第23話:遠征の準備
翌朝。
王都の片隅にあるいつものボロ倉庫の中央には、普段の日常捜査とは違う物々しい装備が並べられていた。
手提げランタン二つ、予備の油瓶、太い麻ロープ、水筒、防寒用の厚手の毛布、さらには簡単な包帯や消毒薬の入った医療小袋まで。
丸テーブルの上に広げられた道具を前に、俺――クロノ・アルヴァースは、黒ローブの腕を組んで大満足で胸を張っていた。
(ふっふっふ……秘密組織のボスたるもの、山奥の敵アジトへの遠征にあたって野営や調査の備えまで完璧にしておくのが格好いいからな! 『備えあれば憂いなし』ってやつだ!)
前世で読んだ数々の冒険小説やファンタジー作品の主人公になった気分で、俺は胸の中で大はしゃぎしていた。
隣に立つレオンハルトが、紫紺の瞳を細めて静かに道具を改めた。
「ボス。北の鉱山跡まではかなりの距離がございます。現地での調査に時間がかかり、今日中に戻れない可能性も考慮し、多めに保存食と油を用意しておきました」
「おう! ナイスだレオン! 一応家にも、今日は帰りが遅くなるかもしれないって伝えてあるからな。準備は万全だぜ!」
(まあ、少し帰りが遅くなっても、レオンと一緒なら親も心配しないだろ!)
俺がさらに荷物を見回していると、ふと思いついて棚から黒い布地を取り出した。
「よし、あとは黒ローブの予備も持っていくか!」
レオンが真顔で首を傾げた。
「……ボス。ローブの予備まで必要なのでございますか?」
「当たり前だろ! 山奥で泥だらけになったり破けたりしたら、秘密組織の威厳が台無しじゃないか!」
「……なるほど。当方の威容を保ち、敵へ圧力を掛け続けるための御配慮……感服いたしました」
(いや、泥だらけだとカッコ悪いからだけど!?)
俺は並べられた荷物を見下ろして首を傾げた。
「しかし……北の鉱山跡までこれだけの荷物を持って歩いていくのは、流石に重いし大変そうだな……」
すると、レオンハルトが恭しく一歩前へ出た。
「それでしたらボス、私が近くの馬車貸しの店へ行き、小型の荷馬車を一台借りてまいります。これだけの荷物であれば、馬車を用いた方が体力を温存できます」
「おおっ! 荷馬車か! それだ!」
「では、少々お待ちください」
レオンは一礼すると、静かにボロ倉庫を出て行った。
俺とリゼリアは倉庫に残された保存食の袋を検分し始めた。
「これ、乾燥肉と堅焼きパンが三日分くらいあるよ、クロノ」
「三日分!? レオンのやつ、めちゃくちゃ念入りに準備したな……。でもまあ、泊まりになっても困らないように備えておくのは悪くないな!」
リゼリアは自分の小さなバッグをぽんぽんと叩いた。
「私のほうも、明かりの魔法や、周囲の気配を探る探知魔法の準備はバッチリだよ。でも、長時間使うと魔力を消費しちゃうから、やっぱりランタンも持って行った方が安心だね」
「おう! 魔法とランタンの二重準備……完璧じゃないか!」
二人で手分けして荷物をまとめていると――やがて倉庫の外から、ガラガラと軽快な車輪の音が近づいてきた。
「おっ! 来たか!」
扉を開けると、倉庫の前に一頭立ての小ぶりな木製荷馬車が停まっていた。
御者台から降り立ったレオンハルトが手綱をまとめ、静かに言った。
「お待たせいたしました、ボス。小型の荷馬車を一台借りてまいりました」
俺はパッと目を輝かせた。
「うおぉぉ……! 秘密組織の遠征に荷馬車! めちゃくちゃそれっぽいじゃないか!」
レオンは手綱の扱いに慣れた手つきで馬の首筋を優しく撫でると、手分けして荷台へ革袋や毛布を積み込んでいった。ランタンやロープなど、すぐ使う道具は取り出しやすい位置へ、重い水筒や予備の油は荷台の奥へと配置していく。
◇
すべての積み込みが終わった、その時だった。
倉庫の入り口の物陰から、大きめの外套のフードをかぶった少女――情報屋がそっと歩み出てきた。
俺は驚いて振り返った。
「情報屋!? なんでここに……!?」
少女はいつもと変わらない冷めた瞳で俺たちを一瞥すると、手元の小さな帳面を開き、静かに視線を落とした。
「……あの北の鉱山跡は数年前に閉山して、今では誰も近づかないはずの場所よ。でも……近隣の村で話を聞いたら、ここ最近の深夜、旧街道から山道へ向かって黒い馬車が走っていくのが度々目撃されているわ」
俺は息をのんだ。
「やっぱり、あの黒い馬車の行き先は北の鉱山跡で間違いなさそうだな!」
「……断定はできないわ。ただ、時期と経路は一致している。……それに、第3坑道は一番奥にあって、昔から落盤の危険もある場所よ。行くなら気をつけることね」
「情報屋は一緒に来ないのか?」
「私は私で別の調査があるわ。あなたたちに付き合うつもりはないわよ」
「そっか! サンキュな! 秘密結社『クロノ・ヴェール』の初遠征、バッチリ決めてくるぜ!」
「……そう」
少女はそれだけ言うと、帳面をパタンと閉じ、背を向けて街並みの中へと静かに消えていった。
◇
昼前。準備を完璧に整えた俺たちは、小型荷馬車に乗り込んで王都の北門を出発した。
御者台に座るのは、手綱を滑らかにしごくレオンハルト。
荷台には黒ローブ姿の俺とリゼリアが並んで座り、揺れる馬車の中で旧街道の景色を眺めていた。
街の喧騒が遠ざかり、街道の周囲は鬱蒼とした深い森林へと変わっていく。
昨日通った茶屋や古い館を通り過ぎ、馬車はさらに北へと進んでいった。
やがて夕刻近く。かつて舗装されていた道は徐々に細くなり、馬車の車輪が路上に転がる大きな石にゴトゴトと乗り上げるようになった。馬の歩みも少しずつ鈍くなっていく。
木々が密に覆いかぶさり、山から冷たい風が吹き抜けて視界が悪くなり始めていた。
御者台のレオンハルトが、馬の歩みを止めて振り返った。
「ボス。この先は勾配が急になり、道も荒れております。暗闇の中で馬車を進めるのは滑落の危険がございます。本日の移動はここまでとし、山道の手前で野営の準備を整えるのが賢明かと存じます」
俺は空を見上げた。山間の空はすでに茜色から深い群青色へと染まりつつあった。
「よし! 無理して暗い山道を進むのは危ないからな。今日はここで野営の準備をしようぜ!」
俺たちは街道脇の安全な平地に馬車を停めた。レオンハルトが馬を落ち着かせ、荷台から毛布と手提げランタンを取り出す。周囲の落ち枝を集めてレオンが静かに火を起こすと、リゼリアがランタンに明かりを入れた。
揺らめく焚き火の火を見つめながら、明日足を踏み入れることになる『北の鉱山跡』を見上げるように、クロノたちの夜は静かに更けていくのだった――。




