第4話:不穏な水
その日の午前中、俺――クロノ・アルヴァースは、実家である『アルヴァース商会』の執務室で、父親の手伝いをしていた。
「クロノ、助かるよ。お前が手伝ってくれると、帳簿の整理が本当にはかどるな」
「これくらい大したことないよ、父さん。……あ、そういえば、さっき納品に来た職人さんが何か言ってたけど、どうかしたの?」
何気なく尋ねると、父親は少しだけ困ったように眉をひそめた。
「ああ……なんでも、ここ数日、街の東地区の井戸水の味が妙におかしいらしいんだ。少し金属っぽい臭いがするとか、水汲み場の周りで小さな魚や鳥が死んでいるとかでな。まあ、地下の配管が古くなっているだけだろうが」
「ふーん、井戸水がねぇ……」
俺は「へえ」と頷きながら、内心でピンと来ていた。
(……怪しい! これは実に怪しいぞ……!)
普通の子供なら「へー、変な水なんだ」で終わる話だ。だが、前世で数々のフィクションや闇の組織ものに触れてきた俺の厨二アンテナが、激しく反応していた。
(街で起こる奇妙な水質汚染の異変……! これ、完全に『悪の組織が裏で進めている邪悪な作戦』の初期症状(前兆)じゃん!!)
胸の奥でワクワクした高鳴りが弾けた。
早く今日の手伝いを終わらせてアジトに行きたいと、俺はペンを握る手に思わず力が入ってしまうのだった。
◇
夕暮れ時。俺はいつものボロ倉庫へ向かった。
ギィ、と扉を開けると、そこにはすでにレオンハルトとリゼリアが待っていた。
「お、二人とも来てたのか」
「はい、ボス。昨日の件について、少々ご報告したいことがございます」
レオンはスッと表情を引き締め、懐から革表紙のノートを取り出した。
隣に立つリゼリアも、俺が用意してやった黒ローブのフードを深々とかぶり、紫水晶の瞳を真剣に輝かせている。
「聞き届けておこう。レオン、報告を」
俺が微小魔法で顔に影を落とし、低音ボイスを発動させると、レオンは凛とした声で言葉を続けた。
「昨日ご報告した『漆黒の導師』について、我が情報網を全開にして引き続き警戒に当たらせておりました。……すると、東地区および中央地区の複数の井戸にて、原因不明の水質汚染が確認されたとの情報が入ってまいりました」
(キターーーーーーッ!!)
俺は内心で思わずガッツポーズを決めた。
(やっぱりだ! 昨日『漆黒の導師』なんて敵役を出してきたと思ったら、今日は『水質汚染』なんて事件まで絡めてきたのか! レオン……お前、今回のごっこ遊び、気合いが入りすぎだろ!!)
俺がレオンの考えたシナリオのクオリティの高さに大感動していると、レオンはどこまでも真面目な顔で続けた。
「水質の異変が起きている場所を地図上で結ぶと、ある共通点が浮かび上がります。……すべて、この街の『地下水路』の主要な幹線ルートの上に位置しているのです」
「地下水路……」
隣で静かに話を聞いていたリゼリアが、ぽつりと呟いた。
彼女は自分の強すぎる重力魔法の制御にまだ少し不安があるのか、ローブの袖をギュッと握りしめている。
「偶然とは考えにくいかと。何者かが意図的に、地下水路から毒か何かを散布しようとしている可能性が極めて高いと思われます」
真剣そのものの目で報告を結ぶレオン。
(いやあ、レオンの推理ごっこも冴え渡ってるなぁ! 『地下水路に毒を撒く悪の組織』とか、古典的だけど一番テンションが上がるシチュエーションじゃないか!)
俺は組んだ手に顎を乗せ、不敵な笑みを浮かべた。
これだけの最高のお膳立て(シナリオ)を用意してもらったのだ。ボスとして、格好いい指示を出さないわけにはいかない。
(よし……! ついにやるか、『クロノ・ヴェール』の初任務!!)
胸の中の厨二心が猛烈に滾っていた。
だが、それと同時に――今朝、父親から聞いた「街の人々が不気味な水質汚染に困っている」という話も頭をよぎった。
(……まあ、ごっこ遊びの初任務として最高なのはもちろんだけどさ。本当に街の井戸水がおかしくなって人が困ってるなら、ついでに解決してあげたいしな)
闇の組織ごっこは大好物だが、困っている人を放置するのは嫌だ。
俺の根っこにあるごく普通の善性が、少年の情熱と心地よく噛み合わさった。
「……フッ、面白い。表から探っても、ネズミのようにコソコソ逃げ回るだけだからな」
俺はゆっくりと立ち上がり、微小魔法で足元に薄っすらと闇の霧を漂わせた。
「なら――影から行く。今夜、地下水路へ潜入するぞ」
「「――ッ!?」」
レオンとリゼリアの息をのむ音が重なった。
(地下水路に直接潜入……!! うわあぁ、これぞまさに秘密結社の初ミッションって感じだ!! 表の警察や衛兵が気づかないうちに地下で決戦とか、格好良すぎるだろ!!)
一人で大興奮している俺の前で、レオンは感極まったように瞳を輝かせた。
(……さすがはボス……! 街の表面上の捜索など無意味だと切り捨て、敵が潜む最大の拠点……地下水路そのものへ直接殴り込むご決断……! 敵の計画の核心を、一瞬で見抜かれておられる……!)
レオンは力強く胸に手を当てた。
「ハッ! 情報網を駆使し、秘密裏に地下水路へ侵入できる隠しルートをひとつ特定しております。今夜、ご案内いたします!」
「うむ、頼むぞレオン」
俺は満足げに頷くと、少し不安そうに佇んでいるリゼリアの方を振り返った。
彼女は強大な魔法を持っているが、まだ自分の力を恐れている節がある。無理をさせるわけにはいかない。
「リゼ」
「は、はい……! ボス!」
「無理はするなよ。君の魔法は頼りになるが、怪我をされたら俺たちが困る。俺の後ろについてきてくれればいい」
俺としては「まだごっこ遊びに慣れてない妹分への気遣い」のつもりだった。
だが――リゼリアにとって、その言葉は胸の奥を熱く締め付けるものだった。
(……私を気遣ってくださっている……。化物と恐れられたこの力を『頼りになる』と言って、私を守るように前に立ってくださる……!)
リゼリアは紫水晶の瞳に強い決意の光を宿し、深々と頭を下げた。
「……はい、ボス! お言いつけに従います……!」
「よし、決まりだ! 今夜、我が『クロノ・ヴェール』の初任務を開始する!」
俺は不敵に笑い、胸の中で「よっしゃあぁぁ!!」と大叫びしていたのだった。
すれ違ったままの熱量が、今夜の初任務に向けて加速していた。
◇
――同刻、深夜。
街の地下深く、冷たく湿った暗闇が広がる地下水道。
重苦しいドブ水のせせらぎが響く迷宮のような水路の開けた場所で、漆黒の法衣を纏った男たちが蠢いていた。
「……準備は整ったな?」
仮面の男が低く問いかけると、部下の男が禍々しい紫色の液体が満たされたガラス瓶を掲げてみせた。古代の禁忌の毒――『魔力伝導毒』だ。
「ハッ。今夜、この中央ろ過槽に毒を投下いたします。明朝には毒が地下水脈を通じて街全体の井戸へと行き渡り、水を使用した民は次々と魔力を暴走させて自滅するでしょう」
「よい。……重力魔導士の素体を逃した穴は、これで完全に補える。……今夜、この街を滅びの混沌へと叩き落とすのだ」
「ハッ! すべては――『漆黒の導師』の御名のもとに」
狂信者たちの邪悪な笑い声が、不気味に地下水道の壁を揺らす。
彼らが今夜、毒の投下を決行すること。
そして同じ今夜、何も知らない11歳の少年たちが「ごっこ遊びの初任務」としてこの地下水道に潜入してくること――。
運命の夜のカウントダウンが、静かに刻まれ始めていた。




