第29話:北境で起きていること
夕刻。
王都の街並みが茜色から群青色へと溶けていく時間帯。
俺――クロノ・アルヴァースは、旅装の襟元を正しながら、裏通りの狭い露地に足を踏み入れていた。
左右を固めるのは、黒い騎士甲冑を静かに鳴らす右腕のレオンハルトと、腰のポーチを気にする風の魔導士リゼリア。
「相変わらず、しんみりした場所を指定してくるね……」
「フッ……闇の情報と取引するには、これくらい翳りのあるロケーションが相応しいのさ」
「はいはい」
リゼリアの軽いため息を背に受けつつ、突き当たりにある崩れかけたレンガ壁の陰へと曲がる。
そこにはすでに、大きめの外套のフードをかぶった銀髪の小柄な少女が、壁に背を預けて佇んでいた。
フードの陰から、紫の瞳が暗がり越しにこちらをじっと見つめている。
情報屋の少女だ。
「随分と急な呼び出しだったな。俺たちの動向をそこまで注視していたとは……」
俺が口元に不敵な笑みを浮かべると、少女は紫の瞳をわずかに細めてジト目を向けてきた。
「自惚れないでよ。あんたたちが北の鉱山跡周辺を嗅ぎ回ってるって噂を耳にしただけ。ちょうど売れる情報があったから、声をかけてあげたの」
「くくっ、素直じゃないな。まあいい」
相変わらず商売っ気たっぷりの冷徹な態度。だが、それがいい。俺たちは馴れ合いの仲間ではなく、利害で繋がる暗闘のビジネスパートナーなのだから。
「それで? どんな情報を掴んだ?」
「焦らないでよ。まずは……あんたたちが持って帰ってきた『ソレ』を見せて」
少女の視線が、俺の腰の革袋に注がれる。
俺はふっと鼻で笑い、革袋からあの青白い魔導鉱石を取り出し、掌の上で提示してみせた。
その瞬間。
「……ッ」
少女の息が、わずかに呑み込まれる音がした。
紫の瞳が小さく見開かれ、結晶の奥で淡く不気味に蠢く青い光を睨みつける。
「……それ、どこで手に入れたの?」
「北の鉱山跡だ。地下の保管庫に大量に眠っていたうちの、ほんの一粒に過ぎんがな」
「……やっぱり。あそこにも流れてたんだ……」
少女がぽつりと漏らした言葉に、リゼリアが敏感に反応する。
「『あそこにも』って……どういうこと?」
「言葉通りの意味よ」
少女は壁から背を離し、大きめの外套の裾を軽く整えながら腕を組んだ。
「あんたたちが王都で遊んでる間にね、北境のほうじゃ、ちょっとした『変な現象』がいくつも報告され始めてるの」
「変な現象……?」
「ええ。たとえば――」
少女は細い指を一本ずつ折り曲げながら、静かな声で淡々と語り始めた。
「特定の集落で、街灯の魔導灯が夕暮れ時に一斉に暗くなる。魔力式の暖房具が一瞬だけ動かなくなる。防壁の簡易結界が、数分間だけ謎の電圧低下を起こす。地下水の脈が不自然に途切れて、夜中に地面の底から『ドン……』っていう低い地鳴りが響く……」
少女の提示した内容は、一見するとどれも脈絡のない、たわいもない小規模な不具合だった。
「なんだ、それだけか?」
俺が肩をすくめると、少女は冷ややかな視線を返してきた。
「一つ一つなら、ただの老朽化や寒波のせいとして処理されてるわ。行政も『いつもの設備不良』って一蹴してる。……でもね、私が気になってるのは、その発生時期がすべて完全に一致してることよ」
「時期が……?」
「そう。先週から今週にかけて、北境の複数の街道や村で、同時に起き始めてる。……そして、その現象の波は、すべて『北』から始まってるわ」
「ふむ……」
俺は顎に手を当て、軽く思考を巡らせた。
「全部、北から起きてるのか。なら……単なる機器の老朽化や偶然ってわけじゃないな」
ごく当たり前の事実を口にした、その時だった。
後ろに控えていたレオンハルトの体躯が、ガタッと大きく震えた。
「……ッ!! なるほど……!!」
「(うおっ!?)」
いきなり大声を出したレオンハルトに、俺は心臓が跳ね上がりそうになるのを必死で耐えた。
レオンハルトは血走った眼光で、俺の背中を熱烈に見つめている。
「流石はボス……! 発生した個別の怪奇現象にとらわれず、それらが発生した『方角のベクトル』を瞬時に繋ぎ合わせ、一つの『志向性を持った攻撃』として見抜かれるとは……!」
「あ、ああ……(いや、単に北から順番に起きてるなら偶然じゃないだろって言っただけなんだけど……)」
俺の心の中の困惑など露知らず、レオンハルトは「くっ……このレオンハルト、またしてもボスの深謀遠慮の万分の一も察することができず……!」と一人で苦悩し始めていた。相変わらず右腕の暴暴速度が速すぎる。
少女は呆れたようにレオンハルトを一瞥すると、話を元に戻した。
「……まあ、その騎士様が言う通りよ。で、もう一つ、怪しい動きがあるわ」
「なんだ?」
「最近、北境へ向かう商人や闇ブローカーの間で、『特定の性質を持つ魔導鉱石』を大量に買い漁っている連中がいるって噂が出回ってる」
「特定の魔導鉱石……まさか、これか?」
俺が掌の青い結晶を指差すと、少女は頷いた。
「おそらくね。買い集められている場所は、王都の裏市場、北の鉱山跡周辺、商隊の経由地……あまりにもバラバラで大規模よ。とても一企業の買い付け量じゃない」
「誰がそんな真似を? 組織の名前は掴めているのか?」
俺が問うと、少女は首を横に振った。
「分からないわ。買い手は複数のダミー会社や仲介人を挟んでるし、支払いも毎回別々の金庫から出されてる。足跡が綺麗に消されてるの。……ただ、これだけ大掛かりで不気味な動きができる連中なんて、限られてるでしょ」
「……『漆黒の導師』、か」
俺が呟くと、少女は否定も肯定もせず、ただ紫の瞳を静かに細めた。
あの組織。過去に魔力伝導毒などで王国を揺るがそうとした、不気味で残忍な悪の根源。
俺たちがまだ知らないところで、奴らがまた新たな、より巨大で途方もない企みを蠢かせている。
(……ふっ、前世で俺がノートに書き殴った名前を冠する組織が、こうも毎回大掛かりに暗躍してくれるとはな……)
俺の胸の中で、黒幕(を目指す者)としての昂ぶりと、激しい居心地の悪さが同時に跳ね上がった。
「……ふっ、面白くなってきたじゃないか」
「面白がってる場合じゃないと思うけど?」
リゼリアが腕を組んで眉をひそめる。
「王都から北へ運ばれる不気味な鉱石。北境で同時に起きている謎の不調。そして『漆黒の導師』の影……。絶対に裏で繋がってるよね」
「ああ」
俺は鉱石を革袋にしまい込むと、力強く頷いた。
「北境へ行くぞ」
「やっぱりそうなるんだね」
「当たり前だろ。現場で何が起きているのか、この目で直接確かめないことには始まらない」
机上の空論ではなく、自ら渦中へ飛び込んで真相を暴く。これが俺の流儀だ。
すると、レオンハルトが再び感極まったように胸に手を当てた。
「……感服いたしました、ボス! 間接的な情報に惑わされず、敵の真の目的――その『現場(起点)』を直接叩くことで、敵の計画全体を根底から瓦解させるおつもりですね!」
「……まあ、概ねそんなところだ(いや、現場に行かないと何も分からないから行くだけなんだけど……)」
俺は引きつりそうになる口角を必死で抑え、堂々と胸を張ってみせた。
「で……情報屋。今回の情報料はいくらだ?」
「銀貨五枚」
「高っ!?」
即座に叫んだのはリゼリアだった。少女は悪びれもせずに肩をすくめる。
「北境の最新の闇情報よ? これでも勉強したほうなんだけど」
「くくっ、いいだろう。価値ある情報には相応の対価を支払うのが礼儀だ」
俺は懐から銀貨五枚を取り出し、少女の手のひらにジャラリと落とした。
少女は銀貨の重みを確かめると、素早く大きめの外套のポケットにしまい込み、少しだけ表情を曇らせた。
「……本当に行くの? 北境へ」
「ああ」
「王都みたいにぬくぬく安全な場所じゃないわよ。最近の北境は、怪しい連中も増えて治安も最悪だし」
「ふっ……危険だからこそ、俺が行く意味があるのさ」
俺が格好つけて黒外套の裾を翻そうとした、その時。
「ふーん。まあ、途中で野垂れ死んだら、その情報料は返してもらうからね」
「心配の方向性がおかしいだろ!?」
俺のツッコミに、少女はフッと小さく口元を緩めた。
完全な仲間ではない。だが、コインの重みで繋がるこのドライで確かな距離感。嫌いじゃない。
少女は背を向け、暗がりへ消えかける間際、足を止めて振り返った。
「……それと、最後に一つだけ忠告」
「忠告?」
「北境へ行くなら、街道の夜道には気をつけることね。最近、不気味な噂が流れてるの」
少女の声が、一段と低くなる。
「夜になるとね……誰もいないはずの街道沿いで、魔導灯が一つずつ消えていくらしいわ」
「……灯りが?」
「そう。一つ消える。少し時間が経つと、その先にある灯りがまた一つ消える。……まるで、目に見えない何かが、北からこちらへ向かってゆっくり進んできているみたいにね」
――それだけ言い残すと、少女の姿は大きめの外套を翻し、夜の闇の中に完全に溶けて消えた。
「…………」
静まり返る裏通り。
北から南へ、一つずつ消えていく灯り。
その意味を、俺たちはまだ知らなかった――。




