第53話:四人目の七星候補
新しい秘密基地に移転してから、しばらくの時が流れた。
休日の昼下がり。俺たちは王都近郊にある、比較的安全とされる『東の森』の浅い場所へ素材採取に来ていた。
リゼリアが新しい試薬の実験に使う野草と、ミリスが加工用の部材として探していた特殊な樹皮を集めるためだ。
「四人もいるんだし、浅い森なら余裕だろ!」
俺が先頭を切って草木を分けて進む。
今回の陣容は完璧だ。リゼリアが目的の植物を鋭く見分け、ミリスが樹皮の質感を正確に確認し、レオンが荷物持ち兼護衛として控えている。
「ありました。この樹皮なら、求めていた柔軟性と耐久性を満たしています」
「私の薬草も、上質な個体が十分確保できたわ」
二人とも目的を無事に達成し、袋の中は目当ての素材でいっぱいになった。
だが、問題はそこからだった。
「よし、採取も終わったし、街道へ戻ろうぜ!」
俺が引き返そうとした時だった。周囲の木々を見回したリゼリアが、ふと足を止めて眉をひそめた。
「……あら? 確か、来た時はあの大きな引き締まった幹の木の脇を通ってきたはずだけど……」
「ご安心ください、リゼ殿! このヴァルハイトの名にかけて、必ずや帰り道を見つけてみせます!」
胸を張ったレオンが腰の剣を抜き、目の前の伸び切った枝を勢いよく打ち払った。
「ハッ! これで道が分かりやすくなりましたぞ!」
「……レオン」
「はい、ボス!」
「それ、ただ枝を散らかしただけじゃないか?」
「…………」
言われてみれば、切った枝は足元に乱雑に散らばるだけで、周囲には似たような木々が続いている。
さらに前進してみたものの、二十分歩いても周囲の景色が変わらない。
「おかしいわね……日当たりから見て、方角は合っているはずなのに」
「……踏み跡も、途中から途絶えています。同じ場所を旋回している可能性がありますね」
ミリスがしゃがみ込み、地面の落ち葉を観察して静かに呟いた。
魔法が使えて、剣が強くて、道具が作れて、四人も集まっている。
けれど、誰一人として「森を安全に歩く専門知識」を持っていなかったのだ。
次第に空がオレンジ色に染まり始め、木々の影が長く伸びていく。
「ボス、私にお任せを! 木に目印の傷をつけてまいります!」
「待て待て! さっきあっちの木につけた傷と、全く同じ傷がそこにあるぞ!」
「……っ!?」
レオンが絶句する。自分がさっき付けた傷の場所に戻ってきていただけだった。
「……これ以上進むの、やめた方がよくないか?」
俺が足を止めると、レオンが一瞬焦ったように振り返った。
「しかしボス、目的地は街道でございます! 進まねば夜が――」
「目的の素材はもう取ったんだ。分からないまま闇雲に進むより、高く見晴らしの良い場所を探して、落ち着いて街道の方角を確認する方がいい」
俺が素直な考えを口にすると、リゼリアが深く頷いた。
「ええ。素材採取が目的なのに、無茶をして帰還できなくなったら本末転倒だもの。クロノの言う通りよ」
「……同感です。危険を感じた時に足を止めるのは、恥ではありません」
ミリスの言葉に、レオンもハッと息を呑み、深々と首を垂れた。
「……深謀遠慮、恐れ入りました。ボスの仰る通りでございます」
その後、俺たちは高台の岩場へ登り、木々の隙間から街道を確認した。
そこから方角を合わせ、慎重に足元を確かめながら森を抜けていく。
しばらくして、ようやく見覚えのある街道へ出ることができた。
四人とも服の裾は泥だらけで、すっかり疲れ切っていた。
◆
秘密基地へ戻り、作業台の椅子に倒れ込むように腰掛けた。
「……ふぅ。たまたま戻れたから良かったものの、一歩間違えたら森で夜明かしだったな」
俺が冷めた茶を飲みながら呟くと、机の上に羊皮紙を広げ、羽ペンで書き込みを始めた。
『今回の反省』
一、森の地図 ➔ ない
二、方角を見る道具 ➔ ない
三、天候や地形を読む知識 ➔ ない
四、野営の準備 ➔ ほぼゼロ
五、撤退の判断 ➔ 俺の勘頼み
出来上がったリストを並べると、レオンが気まずそうに視線を泳がせた。
「……こうして一覧にいたしますと、我々は驚くほど無策でございましたな」
「『意外と』じゃないわよ。完全に無策だったわ」
リゼリアが呆れたように溜め息をつく。俺は腕を組んでうーんと唸った。
「四人もいるから楽勝だと思ってたんだけどな……。四人いることと、野外を安全に歩く知識があることは別なんだな」
「……否定できません。現場で一番大切なのは、生き残って帰ることです」
ミリスが静かに言った。
俺は壁に貼られた『クロノ・ヴェール組織図』を見上げた。
『七星:三人』
「……七人って、ただ強いやつを七人集めればいいってわけじゃないんだな。戦うやつもいれば、道具を作るやつもいて……全員を安全に連れて帰るやつも必要なんだ」
「……最初からそう言ってるでしょう?」
「いや、なんとなく人数が多い方がカッコいいと思ってただけなんだけどさ」
「知ってたわ」
リゼリアのツッコミに、俺はニカッと笑った。
「でもさ、四人でこれなら、そういう頼りになる奴が仲間になったら、もっと色んな場所へ安全に行けるようになるよな!」
◆
数日後の夕方。俺は一人で王都の裏通りにある、以前にも情報屋少女と会った路地へ向かった。
薄暗い路地の陰に潜む、情報屋の少女。
彼女はいつものようにフードを深く被り、壁にもたれかかりながら俺を見た。
「……また来たの、クロノ・ヴェールさん。今度はどんな珍妙な依頼?」
「今日はさ、ちょっと人に心当たりがないか聞きに来たんだ」
俺は壁に背中を預け、本題を切り出した。
「王都の冒険者でさ……強さとか派手さじゃなくて、どんな危険な現場でも『絶対に無理をせず、全員を無事に生きて帰してくる』奴っていないか?」
「……生きて帰してくる?」
フードの奥で、少女が少しだけ不審そうに目を細めた。
「そう言われてもね……冒険者の評価って、普通は倒した魔物の数や難易度の高い依頼の達成数で決まるものよ」
「そういうのはいいんだよ。そうじゃなくて、引き際が分かってて、危ないと思ったらサクッと撤退できて、誰も死なせずに連れて帰れる奴がいい」
情報屋少女はしばらく黙って俺を見た。
「……変な条件ね。でも、冒険者の評価って、何人死なせたかとか、無理な依頼を断れるかとか、天候が崩れた時に正しく引けるかとか……そういう地味な部分は誰も評価しない。でも、情報屋から見れば、それこそが一番重要な能力よ」
「だろ? そういう細かいところまで見てる情報屋さんだから、聞きに来たんだよ」
俺が言うと、少女はほんのわずかに息を吐いた。
「……いるにはいるわ」
「本当か!?」
「ただし、名前だけなら銅貨五枚。居場所まで欲しいなら追加で五枚ね」
「えっ、そこ別料金なの?」
「情報屋だから」
「……商売上手だな」
俺は苦笑いしながら銅貨十枚を彼女の手のひらに渡した。
「名前はバルド。三十代半ばのベテラン冒険者よ。冒険者ギルドじゃ『腰抜け』なんて陰口を叩く馬鹿もいるけど……彼がリーダーを務めた依頼で、死人が出た記録はないわ。大怪我をした人間もほとんどいない」
「うおー! まさにそういう人だ!」
「勘違いしないでね。別に彼自身が圧倒的に強いわけじゃないわよ。剣の腕ならもっと上がいるし、魔法も使えない。だけど――引くべき時に引く。それだけは誰より上手い頑固なおっさんよ。西区の安酒場『赤銅亭』によくいるわ」
情報屋少女の言葉を、俺はしっかりと頭に刻み込んだ。
「バルドさんか……。絶対に無事に帰ってくる冒険者……なんか、面白そうだな」
俺は教えられた酒場の名前を頭に入れると、路地裏をあとにした。




