94.二つの婚約
アーシア・アークロッド伯爵令嬢とビルマン・グリーニッジ伯爵令息の婚約は、貴族を中心に話題を集めたが、それもつかの間。すぐさまリートリッヒ一世の婚約者内定の話が投下された。これにより、アーシアの婚約話は吹っ飛び、リートリッヒ一世とエレノア・ダルウィン公爵令嬢の婚約話で、帝都はお祝いムードに包まれていた。
元々、エレノアは先帝の暗殺未遂容疑で帝都に護送されていたはず。少なくとも反リートリッヒ派はそう理解していた。しかし、ふたを開けてみれば、この始末。怒りの矛先はもちろんジェム伯爵に向けられた。
「どういうことだっ!!伯爵!!貴様、一体、何しておった!!」
一人が怒声をまき散らす。
「ベン・クーファに掻っ攫われたというではないか!!」
呼応するようにもう一人も負けじと声を張り上げる。
とある貴族の館の応接室に、反リートリッヒ派の主要メンバーが5人ほど集まっていた。テーブルの上には、渋いだけのワインや質の悪いドライフルーツやチーズが並んでいる。これらの品を見るだけで、この館の主の経済状況が分かるというものだ。
「しかも、あいつらはマクシミリアン様のご息女、アーシア様の婚約にぶつけてきたんだぞ!!これでは、先帝への哀悼やマクシミリアン様への同情、現皇帝の不信といった国民感情が煽れなくなったではないか」
(お前らが頼みにしていたそれらの感情は、エレノア・ダルウィンという小娘一人で吹き飛んだということだ。その脆弱さを頼みしていたら全員破滅だぞ)
国民は良くも悪くも流れやすい。先帝の崩御は確かにマクシミリアン復権のきっかけになるところだったが、そうならないようリートリッヒ一世とその側近は動いていた。何よりも、マクシミリアンを二度と表舞台に立たせないという先帝の希望に沿う形で。
(もう少し頭が回る奴が、こちら側にもいればなぁ)
老害たちは、老い先短いのか先を見通せていない。年功序列のきらいがある派閥であるためか、この席に若者はいない。一番下がジェム伯爵だ。対し、リートリッヒ一世は老若男女、身分を気にせず実力者を引き立てている。それを後押ししているのが、アレックスやブルーノといった前途ある若者たちだ。異なる立場と異なる意見を取り入れるから柔軟な行動ができている。またアレックスとブルーノは自身が高位貴族の出であることもあってか貴族というものを熟知している。よって、こちら側のやることは手に取るように分かりやすいことだろう。
それにしても、恐れるべきは、エレノアの求心力だ。現状、マクシミリアンは同情どころか反感を買っている。ここにきてエレノアに対する婚約解消に至る顛末が蒸し返されているのだから。アーシアの婚約話もどちらかというとマイナスに受け止められている。
「何か言ったらどうだ!!」
怒り交じりにテーブルに拳を叩きつけた男を見やり、ジェム伯爵は目を細めた。射貫かれた男は一瞬怯んだが、ジェム伯爵がすぐに卑しい微笑を浮かべる。今のは錯覚だったようだ、と自身に言い聞かせる。
ジェムは「いやあ、まさかあそこで議長殿が割り込んでくるとは思わなくて」とでっぷりとした腹をなでながら応じた。
「疑惑は消えていないので、クーファ議長殿が中心となって結成された調査委員会が引き続き尋問を行っていくということです。リートリッヒ一世との婚約はダルウィン公爵の親心もあるのでしょう。さすがに皇妃候補の女性に無体なことはできませんから」
「そもそも、お前がラドナでエレノア公爵令嬢に無礼を働いたからであろう」
「それは、この場にいる全員の意思だったのでは?屈辱で染め上げて帝都に連れ帰る。その間に、あなた方はマクシミリアン様擁立の気風を高めるはずだったのでは?バーネット夫人の懐妊の噂まで流して」
そう言い返され、ジェムの前に並ぶ面々は口ごもる。
ジェム伯爵は一同を見渡し、口角を上げた。確かにエレノアは身体検査という屈辱を受けたが、本人は意識を別のところにやることで耐え抜いた。やはりただの貴族令嬢ではない。対面するまでジェム伯爵もエレノアに対して深層のご令嬢という認識しかなかったが、あれはそんなものではない。あの歳で変な期待や未来のあこがれを抱いている節はなく、物事を冷静に観察し、自分がどう動けばいいか考えられる人間だ。一言で言うならば「大人びている」だ。中身は、辛酸舐めた老女なのではないか、と思うくらいだ。
(残り二人、ラティエースもアマリアもそうなのか?)
会ってみたいと純粋に思う。その時は、ジェム伯爵ではなくなっているかもしれないが。
「次の手はあるか?」
「こうなれば、マクシミリアン様がエレノア公爵令嬢と対面し過去の件について謝罪。水に流すという演出を仕立てるしかないでしょうなぁ」
「となると、チャンスは結納式後の晩餐会か」
「近づけますかな?」
ジェム伯爵の隣に座る男が言った。
「案外いけるかもしれませんよ」
ジェム伯爵が他人ごとのように軽い口調で言う。
「何故だ?伝手でもあるのか?」
「いえ、そんなものはありませんが・・・・・・。こちらにはバーネット・アークロッド伯爵夫人がいらっしゃるじゃないですか」
「うっ・・・・・・」
思わず数人が、バーネットの名を聞いて喉を詰まらせる。
「事態を変えるなら、あの方にひっかきまわしてもらうしかないのでは?」
「悪い方に、だろ?」
確かに、とジェム伯爵は苦笑交じりに言った。しかし、とジェム伯爵は一同を見渡す。
「彼女を躾け、しおらしい態度でエレノア公爵令嬢の前に立たせれば?良い絵が取れると思いますけどねぇ」
「そうだな。夫妻がリートリッヒ一世とエレノア公爵令嬢に頭を下げれば、一定の支持は得られるかもしれん。恩赦ではないが、マクシミリアン様に何かしらの役職が与えられるかもしれん。もしくは婚約の祝いを下賜されるやも」
「そのあたりは、リートリッヒ一世の下官に耳打ちさせましょう。まあ、させなくともご存じでしょうが。貴族の誰かが「アーシア様も陛下たちと同日に婚約した。めでたい」などと声を上げれば、何かしらアクションを起こさないといけなくなります」
「なるほど。ここで度量の大きさを見せないと、立場が悪くなるやもな」
「ええ」
「では、その方向で動こうか」
言って、館の主がグラスを掲げ、ジェム伯爵たちがそれに倣う。
「われらにいまいちど栄光を」
言って、彼らはグラスの液体を飲み干した。
皇帝とエレノアの婚約に、最も不満を抱いたのは、もちろんバーネット・アークロッド伯爵夫人である。
「どうして!?どうして、いつも邪魔するの!!せっかく、アーシアに素敵な婚約者ができたのに」
婚約内定の書類作成のため、両家の者が顔合わせと契約書を交わす。交わした契約書の写しを皇城に提出し、勅許を得て婚約成立となる。その勅許を得るために、特別措置として2週間の帝都滞在を許されたマクシミリアンとバーネット。勅許はすぐに下りて、あとは領地に戻るその前々日。帝都中にニュースが駆け巡った。
ゴシップ紙から機関紙まで、すべての新聞が「リートリッヒ一世、ご成婚間近!!」の記事で彩られていた。相手はかつて帝国を危機からすくった令嬢エレノア・ダルウィン公爵令嬢。マクシミリアンの乱の顛末は、民衆にも演劇や小説などで広まっていたが、ここにきて再燃する。エレノアにまつわる物品が再販売されるだけでなく、帝国から撤退してしまった『D-Rose』は、婚約記念に数量限定のドレスを受注するらしい。帝国の貴婦人たちは、自分たちの国でそれを購入できないことを嘆き悲しんだ。とにかく、政治家や貴族たちの想像以上に三人の令嬢は庶民から愛されていたのだった。その筆頭であるエレノアが皇帝の妃となれば、ロザの未来は明るい。この婚約に反対する庶民はごくわずかであった。そのわずかな者たちは、成婚に難色を示す貴族の関係者で、表向きは主に同調するそぶりを見せていた。
ロイヤル・M・ホテルに滞在していたマクシミリアンは、取り寄せた新聞を一通り読み終えた。
「バーネット、いい加減にしろ。一貴族の令嬢の婚約話と、皇帝の婚約話じゃ、最初から話題性の点で大きく違うだろ」
「でも、こんなのって・・・・・・」
「どちらにせよ、アーシアの婚約を記事にしようとする記者はいないさ」
仮にあったとしても悪意に染まった記事になるだろう。まだ文字は読めない娘だが、目にしたらきっと悲しむくらいの内容になるだろう。
「どうして?マックスは皇子さまだったでしょう?元とはいえこの国の後継者だったのよ?その姫たるアーシアの婚約なのに、どうして誰も祝ってくれないの?」
「誰が祝うっていうんだ。俺は元皇子で元謀反人だ」
バーネットの金切り声に辟易して、マクシミリアンはテーブルに広げられた新聞を眺める。
(アーシアの婚約が決まってすぐのタイミング。俺を支持するとかいう貴族への牽制だろうな。まさかエレノアを担ぎ上げるとは。よくあいつも承諾したもんだな。帝室とはもう二度と関わりたくなかっただろうに)
そうさせてしまったエレノアに対し、申し訳ない気持ちが芽生える。ただアーシアに一流の教育をつけてやりたいと思ってやったことが、こういう展開になると想像できなかったのは、マクシミリアンの短慮の結果だ。アレックスも難しい立場になったのではないか、と気がかりだ。
「そうだ!ねえ、マックス。この婚約勅許のお膳立てって、アレックス君とブルーノ君がしてくれたんでしょう?なんやかんやあっても彼らはあなたのことを慕っているのね」
(慕う?憐みの間違いだろ)
「お礼しにいきましょうよ」
「礼状はそれぞれに送った。それ以上の接触はやりすぎだ」
「でも・・・・・・。本人たちに聞いた方がいいんじゃないの?本当に、マックスのお父さんが暗殺されたとき、二人は側にいたのか。マックスだって信じてないでしょう?ラティエースがケイオス一世陛下を暗殺しただなんて。仮にあの3人が結託していたなら、アーシアの婚約勅許は罪滅ぼしってことになるでしょう?」
ケイオス一世の死は、先頃発表された。軽傷であったが急に容態が変化し、そのまま息を引き取った、と。元々、持病で体力が低下していたことも回復を妨げていた、と。とってつけたように襲撃犯はすでに捕縛、処刑済みとあったが、それ以上の情報は公表されていなかった。もちろん、下手人がラティエースなんてことはどの情報誌にも記載されていなかった。
「それでも、一介の伯爵風情の俺が詳細を問いただすなんて不敬だ」
「でも、マックスは元皇子だし、お父さんのことを聞いて何が悪いの?」
「いい加減、俺をたきつけるのはやめてくれ!!」
言って、マクシミリアンは踵を返し寝室に閉じこもった。乱暴にドアを閉め、入って来るな、と暗示する。さすがに伝わったのか、バーネットが突入してくることはなかった。
バーネットは閉まったドアをにらみつけ、唇を噛む。
(マックスのパパを○したことも、アーシアの婚約を邪魔したことも、絶対に謝らせてやるんだから)




