第56話:五人の歩み
バルドが『クロノ・ヴェール』に加わってから、秘密基地には五人が集まるのが当たり前になっていた。
ある日の午後。ミリスが作業台で火種を使い、金属部品の加工を行っていた時のことだ。
ふと横の棚へ手を伸ばし、取ろうとした試薬瓶のすぐ脇を火種がかすめた。
「……あ」
ミリスの手が止まった瞬間、後ろから歩み寄ってきたバルドが、作業台の棚を指差して低い声を上げた。
「おい、クロノ。可燃性の薬品瓶のすぐ横に火種を置いて作業させるな。瓶が割れて火種にかかったらどうする」
「え? でも、ちゃんと気をつけて作業すれば大丈夫だろ?」
「アホか。気をつける奴が一番先に事故を起こすんだよ。道具の配置そのものを安全にしてねぇのが間違いだ」
バルドの容赦ない指摘に、クロノは思わず首をすくめた。
ミリスは静かに深々と頭を下げた。
「……申し訳ありません。配置の安全管理ができていませんでした」
「ミリスのせいじゃねぇよ。ボスのお前がこういうガサツな棚の作り方をしてっからだ」
「俺のせい!? ……ねぇレオン、お前も笑うなよ」
「申し訳ございません、ボス! 胸中で爆笑しておりました!」
「……俺、怒られてる?」
「今さら気づいたの?」
リゼリアが呆れたように鼻で笑った。
その日から、薬品と火種が同じ棚に並ぶことはなくなった。
◆
季節が巡った、ある日のこと。
俺たちは王都近郊の丘陵地帯へ、リゼリアの薬草採取に出かけていた。
「よし! このままあの丘の上の群生地まで行ってみようぜ!」
俺が先頭に立って指を差すと、となりのレオンが即座に抜刀の構えをとった。
「おお! 敵が現れた場合は、このヴァルハイトが真っ先に斬り込みます!」
「お前は先に行きすぎるんだよ」
バルドがレオンの肩をガシッと掴んで制した。
「しかし、バルド殿!」
「だから俺が状況を見る。お前はクロノたちの前に立て」
「……なるほど! 護衛の陣形でございますな!」
レオンが納得した直後、空を見上げたバルドが一転して険しい顔になった。
「戻るぞ。今日はここまでだ」
「えっ? バルドさん、まだ空も晴れてるし行けそうじゃないか?」
「戻る」
「理由をお聞かせ願いたい!」
「風の匂いが変わった。雲の動きも早すぎる。あと一時間もしねぇうちに土砂降りになるぞ。山道で濡れたら足元を滑らせて怪我人が出る」
俺たちは半信半疑のまま、引き返す足取りを進めた。
「……本当に降るのか? まだお日様が出てるぞ」
「ボス、私もいささか晴天に恵まれているように見えますが……」
ぶつぶつ言いながら山道を下っていくと、しばらくして急に周囲の風が冷たくなった。
ざわ、と木々が大きく揺れ、あっという間に青空が暗雲に覆われていく。
「……あ、あれ?」
俺たちが慌てて街道の茶屋へ駆け込んだ、まさにその瞬間――
ドシャァァァァァッ!!
バケツを覆したような土砂降りの雨が、猛烈な勢いで屋根を叩き始めた。
茶屋の軒下で、俺とレオンは口を開ぐり開けたまま呆然と外を見つめた。
「……すげぇ。本当に降ってきた」
「さすがボス! この程度の天候変化など、すでに予測されていたのですな!」
「違うって! 俺、普通にまだ行けると思ってたぞ!」
「……え?」
「……え?」
レオンと俺が顔を見合わせると、横で温かい茶を啜っていたバルドが、心底呆れたように頭を抱えた。
「お前ら、本当に何も考えてなかったのか……」
「だからそう言ってるだろ!」
「では、これからはバルド殿の判断を最優先に――」
「いや、そこまでしなくていい」
バルドの深い溜め息に、リゼリアとミリスが小さく吹き出した。
◆
またしばらくの時が流れた。
「バルドさん、今日の風はどう?」
「今んとこ問題ねぇ」
「よし、行こう!」
次の採取へ向かう前、自然とそんなやり取りを交わすようになっていた。
そんなある日、ミリスが小さな木箱を抱えて俺の元へやってきた。
「……ボス。以前の森でのことを参考に、新しい道具を作りました」
ミリスが取り出したのは、武骨な金属製の平べったい盤だった。中央には細い針が収まり、文字盤がほのかに光っている。
「『改良方位盤』です。野外で使いやすく設計しました」
「うおおー! すごいじゃん!」
俺が喜んでいると、バルドがひょいとそれを奪い取り、手の中で弄んだ。
「ほう。試作品か。……これ、走ったらどうなる?」
「……走る動作は試していません」
「試してみるか」
バルドは基地の中を軽くダッシュし、ピタリと止まって盤を覗き込んだ。
針が激しく揺れ、グラグラと定まらない。
「……現場じゃ走り回りながら方角を見ることもある。これじゃ使えねぇな」
「……なるほど」
ミリスは落ち込むことなく静かに頷くと、方位盤を引き取って作業台へ戻った。
そして数日後。ミリスは再び新しい方位盤を差し出した。
「……内部の制振構造を固定し、揺れても針が落ち着くように改良しました。外枠も頑丈にし、ボタンも大きくして手袋をしたままでも操作できるように変更しています」
バルドが受け取り、再び室内を軽く走って確認した。
針はピタリと北を指したまま動かない。
「……いい仕事だ。手袋越しの操作感も文句ねぇ」
「……ありがとうございます」
ミリスがほんの少しだけ口元を緩めた。
「便利だが、道具はあくまで補助だ。頼りすぎるなよ」
「おう!」
◆
そんなある日の夕暮れ。
リゼリアが作業台の上に買い込んできた試薬の瓶を並べ、こめかみを押さえていた。
「ねぇ、ミリス。今日買ってきたこの触媒だけど……」
「……リゼリアさん、これ、先週仕入れた店より二割ほど高いです」
「えっ!? だって、いつもの店が売り切れだったから別の店で買ったのよ?」
「こちらなら、同じ材料をもっと安く仕入れられます」
「待って、安い店のは純度が低いかもしれないわよ?」
二人が困惑していると、バルドが茶を飲みながら言った。
「同じ素材でも、店や時期によって値段も品質もバラバラだからな。誰かが定期的に市場を見て回って、一番良い条件で交渉して買い付けねぇと、活動資金がいくらあっても足りねぇぞ」
室内が一瞬、シーンと静まり返った。
「レオン、これ計算して交渉できる?」
「ハッ! 剣ならば! ……帳簿と交渉は、少々……」
「バルドさんは?」
「俺に聞くな。酒代のツケを誤魔化す交渉なら得意だ」
「ミリスは?」
「……材料の値段なら分かります。ですが、値切り交渉は専門外です」
「リゼは?」
「私に押しつけないで」
全員の回答を聞いて、俺は「じゃあ誰がやるんだよ……」と頭を抱え、壁の羊皮紙を見上げた。
『七星:四人』
「……商人かぁ。なんか、秘密組織っぽくなってきたな!」
「そこなの!?」
リゼリアの呆れたツッコミが即座に飛んできた。
「だって商人って、裏で色々やってそうじゃん!」
「あなたの商人のイメージ、どこから来てるのよ……」
バルドが可笑しそうに吹き出し、ミリスも小さく肩を揺らした。
壁に貼られた組織図の羊皮紙には、こう記されている。
『七星:四人』
空いている席は、まだ三つ。
「……商人かぁ」
俺は、まだ空いている三つの席を眺めた。




