第60話:五人の次へ
リィネが『クロノ・ヴェール』の外部顧問になってから、秘密基地の日常は劇的に変化していた。
作業台の上には、品目ごとに綺麗に分けられた三冊の帳簿が並んでいる。
薬品、金属素材、買い出し用の小口現金。それぞれに伝票が日付順で整理され、かつてのような「どの金庫にいくら入っているか分からない」という惨状は姿を消していた。
「……よし、これで今週の素材一覧と支出の突合は終わりです」
リィネがトントンと帳簿の端を揃えて息を吐いた。
「すごいなリィネ! 先週まで二重に買っちゃってた金属板の無駄、一発でなくなったぞ!」
「……ええ。以前なら露店の言い値をそのまま払っていた試薬も、適正な仕入れ先を指定してもらったおかげで二割も節約できました」
俺とリゼリアが感心して声を上げると、ミリスも静かに頷いた。
「……在庫の残りも一目で分かります。無駄な買い足しが減りました」
メンバー全員から届く称賛の声に、リィネは少し照れくさそうに咳払いを挟んだ。
だが、すぐに表情を引き締め、帳簿の一箇所を魔導ペンの先でトントンと叩いた。
「管理そのものはこれで機能しています。ですが……今のやり方では、そろそろ限界が来ますね」
「えっ? 限界?」
「はい。この数日、市場の資材の価格を精査していて気づいたのですが……同じ薬草や金属でも、日によって価格の変動が大きすぎます。これは単純な露店側の気まぐれではありません」
「どういうことだ?」
「王都の市場の相場、商品の流通ルート、そして『どの店が信用できて、どの店が品質をごまかすか』という生きた情報が、私たちには決定的に不足しています」
リィネは書類を一枚掲げ、淡々と言った。
「どの店が安いかという表面的な計算だけでは限界があります。
どこからどんな荷が運び込まれてきているのか。
今、裏通りで何が値上がりしようとしているのか。
そうした情報がなければ、本当の意味で正しい仕入れはできません」
室内が一瞬、静まり返った。
「金銭と在庫の管理は私が見ます。ですが……街全体の動きや噂を探る『情報』を集める役割が、この組織には足りていません」
リィネの指摘に、俺は壁に貼られた羊皮紙を見上げた。
『七星:五人』
空いている席は、あと二つ。
俺はニッと笑い、ポンと手を叩いた。
「生きた情報か……! なんだ、それなら心当たりがあるじゃん!」
◆
数日後。俺たちは王都の南側にある市場の裏通りへと向かっていた。
リィネから頼まれた「近々王都に入ってくるはずの珍しい薬草の仕入れルート」と「露店街の最新の相場」を確かめるためだ。
露店がひしめく喧騒から一歩外れた、日陰の路地裏。木箱が積み上がった薄暗いスペースに、その少女はいた。
自身の小柄な身体よりも二回りも大きな、使い古された灰色のフード付き外套に身を包み、積み上がった木箱の上にちょこんと腰掛け、小さな木彫りの細工を弄んでいる。
深めに被ったフードの隙間から覗く、相変わらず冷めたような、どこかすべてを見透かすような瞳。
「やあ、久しぶり!」
俺が手を振って近づくと、少女は手元を止め、ゆっくりと視線を上げてきた。
外套の奥から、低く平坦な声が返ってくる。
「……またあなたたち? 相変わらず変な頭巾被って、何してるの」
「変とは失礼な! 我らは暗躍する高潔なる組織――『クロノ・ヴェール』である!」
「……それ、前も聞いた。相変わらず意味が分からない」
レオンの見得を切るポーズに対しても、少女の瞳は1ミリも動かない。完璧なスルーだ。
横にいたバルドが苦笑しながら一歩前に出た。
「相変わらず警戒心が強ぇお嬢さんだな。……まあいい。今日はちょっと情報を買い取りたくてな」
『買い取る』という言葉を聞いた瞬間、少女の瞳にほんの少しビジネスライクな光が宿った。
木箱の上からストンと飛び降り、俺たちを見上げる。
「……何を客層にしてる情報? 街の衛兵の動き? 冒険者ギルドの依頼相場? それとも、裏通りの噂話?」
「南の市場に入ってくる薬草の仕入れルートと、今週の相場の動きを知りたいんだ」
俺がリィネに言われた通りの条件を伝えると、少女は即座に指を三本立てた。
「銀貨三枚。……それと、あっちの露店で売ってる甘いパン一つ」
「えっ、銀貨二枚にならない?」
「値引きはしない。嫌なら他を当たって」
「……分かった、取引成立だ!」
俺は銀貨三枚を渡し、途中の露店で買ってきた甘いパンも差し出した。
少女はパンを受け取ると、素早く外套のポケットに銀貨を滑り込ませ、淡々と口を開いた。
「探してる薬草なら、二日前に東門から入ってきた行商人が持ってる。今は裏通りの安い宿に泊まってるよ。明日の朝には発つから、欲しいなら今日中に動いたほうがいい」
「えっ!? もう王都に入ってきてるのか!?」
「うん。ちなみに、あの露店街の手前の店は今朝新しい荷が入ったばかりだから、夕方になれば値段を下げるはず。急がないなら待ったほうがいいよ」
「す、すげぇ……なんでそんなことまで分かるんだ!?」
少女はパンをひとくちかじり、そっけなく言った。
「別に。市場にいる連中に、少しずつ話を聞いただけ」
リィネが欲しがっていた情報を、この少女はあっさり持っていた。
◆
買い取った情報をノートに書き留め、俺たちは満足して路地裏を後にしようとした。
「助かったよ! また何かあったら頼むな!」
俺が振り返って手を振ると、少女は木箱の上に再び腰掛け、冷めた目で俺たちを観察していた。
「……あなたたち、前に会った時より連れてる人数が増えてるね」
「え?」
「冒険者に商人っぽい人まで巻き込んで……本当になんの集団なの?」
「だから言ったろ! 俺たちは『クロノ・ヴェール』だ!」
俺がニカッと笑うと、少女はほんの少しだけ首をひねり、外套のフードを深めに被り直した。
「……ふーん。まあ、どうでもいいけど。お金を払うなら、また情報を売ってあげてもいい」
「うん! また来るよ!」
そう言って、少女は再び手元の木細工に意識を戻したのだった。
◆
夕暮れ時。秘密基地へ戻る帰り道、俺たちは買い取った情報のメモを見ながら歩いていた。
「やっぱり、あの子ってすごいな!」
「そうね。街の動きや露店の事情をあれだけ正確に集められるなら、確かに私たちの活動にすごく役に立つわ」
リゼリアが感心したように言い、リィネも真面目な顔で頷いた。
「私が必要としていた情報を、あの子は持っていますね。あの情報があれば、無駄な出費はさらに削れます」
「ただ、あの嬢ちゃんが俺たちの仲間になるかは別問題だろ」
バルドが頭の後ろで腕を組みながら、苦笑交じりに言った。
「あいつは金で動く裏通りの情報屋だ。一筋縄じゃ仲間に引き込めねぇぞ」
「……そうなんだよなぁ」
秘密基地に戻り、俺は壁に貼られた羊皮紙をじっと見上げた。
『七星:五人』
空いている席は、あと二つ。
「……情報を集められる人、か」
俺は、さっきの少女を思い浮かべた。
「あの子が手伝ってくれたら、すごいだろうな」
「簡単には頷いてくれないでしょうね」
リゼリアが隣で呆れたように笑う。
「うん。でも……」
俺は壁の羊皮紙に向かって、ニッと笑った。
「また会いに行けばいいよ!」




