第37話:王都へ
「……これ、どこまで続いてんだ?」
俺の呟きに、誰も答えなかった。
ギルドの打ち合わせ室に広げられた北境の地図。その上には、赤と青の印が無数に並んでいる。
赤は、すでに異常を起こした設備。青は、まだ正常に動いているものの、基石の内部にあの不気味な粉末が確認された設備。
最初は、ただのバラバラな点に過ぎなかった。
だが――。
「……待って」
リゼリアが、地図の端に手を伸ばした。
「この位置……少しおかしくない?」
「何がだ?」
「青い印よ。昨日までなら、それぞれ独立した公共設備にしか見えなかった。でも、地脈の流路を重ねてみると……」
リゼリアが地図の上に、魔力を通すと下地が透ける羊皮紙を一枚重ねる。
そこには、あの地下調査で俺たちが確認した魔力の流路――『地脈』の大まかなラインが記されていた。
「……こうなるわ」
赤と青の印。その下を静かに走る、太い一本の地脈。
いくつもの点が、見事なまでにその巨大な流れに沿って一直線に並んでいた。
「……」
レオンハルトが静かに息を呑んだ。
「北境の公共設備は、地脈の流れに沿って配置されている。だから、地上では設備同士に直接の繋がりがなくても……地下の地脈を通せば、全部ひとつの巨大な『系統』として見ることができるわ」
リゼリアの指が、地図の北端からゆっくりと南へ向かって滑っていく。
「北の鉱山跡周辺」
指が止まり、また南へ。
「北境の宿場町」
さらに南へ。
「レディン」
商隊が通ってきたルートと重なるように、指先が南へ下りていく。
「……ここから南へ向かって、地脈の幹線は王都方面へ伸びてるわ」
「王都……?」
俺は思わず乗り出して地図を覗き込んだ。
北境から南へ。いくつもの街。いくつもの中継施設。公式な地図の端を超えて、その地下を一本の巨大な魔力のラインが通っている。
「でも、王都まで繋がってるって決まったわけじゃないだろ?」
「ええ。正確な地下流路はもっと精密に調べないと分からないわ。でも……」
リゼリアは地図の上を指でなぞった。
「少なくとも、北境のローカルな範囲だけで閉じるような狭い流れじゃないわ」
「……」
俺は腕を組んだ。
北境で起きている、妙な故障。地下の水の異変。魔導灯の明滅。地面の揺れ。
そして――何年も前から基石の中で眠っていた、あの粉末。
それらが全部、地下の巨大な流れに沿って繋がっている。
「なあ、リゼ」
「何?」
「この粉末が入ってる場所って、異常が起きてる場所だけじゃないんだよな?」
「ええ。まだ正常に動いている設備にも入っていたわ」
「ってことは……」
俺は地図を見つめた。
「今は何も起きてねぇ場所でも、これから同じように不調が起きる可能性があるってことか?」
「……その可能性は極めて高いわね」
レオンハルトが低く呟いた。
「つまり……」
彼の視線が、地図の南――王都へ向かう街道へ落ちる。
「すでに異常が現れた場所だけではない。まだ静かになっている場所にも、同じ『仕掛け』が存在している……」
「そういうことになるわね」
リゼリアが重く頷く。
「だからこそ問題なのよ」
「問題?」
「私たちが確認できたのは、あくまでレディン周辺まで。これより南に、同じものがどれだけ仕込まれているのか――」
リゼリアが言葉を切った。その先を、誰も口にしなかった。
俺は地図の南端を見つめる。
北境。レディン。そして――王都。
「……」
胸の奥に、妙なざわつきが広がっていく。
嫌な感じだった。
ただの盗賊や密輸組織なら、追いかければいい。怪しい倉庫なら、踏み込めばいい。敵が目の前にいるなら、ぶっ飛ばせばいい。
でも今回の相手は違う。
何年も前から。誰にも気づかれないように。
地面の下へ、何か恐ろしい仕掛けを埋め込んでいた。
そして今、その仕掛けが少しずつ目覚め、動き始めている。
「……レオン」
「はい」
「ここから現場を一つずつ追いかけるより、先回りして王都側を見たほうが早いだろ」
レオンハルトが目を見開いた。
「先回り……ですか!?」
「ああ。流路の先に何があるのかを事前に押さえる」
「……!」
レオンハルトの表情が一変した。
「北境から南へ伸びる地脈。その先に何があるのかを事前に押さえる……!」
「そういうこと。王都側の設備を照合すれば、この『仕掛け』がどこまで侵食しているのかも――」
「一発で分かるかもしれない」
俺がそう言うと、リゼリアも力強く頷いた。
「賛成よ。レディン周辺だけを後追いで調べても、全体像は見えてこないわ」
「決まりだな」
俺は椅子から勢いよく立ち上がった。
「帰るぞ」
「はい!」
レオンハルトも即座に起立する。リゼリアは慌ててテーブルの上の書類をまとめ始めた。
「ちょっと待って。調査記録と採取した粉末、それから地脈の羊皮紙も持っていくわ」
「忘れんなよ」
「誰のせいでこんな大荷物になってると思ってるのよ……」
「俺?」
「そうよ」
「……まあ、いいじゃん」
「よくないわよ」
そんな軽口を叩き合いながら、俺たちは王都へ駆け戻る準備を始めた。
◆
同じ頃。
レディンから北へ、さらに数時間。
人の気配すら絶えた荒涼たる山間部。崩れかけた古き石造りの地下遺構に、一人の男が佇んでいた。
「……報告は?」
暗い地下室。男の前で、黒い外套をまとった部下が片膝をついている。
「はい。レディン周辺の設備に対し、不自然な精密調査が入っております」
「何者だ?」
「……クロノ・アルヴァースと名乗る者たちです」
その名前を聞いた男は、わずかに眉を動かした。
「クロノ……」
男は机の上に広げられた古い羊皮紙へ視線を落とした。
北から南へ一直線に伸びる、地下の巨大な地脈の流路。その上には、幾つもの不気味な魔術印が刻まれている。
「……予定より早いな」
「いかがいたしますか? 調査の妨害に手を回しますか?」
「放っておけ」
「しかし――」
「問題ない」
男は静かに立ち上がった。
長身。深塗りの漆黒の外套。その胸元には、異形の紋章が刻まれている。
「こちらの準備は、すでに終わっている」
「では……」
「北の起点から流れが走り始めた以上、多少の揺らぎが起きるのは折り込み済みだ」
男は地図の北端へ漆黒の手袋を嵌めた指を置いた。
「それに――」
指が、ゆっくりと南へ……王都の方向へと滑っていく。
「一度動き始めた連鎖は、そう簡単には止まらん」
男の口元に、冷徹でかすかな薄笑いが浮かんだ。
「……『冥脈のゲルハルト』様」
部下がその名を畏怖を込めて呟く。
男――ゲルハルトは答えなかった。ただ、地図の上に刻まれた無数の魔術印を見つめていた。その視線の先には――王都がある。
「……クロノ・アルヴァースか」
地の底から響くような低い声が、暗い地下室に沈んでいく。
「せいぜい、追いついてみるがいい」
その頃。まだ誰も知らなかった。
北境の地下深くで始まった異変が――静かに、次の場所へと進み始めていることを。




