢ちゃん」
「そうかしら? いつも通り冷たい対応に見えたけれど」
リゼリアが首を傾げると、バルドは苦笑混じりに息を吐いた。
「いや、何かあった顔だ」
俺は振り返り、誰もいなくなった路地の入口をじっと見つめた。
(……何か困ってるのかな)
俺たちはそのまま秘密基地へと戻っていった。
◆
俺たちが去ったあとも、路地裏には静寂が残されていた。
少女は木箱の上に座ったまま、路地の出口を一度だけじっと見つめた。
そこにはもう、誰の姿もない。
やがて少女は膝の上の木細工に手を伸ばし、ナイフを握った。
静かに刃を入れる。
シャリ、シャリと、木を削る乾いた音が響く。
そして――手元が、ピタリと止まった。
少女は膝の上にナイフを置き、外套のポケットから先ほど受け取ったあの一枚の硬貨を取り出した。
掌の上に収まった大銀貨の冷たい感触を、じっと見つめる。
あの男が求めた情報は、どこにでもあるような資材の動きに過ぎなかった。
特別な機密でもなければ、他人の弱みでもない。そんな情報に、大銀貨を一枚。
誰もいない路地裏で、少女はぽつりと呟いた。
「……高すぎる」




