第32話:北境の異変
翌朝。
俺たちは、アルヴァース商会の商隊とともに宿場町を出発した。
空はよく晴れている。
昨夜、北から南へ順番に消えていった魔導灯も、朝になれば何事もなかったかのように消えていた。
まるで、何も起きていなかったかのように。
「…………」
俺は荷車の窓から、北の山々を眺めていた。
あの灯りは、何だったんだろう。まだ答えは出ない。けれど――。
妙な胸騒ぎだけは、消えていなかった。
「クロノ様」
向かいに座っていたレオンハルト・フォン・ヴァルハイトが声をかける。
「どうした?」
「もうすぐ北境の拠点都市です」
「ああ」
俺は窓の外を見る。街道の先に、大きな城壁が見えてきた。
「あれが北境の町か」
「正確には北境の主要拠点の一つですね」
リゼリアが補足する。
「この辺りでは一番大きな町よ」
「へえ」
商隊が門へ近づいていく。
城壁の内側には、たくさんの建物が並んでいた。王都ほどではない。けれど、北境の物流拠点だけあって、人の出入りは多かった。
商人、冒険者、兵士、そして魔道具を扱う職人たち。
商隊が門をくぐった、そのときだった。
「……ん?」
俺は街道脇に設置された魔導灯を見た。昼間だから当然、消えている。
――パッ。
一瞬だけ、青白い光が灯った。そして消える。
「まただ」
リゼリアも気づいたらしい。
「ええ」
だが。今度は、それだけでは終わらなかった。
――パチッ。
別の魔導灯が瞬く。少し離れた場所でも。
――パチッ。
「……多いな」
俺が呟く。
町の中へ進むにつれて、魔道具の小さな不調が目につくようになった。
「暖房用の魔道具が止まった?」
「さっき直したばかりなのに……」
「予備の部品はあるか?」
「また魔導灯が……」
職人や商人たちが口々に話している。どれも、単独なら珍しくない。
だが――。ここまで重なると、さすがに気になる。
「昨日の修理部品の話……」
リゼリアが呟いた。
「ああ」
俺も頷く。
北境で増えているという、魔道具の修理部品。その理由が、少しだけ見えてきた気がした。
「商会の集配所は、この先です」
商会員が前方を指差す。俺たちは荷車を降りた。
その直後だった。
――バチッ!!
突然、通りの商店の暖房用魔導具から不気味な火花が散り、一斉に駆動音が止まった。
井戸の魔導揚水ポンプが唸りを上げ、通りの魔導看板の明かりが瞬時に消え去る。
「な、なんだ!?」
「また止まったぞ!」「いや、一斉にか!?」
住人たちが混乱の声を上げた、まさにその瞬間――。
――ドンッ!!
「……!」
地面が跳ねるように揺れた。ほんの一瞬。だが、明らかに分かる突発的な大揺れだった。
「地震!?」
誰かが叫ぶ。荷車が大きく揺れ、積まれていた木箱がガラガラと崩れ落ちる。
「うわっ!」
近くにいた商人が尻餅をついた。馬が嘶き、通りの人々が一斉に悲鳴を上げ始める。
「落ち着いて!」
「馬を押さえろ!」
「建物から離れろ!」
そこへ――。
――ゴォォォン……。
地の底から響く重低音が、町全体を震わせた。
「…………!」
さっきより重い。建物の窓が激しく震え、棚から商品が落ちる。
「クロノ様!」
レオンがこちらを見る。
「分かってる!」
俺は周囲を見回した。人が多い。建物も多い。このまま揺れが続けば、怪我人が出る。
――その瞬間。
「……おい、怪我人は!?」
気づけば、口から声が出ていた。
「え?」
リゼリアがこちらを見る。
「怪我した奴はいないか!?」
俺は周囲へ声を張った。
「動ける奴は、倒れた人を外へ!」
「承知しました!」
レオンが即座に動いた。
「そこの二人、建物から離れてください! こちらへ!」
通りにいた人間を安全な場所へ誘導する。リゼリアも倒れた荷箱のそばへ駆け寄った。
「この人、足を挟まれてる!」
「レオン!」
「はい!」
二人がかりで木箱を持ち上げる。俺も反対側へ回った。
「せーの!」
箱をどかす。
「動かせるか!?」
「……っ、はい!」
「なら、こっちへ!」
怪我人を安全な場所まで運ぶ。その間にも、町のあちこちで悲鳴が上がっていた。
保温具が止まり、工房の魔導工具が沈黙する。
「何なんだ、これ……」
俺は周囲を見回した。ただの地震じゃない。そんな気がした。
魔道具が一斉に止まり、直後に地面が揺れた。まるで――町そのものがおかしくなっている。
「クロノ!」
リゼリアの声が飛んできた。
「こっち!」
俺たちが駆け寄る。彼女は動かなくなった一台の魔道具を調べていた。
「壊れてるのか?」
「違う」
「え?」
「内部に損傷がない」
リゼリアは魔道具へ魔力を流す。一瞬、淡い光が灯った。しかし――ふっと消える。
「……今の」
「魔力が消えた?」
「違うわ」
リゼリアは眉を寄せた。
「魔力そのものが、途中で引きつるように乱されてる」
「乱されてる?」
「ええ。回路が壊れてるわけじゃないわ。魔道具も正常。でも、周囲の魔力の流れそのものがおかしい」
「…………」
俺は黙って周囲を見た。
その直後。町の北側から、けたたましい叫び声が聞こえた。
「何だ!?」
通りの向こうから、人々が悲鳴を上げて逃げてくる。
「魔物だ!」
「森から出てきたぞ!」
「こっちへ来る!」
「魔物?」
俺は振り返った。
北側の街道の向こうから、一頭の魔物が姿を現した。大型の獣。普段なら人里近くまで降りてくるような種類ではない。
だが今は、明らかに様子がおかしい。怯えている。興奮している。何か恐ろしいものから逃げるように、パニックを起こしてこちらへ向かって走ってくる。
「危ない!」
「クロノ様!」
「分かってる!」
俺は前へ出た。魔物がこちらへ飛びかかってくる。
「レオン!」
「はい!」
レオンが前へ出る。剣が閃き、魔物の突進を強引に横へ逸らす。
「リゼ!」
「任せて!」
リゼリアの魔法が地面を走り、魔物の足元を拘束する。
「今だ!」
俺は一気に距離を詰め、魔力を込めた一撃を叩き込んだ。
「――っ!」
魔物が地面へ転がり、やがて動かなくなる。
「……ふう」
俺は息を吐いた。
「なんで、こんなところに……」
リゼリアが魔物を見つめる。
「人里を避ける種類なのに、ここまで入ってきたわ」
「……つまり?」
「何かに追われたか、何かに怯えている可能性がある」
俺は北を見る。遠くの山々。その向こう。昨日の夜、灯りが消えていった方向。
「…………」
そのときだった。
――ゴォォォン。
また地面が鳴った。今度は、さっきよりも遠く。北の方角から。
「…………」
町の人々も、一斉に北を見る。誰も口を開かない。ただ、遠くから響いてくる低い音だけが、静かに町を包んでいた。
そして。
昼間の日差しの中、通りのあちこちに設置された魔導灯が、いくつも同時に不規則に明滅した。
――パッ、パッ、パッ。
青白い光が不気味に瞬き、すぐに消える。
「……これ」
リゼリアが隣に立つ。
「昨日から続いてるわね」
「ああ」
レオンも北を見る。
「クロノ様」
「ん?」
「この町だけの問題では、ないかもしれません」
「……どういうことだ?」
レオンは答えなかった。ただ、北の山々を見つめている。
俺も同じ方向を見る。
まだ何も分からない。原因も。正体も。これから何が起きるのかも。
ただ一つ。
昨日までなら「妙な不調」で済ませられたものが――。
今日はもう。誰の目にも明らかな「異変」になっていた。
北境で。何かが、始まっている。




