93.疑心
―――――ラティエース・ミルドゥナに暗殺されたそうよ?
思考が停止する。単語の一つ一つを、丹念に繋げる作業をしてようやく意味を飲み下す。
(父上が・・・・・・。死んだ?)
「ラティエースって、確か追放された令嬢よね?」
呆然とするマクシミリアンに、ドローレスは容赦なく畳みかける。
「よくは知らないけど、その場にはアレックス・リース皇太子殿下、ブルーノ・ミルドゥナ侯爵もいたそうじゃない?」
(よくは知らないのに、なぜ、二人がいることを知っている?)
「ケイオス一世陛下は、貴族と帝室の間に波風を立てないよう細心の注意を払って譲位する算段を付けていたのにね。あれかしら?急に帝位の魅力に気づいて焦ったのかしら?」
(違う。アレックスは帝位なんて望んでいなかった。俺が、そうさせたんだ)
「でも、ママ。次の皇帝はアレックス君じゃなくて、親戚の人なんでしょう?」
(それは、アレックスが少しでも皇帝の地位を永続させて平和な世にするためで・・・・・・)
そう心で叫んでも、もう一方からどす黒い何かが忍び寄ってくる。まるでドローレスに呼び起こされるかのように。
「でも、その方は傀儡っていうじゃない。裏では実質的にミルドゥナ大公家の息のかかった人たちが政治を執り行うんでしょう?ほら、ダルウィン公爵だって娘が大罪人なのに、ピンピンしてるじゃない」
(大罪人?エレノアは俺を止めただけだ。それに、エレノア達が俺たちの処刑を望まなかったから、俺たちはこうして生きていられる)
――――そうだよ。皇帝の座は、本当は、本当は、俺のものだったんだ。
「うーん。アレックス君とブルーノ君、そんなことするかなぁ?」
「人は変るのよ、バーネットちゃん」
――――そうだよ。命を惜しむなら、俺の立場も守ってくれたってよかったんじゃないか?あいつらは俺の友人である前に臣下だろう。
頭が混乱する。クラクラして眩暈もする。落ち着け、と深呼吸しようと息を吸ったときだった。
「とと様?」
あどけない声でアーシアが呼ばわる。応接間の入り口の縁に手をかけ、上目遣いで愛娘がマクシミリアンを見つめていた。
マクシミリアンと同じ深紅の瞳をした娘が心配そうにこちらの様子を窺っている。
「とと様?痛い?」
不思議だった。頭に血が上り、沸騰して爆発しそうな怒りが、手品のようにパッと消える。
「ああ・・・・・・。痛くないよ」
そう言って、マクシミリアンはアーシアを抱き上げた。小さなもみじのような手がマクシミリアンの頬に触れる。
「とと様。おひげ、痛いよ」
そう言いながら、アーシアが自身の頬をマクシミリアンにこすりつけてくる。
「そうか、ごめんな・・・・・・」
(俺は、ここの生活を守らなきゃいけないんだ)
夜更け。
ドローレスはモードン領の宿場町に移動し、宿で休息していた。
窓辺の椅子に座り、ワイングラスを片手に嘆息する。
「あの娘、邪魔ねぇ・・・・・・」
「ならば、遠ざければよいのでは?」
その声は、ベッドに腰掛けた男から発せられたものであった。
「どうやって?」
妖艶な微笑を浮かべてドローレスは男を見やる。
「方法はいくつもありますが、殺しはなしです。腐っても蒼の一族の血を引いていますので。わが主はマクシミリアン様のご息女を害することは望んではいない。利用することは問題ないようですが」
「あら。でも、一度、皇族籍を抜けた皇子や皇女の子どもって、親が皇族籍に復活しても血の色は戻らないって聞くわよ」
「ええ。ですが、使い道はあります。アーシア様はある意味、有名ですから」
「そうねぇ」
「現在、マクシミリアン様は領地外の出入りを禁止されています。マクシミリアン様には、監視がついており、支持する貴族は容易に近づけません」
「だから、わたしが送り込まれたのでしょう?」
ドローレスは偽名を使ってロザ帝国モードン領に入り、アークロッド伯爵領にも難なく入り込むことができた。ドローレスも謀反人の一派であることには変わりないが、帝都ならまだしもこんな田舎にドローレスの姿見が出回っているわけでもない。監視もまさか一度は捨て去った娘を訪れる母親がいるとは思っていないだろう。
「ええ。しかし、昔よりは賢くなったようで」
「あんなのまだまだよ。あと2、3回つついてやれば、こっちに転ぶわ」
「ところで娘さんは?」
「あの子は今も昔も変わらない。あの子のことはわたしがよく知っている。夫に尽くすようしっかり言い聞かせたわ。そうすれば今度こそお姫様になれるってね」
ドローレスが娘を御するのは至極簡単なことであった。ドローレスの提案に、一時は苦悶する表情を見せるが、すぐにそれを忘れる。足掻く素振りを見せることもあるが、結局は、ドローレスの言うことが己の希望を叶えるうえで最短であることを知る。子どものころからその繰り返しであった。結婚し、子を産んで少しは成長しているかと思ったが、やはりというべきか。現実を拒絶し、蜜のような甘い言葉にあっさりと頷く。ドローレスがやってくるまで塞いでいたと聞いたが、明日からは昔のバーネットに戻っていることだろう。天真爛漫で、素直な可愛い娘に。
「で、どうするの?」
「そうですね。わが主に一度、相談してみます」
「その間、わたしはどうすればいいの?」
「そうですね・・・・・・。西方諸国あたりを巡ってはいかがですか?今、あそこは花祭りでにぎわっているそうですから。トゥランあたりは美食の国としても有名ですよ」
「そう。それもいいわね」
「ええ。落ち着き先が決まったら連絡を下さい」
数週間後。観光地として名高い美食の国、トゥランの高級ホテルの一室でとある婦人が息だえているのが見つかった。身分を証明するものは何もなく、所持品からも彼女が何者であるか分からなかった。
支配人は、ホテル宿泊の際の申込書と通行書の写しを携えて、共和国大使館に問い合わせをしたが、返答は「該当者なし」ということであった。
ちょうどその頃、マクシミリアンとバーネットの娘、アーシアに縁談の話が舞い込んできたのであった。相手はグリーニッジ伯爵家の子息。元謀反人の娘には過分な相手であった。何度目かの打診と相談の結果、マクシミリアンはついに首を縦に振った。
アーシアは行儀見習いの名目の元、乳母と侍女と共にグリーニッジ家に身を寄せることになる。最初は難色を示していたマクシミリアンだが、帝都の名門女学校で教育が受けられるという条件に飛びついたのであった。帝室も、アーシアの淑女教育、そしてグリーニッジ家の監視があればという条件付きでアーシアの帝都滞在を認めた。これは、娘の将来をおもんばかるマクシミリアンに対するアレックスの配慮でもあった。だが、この時、アレックスもマクシミリアンも、アーシアが帝都に存在するというもう一つの意味を理解していなかった。
こうして、縁談話や他の業務でかかりきりなっていたマクシミリアンも、またかつての明るさを取り戻したバーネットも、再び姿を消したドローレスに関心を向けることはなかった。
さらに、リートリッヒ一世の婚約話が世界中を席巻することになり、西方の片隅で不審死をとげたある女のことは、ひっそりと収束したのであった。




