第58話:アルヴァースの若手商人
「……は? 秘密組織……?」
引きつった顔で後ずさりする彼女に、俺は慌てて両手を振りかざした。
「待って待って! 秘密組織って言っても、悪いことをする怪しい集団じゃないから!」
「十分怪しいです! 申し訳ありませんが、お断りします!」
サッと身を引いて逃げ出そうとする彼女に対し、俺は思わず前へ出た。
「えっ、まだ何も頼んでないよ!?」
「秘密組織でしょう!? 犯罪や危険な取引に巻き込まれるのは御免です!」
「だから悪いことする組織じゃないってば!」
「秘密組織なのに、悪いことをしないんですか?」
「……しない」
「では、なぜ秘密なんです?」
「……カッコいいから?」
「…………」
彼女は完全に引きつった目で固まった。
後ろからリゼリアが呆れ果てた溜め息を吐きながら、俺の肩を叩いた。
「クロノ、余計なことを言わないの。……あなた、安心して。この子の言う『秘密組織』っていうのは、ただの子供のごっこ遊びみたいなものだから。あなたが考えているような犯罪組織じゃないわ」
「ハッ! 我らはボスを頂点とする高潔なる暗躍組織! 決して下悪な盗賊の類では――」
「レオン、お前は黙ってろ!」
レオンを押し下がらせると、横からバルドが深々と溜め息をつき、一歩前に出た。
「……落ち着け、お嬢さん。俺も元はギルドに所属する普通の冒険者だ。このガキどもは見ての通り頭のネジが数本飛んでるが、悪党じゃねぇよ。お前に危害を加える気もねぇ」
無骨なベテラン冒険者のバルドが落ち着いた声でフォローすると、彼女は少しだけ警戒を解き、怪訝そうに眉をひそめた。
「……本当に、怪しい犯罪に加担させようというわけではないのですね?」
「絶対に違う! 俺たち、本気で買い出しやお買い物の管理で困っててさ。……ねぇ、人目の多いあそこの茶店で、少しの時間でいいから話を聞いてくれない?」
彼女は俺たち五人を順番に見比べ、しばらく迷った末に頷いた。
「……人目の多い茶店で、短時間なら」
◆
商会の近くにある落ち着いた茶店に入り、俺たちは壁際のテーブル席に腰を下ろした。
温かい茶が運ばれてくると、彼女は姿勢を正し、改まった様子で口を開いた。
「私はアルヴァース商会で仕入れと帳簿を担当している、リィネと申します。それで……困っていることとは?」
「俺はクロノ。で、こっちがレオン、リゼリア、ミリス、バルドさん」
簡単に自己紹介を済ませると、リゼリアがカバンから作業台のメモを数枚取り出し、テーブルの上に広げた。
「これを見てほしいの。私たちが王都の市場で買った薬草や資材の記録なんだけど……」
リィネは差し出されたメモに目を落とした瞬間、ピクッと眉を動かした。
そして次の瞬間、引き出しから自前の魔導ペンを取り出すと、メモを指差し始めた。
「……なんですかこの記録は! 仕入れ先の店舗名が書かれていませんよ!?」
「え? だって市場の露店で買ったし……」
「購入した日付は!?」
「たぶん……三年前」
「たぶん!? 数量の正確な記録は!?」
「えーっと……一袋くらい?」
「記録がない……!」
先ほどまでの警戒心はどこへやら。リィネは、乱雑な記録を見つけるたびに質問を重ねていった。
「仕入れ先も日付も数量も曖昧では、次に同じものを買う時に比較検討できません! 保管場所の湿度管理はどうなっていますか!?」
「そこまで必要なの……?」
「必要です」
「……即答だな」
「必要なので!」
リィネは勢いそのままに、ミリスがカバンから取り出してテーブルに置いた薬草の小袋へ視線を向けた。
「……では、保管している実物は? この薬草、購入してから何日目ですか?」
「……四日目です」
「保存容器は?」
「……普通の布袋です」
「蓋のない布袋……」
リィネが無言になり、頭を抱えた。
「……湿気の多いこの季節に布袋保管では、すぐに品質が落ちます。これは早めに使い切るしかありませんね」
「……私も、そう思います。次回からは密閉型の木箱を用意すべきです」
ミリスがぽつりと同意すると、リィネはハッとしてミリスを見た。
仕事人同士の視線が交差し、互いの着眼点に小さな納得が生まれていた。
◆
さらにリゼリアが、別のメモをテーブルに滑らせた。
「それと、これなんだけど……前に買った時より、この触媒の値段が二割高かったの。同じ量で、品質も同じだったのに」
「……確認します」
リィネはメモを睨みつけ、仕入れの時期や購入した露店の場所を細かく尋ねていった。
そしてペン先でトントンと紙面を叩く。
「この露店、以前は市場の北側の卸業者から素材を仕入れていたはずです」
「分かるの!?」
「王都でこの量の触媒を扱える卸は限られますから。……モノ自体は信じられないほど高品質です。それなのに、仕入れと保管にずいぶん無駄がありますね」
「えっ?」
「北側の卸が一時的に在庫を切らし、西側の遠い業者から中継を入れて買い付けたため、運送費が上乗せされています。露店側が損をしないよう、その分を販売価格に転嫁したのでしょう」
一瞬で背景の流通ルートを読み切ったリィネに、俺は目を丸くした。
「すげぇ……!」
「いえ、普通です。商売をするなら、この程度の流れを読むのは当然ですから」
素っ気なく答えるリィネだったが、周囲から「細かすぎる」と嫌がられていた彼女の計算能力が、ここでは完璧な正解として役に立っていた。
しかし次の瞬間、リィネはペンを止め、ジッと俺たちを見つめた。
「……ところで」
「ん?」
「あなた方は、何を商売にしているのですか?」
「商売?」
「はい。これだけの高品質な道具を使い、薬品を扱い、資材を購入している。なのに……収入と売上の記録が一切ありません」
リィネの鋭い査定の目が、俺たち全員を射抜いた。
「活動資金はどこから出ているのですか? どのような事業で利益を得ているのですか?」
「…………」
俺は黙り込んだ。
横を見ると、リゼリアも気まずそうに目を逸らし、バルドは茶を飲みながら知らん顔をしている。
「……そこを聞かれると痛ぇな。俺も知らん」
「バルドさん!?」
「あなたたち、本当に大丈夫なんですか……? 資金繰りが破綻していませんか?」
リィネの真っ当すぎる突っ込みに、俺は少しだけ胸を張った。
「大丈夫だよ!」
「その根拠は!?」
「……大丈夫だから?」
「全然大丈夫じゃないわね」
リゼリアの冷ややかなツッコミに、リィネは呆れて深く溜め息をついた。
◆
俺は姿勢を正し、リィネに向かってまっすぐに言った。
「リィネさんさ。俺たちの活動の買い出しや仕入れの相談に乗ってくれない?」
「……相談役、ですか?」
リィネは眉をひそめた。
「アルヴァース商会を辞める必要はないよ。俺たちが大きな買い出しをしたり、資金のことで困ったりした時だけ、外部のアドバイザーとして知恵を貸してほしいんだ」
「商会を辞めなくてもいい……?」
リィネは戸惑うように首をひねった。
「でも、私には商会での仕事があります。それに……怪しげな組織の専属になるなんて」
「俺たちには『七星』っていう役割があってさ。みんな得意なことが違うんだ。だから、お買い物の計算が得意なリィネに、困った時だけ手伝ってほしいんだよ」
リィネは呆れたように息を吐いたが、テーブルの上のメモとミリスの道具へ視線を落とした。
商会では「細かすぎる」「融通が利かない」と疎まれてきた自分の能力。
だが目の前の怪しげな五人は、その「細かさ」を笑わず、心から頼りにしていた。
「……正式に加わる、という話ではありませんよね?」
「うん。俺たちが困った時に助けてくれればいい」
リィネはしばらく黙ってメモを見つめ、静かにペンを収めた。
「……一度、そちらの拠点を見せてください。実際の保管状況や帳簿を見てから、判断します」
「ほんと!? よっしゃあ!」
俺が喜んで声を上げると、リィネは「まだ受けると決めたわけではありませんから」とツンと横を向いたのだった。




