第2話:異端の天才少女
昨日の今日で、俺――クロノ・アルヴァースは、興奮と困惑の入り混じった妙なテンションの中にいた。
(……いや、待て待て待て)
実家である『アルヴァース商会』の裏手、商品の木箱に腰掛けながら俺は一人、自分の手のひらを見つめていた。
放課後の「闇の組織ごっこ」。
昨日は思わず調子に乗って、『幹部は最低七人欲しい(七星)』だの『組織の紋章が欲しい』だの、前世の厨二妄想を全力でぶちまけてしまった。
そしたらレオンのやつ、先週俺が何気なくつぶやいた指輪の試作品を本物の職人に作らせて持ってくるわ、路地裏のごろつきと接触して本物の「情報網の第一歩」を築き上げていただろう。
(……俺の妄想が、本当に形になり始めてる……?)
思い返すたびに、じわじわと頬の筋肉がゆるんでいく。
前世の高校時代、才能も金も無くて何一つ作れなかったあの「理想の闇の組織」。それが今、親友の手によって目の前で現実の物体として組み上がっていっているのだ。
(すげぇ……。俺の組織、めちゃくちゃ格好いいじゃん……!! やっぱり闇の組織って最高だな!!)
胸の奥から湧き上がる熱い歓喜。前世からの夢が叶いつつある感動に、俺はひとりガッツポーズを決めた。
……ただし。ほんの少しだけ、問題があった。
『次のご指示を、ボス』
昨日の去り際、あの真剣そのものの目でレオンに言われた言葉が頭をよぎる。
(……いや、次の方針とか、実際の組織運営なんて俺に分かるわけないだろ!)
俺が考えるのは、もっとこう……格好いい名前とか、秘密基地の構造とか、幹部の肩書きとか、そういうやつなのだ。難しい実務は全部レオンに任せよう。あいつ、なんかすごそうだし!
(よし! とりあえず今日は、普通に街へ遊びに行こう!)
俺は前向きに開き直ると、木箱から飛び降りて、ウキウキした足取りで賑やかな中央通りへと向かった。
◇
昼下がりの街は、買い物客や商人たちで賑わっていた。
焼き立てのパンの香ばしい匂い。露店商たちの威勢のいい声。
(次に集会をやるときは、もっと黒幕っぽい格好いい台詞を考えていこうかな)なんて脳内で妄想を膨らませていた、その時だった。
「――ひっ、逃げろおぉぉっ!?」
「暴走だ! またあのアクマのガキが暴れてやがるぞ!!」
前方から悲鳴が上がり、人々が蜘蛛の子を散らすように逃げ走ってきた。
通りの中央に、ぽっかりと人が居ない「空白の領域」が出来上がっている。
「な……なんだこれ……!?」
俺は目を見張った。
石畳がメキメキと音を立てて浮き上がり、路地の木箱や桶が、まるで重力を失ったかのように宙を漂っている。空間そのものが陽炎のようにぐにゃりと歪んでいた。
その中心に、一人の少女がへたり込んでいた。
13歳くらいだろうか。ぼろぼろの服を纏った、銀髪の美しい少女だ。
「ち、違う……違うの……っ! 止まって……お願い……!!」
少女は頭を抱え、必死に胸元に手を当てていた。
彼女が恐怖で肩を震わせるたびに、周囲の重力が狂い、浮かび上がった石畳がバキバキと砕け散っていく。魔力の暴走だ。
「近寄るな、バケモノめ!」
「衛兵を呼べ! あのガキを早く拘束しろ!」
遠巻きに取り囲む大人たちが、恐怖に顔を歪ませて怒号を浴びせる。
少女――リゼリアは、迫害の視線に晒され、いっそう小さく身を縮めて泣き叫んだ。
「来ないで……! 私に近づかないで……っ!」
大人たちが「恐ろしい悪魔」と怯えて逃げ惑う中――俺の胸の中に湧き上がったのは、恐怖ではなく、圧倒的な「純粋な感動」だった。
(うわ、すっげぇぇぇぇ……!!)
宙に浮かぶ石畳。歪む空間。
前世のフィクションでしか見たことがなかった「本物の凄腕魔導士の怪力」が、目の前に広がっているのだ。
(壊したくて壊してるんじゃないな。こんなに怯えてるんだから、そりゃ魔法も上手く制御できないよな)
俺はひらりと浮遊する石畳を避けながら、ごく普通の足取りで、目を輝かせて少女の方へと歩き出した。
「おい! ガキ、死にたいのか!? 近づくな!」
後ろで大人が叫ぶ声を無視して、じゃり、と靴底を鳴らす。
少女が涙に濡れた顔を跳ね上げた。アメジスト色の綺麗な瞳。
「な、なんで……来ないでっ! 私……また、壊しちゃう……っ!」
「どうして?」
俺は彼女の数歩前で立ち止まり、首をかしげた。
「え……?」
「壊したくないから、そうやって必死に抑えようとしてるんだろ? だったら、壊さなきゃいいじゃん」
拍子抜けするほど軽い俺の返答に、少女は呆然と口ぐちを挟んだ。
「な、何を言ってるの、あなた……! 私の魔法が暴走してるのよ!? 怖くないの……!?」
俺はふと頭上を見上げた。ゆらゆらと宙に浮かぶ巨大な石畳。
「うーん……怖いっていうより……」
俺は心の底からの大絶賛を、言葉にして呟いた。
「すごいな。こんな魔法、俺には絶対できないよ」
「……え?」
「俺なんてさ、顔に影を落としたり声を低く響かせる程度の影魔法しか使えないんだ。こんな空間を浮かせちゃうような大魔法、見たこともない。本気で格好いいよ」
少女の思考が完全にフリーズした。
街の誰もが「悪魔の力」と恐れた彼女の魔力を、目の前の同世代に見える少年は――ただの「最高に格好いい大魔法」として手放しで褒めちぎったのだ。
「私……私は……化物じゃ、ないの……?」
「化物? なんで? ただちょっと、魔法の出力が大きすぎる凄腕の魔導士なだけでしょ?」
俺はクスッと笑い、へたり込む彼女の前にしゃがみ込んだ。
「大丈夫だ。そんなに怯えなくても、誰も君を責めたりしないよ」
そっと、優しい声をかける。
「自分を恐れない存在」が目の前に現れ、手放しで肯定されたことで、少女の激しい動悸が少しずつ収まっていった。
精神の安定に伴い、暴走していた魔力がすーっと静まり返っていく。
浮いていた石畳や木箱が、ひとつ、またひとつと、ゆっくり地面へと落ちていった。
「あ……魔法が……収まった……?」
少女は自分の手のひらを見つめ、それから信じられないように俺を見た。
生まれて初めて、自分の力で暴走を抑え込めたのだ。
俺は笑って、彼女に手を差し出した。
「俺はクロノ。君の名前は?」
「……リゼリア。……リゼリア・ノクティス……」
「リゼリアか。じゃあ、リゼでいい? よろしくな、リゼ」
リゼは差し出された俺の手を、涙を浮かべながらそっと両手で握り返してきた。
「クロノ……くん。……私みたいな人間でも……誰かの役に立てると思う?」
孤独の底から絞り出された切実な質問に、俺は間髪入れずに即答した。
「当たり前だろ! そんなに凄い魔法が使えるんだから!」
そして俺は、脳裏に浮かんだ『最高のイメージ』に胸を躍らせながら、言葉を続けた。
「実はさ、俺たち今、仲間を探してるんだ。普通じゃない奴の方が面白くて格好いいだろ? 君みたいな凄い魔導士が俺たちの『クロノ・ヴェール』に来てくれたら、絶対最高になるんだけどな!」
(こんな凄い魔法演出ができる子が仲間になってくれたら、俺たちの組織、めちゃくちゃ格好良くなっちゃうじゃん!!)
ただの純粋な「ごっこ遊びの仲間」へのスカウト。
だが――リゼの目から、ぽろりと大粒の涙が溢れ落ちた。
『私を必要としてくれる場所がある』
その言葉は、暗闇にいた彼女にとって、居場所を与える真実の光だった。
「……私を。……私を、あなたたちの仲間にしてください……!」
深々と頭を下げて頼み込んでくるリゼを見て、俺は内心でガッツポーズを決めていた。
(やったぁぁぁぁ!! この子も乗ってくれた!! こんな本格的な魔法が使える仲間ができるなんて、俺の『クロノ・ヴェール』最高すぎるだろ!!)
◇
「――というわけで、新しい仲間のリゼだ!」
夕暮れ時。いつものボロ倉庫にて。
俺はレオンの前に、リゼを引き連れてやってきた。
「……」
レオンは無言でリゼを見つめ、リゼもまた緊張した面持ちでレオンを見返している。
数十秒の緊張感漂う沈黙の後――レオンがスッと目を細め、深々と頭を下げた。
「……なるほど。さすがはボスです」
「え?」
「『七星』の構想を語られた翌日に、これほどの逸材を自ら見つけ出し、配下に収められるとは……。私の浅慮など遥かに及ばぬ、恐るべきお手配にございます」
(えっ……配下? いや、一緒に遊ぶ仲間だよ??)
俺が困惑していると、リゼもまた緊張しながらもまっすぐな瞳で俺を見つめ、静かに頭を下げた。
「我が名はリゼリア。……ボス。私に居場所を下さった御恩……私、頑張ります。この力を、今度は誰かのために使いたい……!」
(健気だなぁ……! ごっこ遊びにここまで真面目に取り組んでくれるなんて、本当にいい子だ!)
レオンは「素晴らしい心構えだ」と満足げに頷き、リゼは「この方の力になりたい……!」と瞳を輝かせている。
二人の間で、なぜか完璧に成立してしまっている『深謀遠慮の絶対的ボスと、彼に忠誠を誓う二人目の幹部』という構図。
俺だけがその輪の外で、ひそかに冷や汗をダラダラと流していた。
(……えっ、なんか俺の妄想以上に凄まじいスピードで話が進んでないか……??)
勘違いと狂信の輪がさらに一人分広がったことを、クロノはまだ、何一つ理解していなかった。




