第42話:もう一度、闇の組織を
翌朝。
「クロノ、今日は随分と機嫌がいいんだな?」
朝食の席で、パンにバターを塗りながら父さんが不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
昨日までのどことなく気怠げだった雰囲気が一変し、俺が鼻歌交じりにスープを飲んでいたからだろう。
「ん? そうかな? 普通だよ!」
「いやいや、目がキラキラしているぞ。何か良いことでもあったのか?」
「へへっ、秘密!」
俺はニコリと笑って見せると、残りのパンを口に放り込んだ。
無理もない。胸の奥で燻っていた火種が、昨日の夕方からメラメラと燃え上がっているのだから。
朝の手伝いと算術の勉強も、今日の俺はいつもの三倍のスピードで終わらせた。
「父さん! 今日分の帳簿付け、全部終わったから行ってくるね!」
「お、おう……! 相変わらず速いな……気をつけてな!」
呆気にとられる父さんをあとに、俺は飛ぶような足取りで家を飛び出した。
◆
向かうは、いつものボロ倉庫。
俺たちの――『クロノ・ヴェール』の秘密基地だ。
木扉を押し開け、差し込む日の光の中で俺は昨日見つけた「設定用紙」を机の上に広げた。
ホコリを払い、羊皮紙の端を指でなぞる。
『組織名:クロノ・ヴェール』
『幹部構造:七星……』
「……七人、か」
ぽつりと呟く。
前世の俺が自室のノートに書き殴っていた妄想。
世界を裏から操る闇のボスと、それを支える七人の凄腕幹部『七星』。
(まあ、当時の俺も途中で飽きて、幹部の名前なんて三人分くらいしか考えてなかったんだけどな……)
今いるのは、レオンとリゼ。
俺を入れても三人だ。スカスカも良いところである。
「よし……そろそろ呼ぶか」
俺はポケットから、秘密基地用に作った小さな呼び出しベルを取り出すと、チリンと軽く鳴らした。
◆
それから、わずか十分後。
「――ボス! お呼びでございますか!」
ドガァン! と勢いよくボロ倉庫の扉が開かれ、息を切らせたレオンハルトが飛び込んできた。
相変わらずの驚異的な反応速度である。
「まあ、呼ぶのはいいんだけど……もう少し静かに入ってきてくれないかしら?」
その後ろから、呆れたような溜め息をつきながらリゼリアが姿を現した。
本を小脇に抱えた彼女は、倉庫の中を見回して首をかしげる。
「で? 一体どうしたのよ、クロノ。急に二人同時に呼び出したりして。私はこれから論文の続きを書かなきゃいけないんだけど」
「ふっふっふ……二人とも、よく来てくれた」
俺は木箱の上に腰掛け、あらかじめ仕込んでおいた微小魔法を発動させた。
頬から下にすっと深い影を落とし、声を低く重厚に響かせる。
「……集まってもらったのは、他でもない。二人に大事な提案がある」
「提案……!?」
レオンの瞳がカッと見開かれ、背筋がピンと伸びる。
リゼリアは眉をひそめつつも、俺の次の言葉を黙って待った。
俺は腕を組み、重々しい雰囲気を作り出しながら――言った。
「なあ、二人とも。……もう一回、やらないか?」
静寂。
二人が一瞬、ポカンとした顔になる。
「……何を、ですか?」
レオンの問いかけに、俺はニヤリと口角を上げた。
「決まってんだろ。……『クロノ・ヴェール』だよ」
静まり返る倉庫内。
次の瞬間、二人の反応は見事に真っ二つに分かれた。
「……っ!!」
レオンの顔が、歓喜と感涙で劇的に輝いた。
まるで待ち望んでいた福音を聞いた聖騎士のように、胸の前で深く拳を握りしめている。
一方、リゼリアは引きつった顔で額を押さえた。
「……はぁぁぁ? ちょっと待ちなさいよクロノ。またやるの……!? あれだけの大事件が終わって、やっと平和な日常に戻ったのよ!?」
「何言ってるんだよリゼ。あれは大樹の根の暴走を止めただけで、俺たちの『クロノ・ヴェール』の活動とは別だろ?」
「別って……! あなたねぇ……!」
「それにさ」
俺は周囲のボロ倉庫を見回し、肩をすくめて笑ってみせた。
「せっかくここまで秘密基地も作ったし、指輪とか旗とか小道具も揃えたんだ。このまま放置して終わらせるなんて、もったいないだろ?」
あまりにも軽い、商人の息子らしい『勿体ない』という理由。
リゼリアは開いた口が塞がらないといった様子で呆れ返り、最後に大きな溜め息をついた。
「……ハァ。ほんと、あなたって男は……。まあ、言い出したら聞かないのは分かってるけどさ」
「ってことは……付き合ってくれるか!?」
「仕方ないわね。あなたの突飛なアイデアに付き合うのは、いつものことだし」
ツンと横を向くリゼリア。よし、交渉成立だ!
そして、レオンハルトが万感を込めた様子で前へ躍り出て、恭しく片膝を突いた。
「感服いたしました、クロノ様……! 一昨夜の巨悪を討ち果たしてもなお、奢ることなく影の道を進み続けるその高潔なお心……! このレオンハルト、どこまでも御供いたします!」
「おお、頼むぞレオン!」
俺は満足げに頷き、ポンと手を叩いた。
「よし! これにて――『クロノ・ヴェール』再始動だ!!」
◆
再開の宣言を果たし、俺たちは久しぶりに秘密基地の机を囲んだ。
壁に貼られた黒い布の旗を眺めながら、俺はふと机の上の設定用紙に目を落とした。
「さて、再始動したからには……やっぱり格好つけたいよな」
「格好つける、とは?」
身を乗り出して尋ねてくるレオンに、俺は指で設定用紙の文字をトントンと叩いた。
「ここだよ、ここ。『七星』。やっぱり七人いた方が、闇の組織っぽくてカッコいいだろ? 今は俺たち三人しかいないからさ」
「なるほど……!」
レオンの瞳に、鋭い閃光が走った。
(よしよし、いい反応だ。まあ急いで集める必要もないし、5年か10年くらいかけて、ゆっくり気の合う仲間を増やしていけばいいや)
俺がそんな呑気なことを考えていると、レオンはぶつぶつと恐ろしい勢いで独り言を呟き始めていた。
「……確かに。世界を覆う影となるには、我ら三人では物理的な領域が不足している。王都のみならず、いずれ訪れるであろう全土規模の動乱に備え、今から五年、十年先を見据えた組織構造の再編と幹部の選定……! なんという深謀遠慮……!!」
「……え?」
俺が引きつった声を漏らす間もなく、レオンは感極まった様子で深々と頭を下げた。
「承知いたしました、クロノ様! ボスの御期待に沿うべく、これより『七星』に相応しい真の異才たちの探索と、組織基盤の本格拡充に着手いたします!」
「あ、いや……そんな大層な話じゃなくて、ただ『七星』って言ってるから七人いた方がカッコいいってだけで――」
「ハッ! 直ちに動いてまいります!」
「話聞いてないなコイツ!?」
風のように倉庫を飛び出していく熱血親友の背中を見送りながら、俺は頭を抱えた。
こうして、俺たちの「闇の組織ごっこ」は、相変わらずの認識のズレを抱えたまま、静かに再スタートを切ったのだった。




