第61話:常連客への第一歩
王都東区の元材木倉庫。
秘密基地の作業台では、リィネが魔導ペンを手に、開かれた帳簿へ真剣な眼差しを向けていた。
「……よし。これで今週の買い出し分の整理は完了です」
トントンと帳簿の端を揃えたリィネの言葉に、作業台の前に集まっていた俺たちは思わず乗り出した。
「どうだった、リィネ!?」
「ええ。前回、路地裏のあの少女から買い取った情報をもとに仕入れた薬草ですが……通常の市場価格より、全体で二割ほど安く抑えられています」
「二割! すげぇ……!」
「……素材の状態も良いです。根の乾燥も提案通り追加で行ったので、試薬の品質も上がりました」
ミリスが珍しく少し嬉しそうに頷くと、バルドも感心したように髭を撫でた。
「ほう、あの小娘の情報ひとつでそこまで変わるもんかねぇ。たった一度の買い出しでそれだけの差が出るなら、バカにできん差だ」
「だろー! バルドさん! 銀貨二枚とパン一つだったんだよ!?」
「……金額の割に、得られた効果が大きすぎますね。情報というものの価値を、私自身も再認識させられました」
リィネが感心したように息を吐き出すと、俺はポンと手を叩いた。
「よし! じゃあ、今日もまたあの場所に情報を買いに行こう!」
「ハッ! 我らの情報網をさらに強固なものへ……!」
「レオン、お前は少し落ち着きなさい」
リゼリアが呆れたように手でレオンを制した。
リィネは棚に帳簿を片付けながら、俺たちに向き直った。
「私はこれから商会の仕事がありますので、今回は同行できません。ですがクロノ、ミリスさんが探している『特定の金属資材』について、もし相場や仕入れ先の情報が得られるなら、聞いてきてください」
「任せて! よーし、出発だ!」
◆
南の市場へ向かう道中、俺たちは買い出し用の袋を下げて路地を進んでいた。
「……ミリス、探してる金属ってどんなやつだっけ?」
「……魔導接手用の、純度の高い銅板。露店で買うと、表面だけ磨かれた粗悪品が混ざることがある……」
「なるほどな。露店街の店主も商売だし、見た目を繕う奴は多いからな」
バルドが歩きながら周囲を警戒していると、俺は思い出したように言った。
「そういえばさ、あの子に結果を言ってなかったな!」
「言う必要があるの?」
「だって教えてもらったんだから、安く買えたって伝えた方が絶対嬉しいだろ!」
リゼリアが「あの冷めた子に通用かしらね……」と苦笑する中、俺たちは喧騒の広がる南市場を抜け、あの薄暗い日陰の路地裏へと足を踏み入れた。
◆
日陰の木箱の上に、その少女はいた。
自身の身体よりも二回りも大きな、使い古された灰色のフード付き外套を羽織り、小さな木彫りの動物を指先で弄んでいる。
「やあ! また来たよ!」
俺が声をかけると、少女の手元がピタリと止まった。
フードの隙間から冷めた瞳が覗き、ゆっくりとこちらへ向けられる。
「……また来たの? 先週来たばかりでしょ」
「うん! この前の薬草、教えてもらった通りに買いに行ったら、すごく安く買えたんだ! サンキューな!」
俺がニッと笑って報告すると、少女は一瞬だけパチパチと瞬きをした。
そして、外套の首元を少しだけ緩め、ポツリと漏らした。
「……ふーん。前の情報、ちゃんと使ったんだ」
瞳に浮かんだのはほんの少しの意外さと、掠かな納得。
少女はすぐに木箱からストンと飛び降り、視線を俺たちに向けた。
「で……今日は何の情報を買いに来たの?」
「今日はさ、ミリスが使う金属について聞きたいんだ」
「種類は?」
「……魔導接手用の、純度の高い銅板。南の市場の露店で探してる……」
ミリスがぽつりと伝えると、少女は少しの間、顎に手を当てて考え込んだ。
そして、短く切り出した。
「……中央通りの手前にある一番大きな露店、あそこはやめたほうがいい」
「えっ、なんで?」
「昨日、同じ型の材料を見た。でも、中身に混ぜ物が入ってた」
「……見た目では分からないやつ?」
「うん。買いに行くなら、二番街の裏手にある小さい鍛冶屋の露店がいい」
「理由は?」
「……あそこは、余計なことをしないから」
少女の簡潔な言葉に、ミリスの目が大きく見開かれた。
「……それなら、確実に使える。……すごい」
職人であるミリスが、少女の提示した目利きの正確さに心からの納得を示していた。
◆
「すごすぎだろ……! じゃあ、そのお店の情報、買い取るよ!」
俺は懐から銀貨を三枚取り出して差し出すと、少女はそれを手際よく受け取り、ポケットへ収めた。
俺はふと思い出して尋ねた。
「あれ? 今日はパンはいらないの?」
「……今日は自分で買うから」
少女はポケットの銀貨を指先で確かめるように触りながら、そっけなく答えた。
「そっか! じゃあ、さっそく教えてもらった鍛冶屋の店に行ってみるよ!」
買い出し用のメモに店を書き留め、俺は手を振った。
「助かった! また来るからな!」
少女は木箱の上に再び腰掛け、木細工へ視線を戻しながら、素っ気なく返した。
「……お金を払うなら、好きにすれば」
「うん! またね!」
◆
俺たちが去ったあとも、路地裏の静寂はそのまま残されていた。
少女は手元の木細工をナイフで少しずつ削りながら、遠ざかる足音の余韻に耳を傾けていた。
そこへ、路地裏の角から身なりの怪しい大人の客が一人、足早に近づいてきた。
「おい、情報屋。昨日の薬草商、どこへ消えたか知ってるか?」
「……銀貨二枚。西門の先の街道」
「チッ、安くねぇな」
男は不機嫌そうに銀貨を投げて寄こすと、情報を聞いて脱兎のごとく去っていった。
少女は受け取った硬貨をポケットに収め、ナイフを動かす手を再開した。
ふと、頭の中にさっきのガキどもの笑い声がよみがえる。
(……あいつら、また来るって言ってたな)
手元を削る手が、一瞬だけ止まる。
少女は再びフードを深く被り直し、小さく息を吐いた。
「……変なの」
◆
俺たちが買い出しから戻った頃には、リィネも商会の仕事を終えて基地へ戻ってきていた。
さっそく買い出してきた金属資材を作業台の上に広げると、ミリスが感嘆の声を漏らした。
「……本当に、混ぜ物がない。加工の精度も高い……」
「ふふ、あの子の情報、大当たりだったわね」
リゼリアが薬草の小袋を片付けながら笑うと、リィネも帳簿に数字を書き込みながら深く頷いた。
「……ええ。市場の言い値を鵜呑みにせず、仕入れの無駄を削る。外部顧問の私から見ても、あの子の情報収集能力は驚異的です」
「まあ、あいつは金で動くプロの情報屋だ。手に入れた情報に余計な主観を混ぜねぇのが良いところだな。割り切って金で繋がってるなら、こっちとしても話が早い」
バルドが壁に寄りかかり、温かい茶を啜りながら言った。
リゼリアがクスクスと笑う。
「でも、あの子は私たちに興味があるというより、単純に仕事をこなしているだけでしょうね。変に馴れ合おうとしないのは、あの子なりの距離感よ」
「じゃあ、また必要になったらお金を払って買いに行けばいいんだな!」
「……相変わらずなにも考えていないわね、クロノは」
「ハッ! これこそが、我らと彼女を結ぶ契約の第一歩! 暗躍の絆でございます!」
「レオン、あなたは黙ってて」
レオンの見得を切るポーズを、リゼリアが即座に切り捨てた。
作業台の上の『七星:五人』と書かれた羊皮紙。
壁に貼られたその羊皮紙を見上げながら、俺はニッと笑った。
(また困ったら、あの子に聞きに行こう)
ただ、金と情報だけで繋がった細い糸が、そこにあった。




