92.触手②
ラティエースが消息を絶って暫くした頃。
不穏な火種は、この場所からも生まれようとしていた。
―――――アークロッド伯爵領
アークロッド伯爵領はモードン侯爵領の西方に位置していた。元々はモードン侯爵領の一部で、産物も何もない未開拓の土地であった。
領主マクシミリアン・アークロッド伯爵は毎日のように土地を開墾し、ようやく領民に食糧がいきわたり、餓死者が出ないくらいには発展させていた。領主自ら鍬や鋤を手にし、血豆が出来るまで土地を耕す姿に、領民たちは心打たれた。マクシミリアンは徐々にだが領民に受け入れられ、彼もまたそんな自身の身の上を受け入れていた。
しかし領主が領民から慕われつつあっても、領主の妻、伯爵夫人はそうではない。夫が汗水流しながら働く側で、場違いな格好をして外に出る。大体が、安物のレースをあしらったドレスとそれにあわせたヒールという格好だ。宝石はイミテーションの大ぶりのもので、とにかくちぐはぐな格好をしているが、本人は最先端の流行だと本気で思っている。昔はマクシミリアンが適当に買い与えていて、確かにその当時は流行りだったかもしれないが、すでに流行は次の段階に進んでいる。女性の衣装に疎いマクシミリアンでもそれくらいは想像できるし、本物の宝石を見てきたマクシミリアンにとってイミテーションの輝きは下品以外の何物でもない。もちろん、TPOに合わせて使用するならイミテーションも悪いものではないと分かってはいる。分かっているが、此処には晩餐会、舞踏会も、ましてや夜会もないのだ。つまり着飾る必要もない。
ここは荒地で、土には岩石がゴロゴロ埋まっている。そんな足場の悪い場所を、ピンヒールで歩けばどうなるか子供でも分かることだった。だが、バーネット・アークロッド伯爵夫人は理解できない。此処にいることも。何故、自分が伯爵夫人であるかということも。それに至る一切を本気で理解していなかった。ただ理不尽だと嘆くばかりである。領主邸宅を囲うようにしてできている集落では、バーネットは腫物扱いであった。
あの頃と違うのは、バーネットを無条件で肯定する人間がいないことだった。
バーネットは変らない。
人々の態度も学園にいた頃とそう変わらない。
男も女も彼女の姿を見れば、遠ざかる。何故なら、女には敵意を、男には媚を売り、それが元でトラブルが絶えないのだ。自分でひっかきまわして、後はそ知らぬふり。集落の人々も最初はマクシミリアンに苦情を申し立てた。が、これはもうマクシミリアンだけではどうにもならないという結論を、集落の人間が出すのにそう時間はかからなかった。よって、集落の人々は、バーネットの姿を見たら、家に取って返すか、逃げるという手段を取っていた。これにもバーネットはいじめだと憤慨していたが、マクシミリアンは取り合わなかった。自身の行いを肯定してくれない日々に、バーネットは鬱屈した日々を過ごしていた。
一方、マクシミリアンはこの場所で第二の人生を受け入れようとしていた。己の行いを悔やみ、それでも命を惜しんでくれた友人たちに恥じぬよう生きようとしていた。
しかし、それはもろくも崩れ去る。
その日。マクシミリアンはいつものように森を切り開くため、斧を片手に木を切り出していた。集落の男衆と共に木こりの真似事をしていたのだ。畑を耕しているとはいえ、へっぴり腰のマクシミリアンに、集落の男たちは笑いながらも斧の振り方や足腰の使い方を教えてくれる。そうやって汗を流し、一休みをしている頃に、屋敷の管理を任せている執事がやってきた。額に大粒の汗を流し、少し焦った表情でマクシミリアンの元に駆け寄る。
「旦那様、すぐにお戻りください」
「どうした?ブーズ」
ブーズは、元々、モードン侯爵の館で執事をしていた。マクシミリアンがやってきた頃には引退し、この近辺で余生を過ごしていた。何かにつけて不便をしているマクシミリアンたちを気の毒に思い、週に数日、執事として屋敷を守っていくれている。そんな老体を鞭打って、こんな森までやってくるとは。
「その、奥方様にお客様がいらしゃっています」
マクシミリアンは眉根を寄せた。自分の妻と客という結びつきが想像できない。バーネットには友人なんていない。誰もがそう言うだろう。しかし、マクシミリアンが知らないところで友人を作っていたのだろうか。
(いや、こんな辺鄙な場所で?モードン領にも極力立ち入らぬよう言われているのに?)
「バーネットに?誰だ?」
マクシミリアンはようやくその言葉を絞り出した。
「それが・・・・・・」言って、少しだけ間をおいて、「お母さまだそうです。ドローレス様とかいう」
ドローレス・カンゲル男爵夫人。いや、元男爵夫人だ。バーネットが大変なときに、あっさり夫と娘を放り出して消息を絶った女。バーネットとマクシミリアンがやった数々の悪行は自分たちの立場を悪い方に追いやったが、そのいくつかはこのドローレスの仕業でもある。火に油を注ぐという言葉があるが、ドローレスはまさに油で、それもよく炎上する油でもあった。
国宝を質に出す。娘への贈り物を平気で身に着ける。他にも自分の欲しいもののために、バーネットを巧みに誘導していたときく。
(何で今更・・・・・・)
よくも顔を出せたものだ。
とにかく、数年ぶりにやってきたバーネットの実母。その目的はろくなことではない。金の無心くらいなら想定内だが、バーネットと同じくドローレスは信じられないことを平気でする女だ。
「戻るぞ」
「はっ、はい!!」
館の玄関に荒々しい足取りで踏み入れる。狭い玄関を抜けるとすぐ左が応接間。応接間からも抜けられるが、玄関の正面に食堂とリラックススペースがあった。
女性二人の笑い声は、応接間から響いてきた。そのまま応接間に足を向けたが、ブーズに引き留められる。
「旦那様。まずは汗を流してお着替えを」
「そうだな」
そうやり取りしている間に笑い声が途切れ、バーネットが顔を出した。
「マックス、お帰りなさい!」
アーシアを抱っこして、バーネットが駆け寄ってくる。
マックスと愛称を呼ばれたことも久しぶりだったし、アーシアを抱いているところを見たのは、初めてであった。思わずその姿に絶句する。伯爵領に来てから、こんな明るいバーネットを見るのも初めてであった。
(一体、何が・・・・・・)
「だめよ、バーネットちゃん。旦那様はお仕事から戻ってお疲れなのだから」
そうか。ドローレスが変えたのだ。その手腕に得体のしれない薄気味悪さがあった。
バーネットと交際しているとき、時折あいさつ程度はすることはっても、それ以上の接触は避けてきた。バーネットも両親とマクシミリアンを接触させようとはしなかった。
艶やかな容貌は、あの時の断罪劇の頃のまま。その肢体に、豪奢な黄色のドレスとそれに合わせたイエロー―ダイヤモンドのネックレスとイヤリング。レースをあしらった白の手袋の上から、そろいの指輪もはめている。
「ご無沙汰しております、マクシミリアン皇子殿下」
深紅の唇がそう言葉つむぎ、ドローレスは妖艶な微笑を口元にたたえた。
マクシミリアンは湯汲を済ませ、清潔な衣類に着替えて応接室に現れた。ソファーがローテーブルをはさんで二脚あり、出入り口側にマクシミリアンが、対面に、ドローレスとバーネット、両者の間に無邪気な笑顔を浮かべているアーシアがちょこんと座っていた。
「アーちゃんは、おりこうさんね」
手袋を外したドローレスの爪は長く、きれいに磨かれていた。アーシアの頬に引っかかりでもしないかと不安だったが口に出すことはできない。
「ママ。アーシアね、お歌が上手なのよ?」
一度だってまともに聞いたことないじゃないか。うるさい、とアーシアにクッションを投げつけようとしたことなら何度もあるが。そう苦言を呈して何になる。マクシミリアンは両ひざの上に置いた手をグッと握り、この茶番に耐えた。
「お義母さん、今日は何用で?」
え、と不思議そうに顔を上げ、首をかしげる。
「孫に会いに来たのよ?」
マクシミリアンはムッと顔を顰めた。さすがに取り繕うのに疲れた。
「・・・・・・。そりゃ、今まで音信不通だったことは謝るわ。でもね、わたしも大変だったのよ?」
「だから同情しろとでも?」
「ちょっと、マックス!」
母親をけなされて、バーネットが割って入るが、それを視線で黙らせる。
ブーズが茶器を並べたタイミングで、問答無用でアーシアを乳母に預けた。部屋には、戸惑うバーネットと微笑を浮かべたままのドローレス。そして、怒りを押し殺したマクシミリアンの三人だけになる。
「バーネット、お前も下がってろ」
「嫌よ。どうして、ママに意地悪するの?せっかくこんなへき地まで会いに来てくれたのに」
「その前に、お前を捨てただろ」
「それは誤解だって」
「誤解?」
「そう、誤解よ。そうみられても仕方がないけど」
ドローレスが言った。
「・・・・・・プロムの後、あなたたちが貴族牢に入れられたすぐかしら。カンゲル家から男爵位が取り上げられちゃって。旦那様は仕事をたたみ、国外に出ていくと言い出したわ。わたしは、二人を助けるために戦わなきゃダメだって旦那様を説得したけどダメで。仕方ないから、一度、帝都を離れて態勢を整えた方がいいと判断したの。時間がかかっちゃったけど、ようやく支援してくれる人を見つけたのよ?」
(どうだか・・・・・・)
マクシミリアンは不審な目でドローレスを見つめる。その双眸をおっとりした表情で受け止めるドローレスはとにかく何を考えているか全く読めない。
「それにね、知り合いから良くない話も聞いたの。黙っておくことも考えたけど、やはりちゃんと伝えておかないといけないと思って」
ドローレスは繊手を頬にあて嘆息する。ああ、気が進まないと演じているようだ。
「あなたのお父様のことよ?」
「父・・・・・・。ケイオス一世陛下ですか?」
「ええ、そう。あくまで噂なんだけどね」
そう前置きして、ドローレスは言った。
「ラティエース・ミルドゥナに暗殺されたそうよ?」




