91.鍵
アマリアの目の前には、鍵の束が置かれていた。
アマリアは食卓に頬を付け、その束をぼんやりと眺めていた。椅子を少し引き体を倒し、ひんやりした卓に頬を付けて、横から連なった鍵束を見つめる。それらは全て孤児院の鍵だった。
玄関と大門、そして自室の鍵はそれぞれが持ち、子どもたちにも自分たちの部屋の鍵は渡していた。すべての部屋の鍵束は、エレノアだけが保管していた。
まるで屋敷の女主人だ、とラティエースがからかい、鍵束で殴られそうになっていた。
鍵は現代のディンプルキーではなく、手持ち部分に穴が開いた棒に、二つ、三つの突起が出た単純な形をしていた。銅色。銀色、そして赤茶色と変色した鍵が束になっている。
三人が相談して決めたことは、子どもたちの部屋に無断で入らない事。鍵は掛けてもいいが、籠城しないこと。部屋を見せたくない場合は話し合うが、それでも危険と判断した場合は突入する、と三人は子どもたちに言い聞かせた。子どもたちは不思議そうに、そしてきょとんとしていた。何故、保護者である三人が、養っている子どもにそんな許可を取るのか、不思議だったのだ。今まで、そんなことをする大人なんていなかった。好きなときに、部屋に入って子どもを監視すればいいのだ、とカナンは子どもたちを代表して言った。
「監視なんてしない。君たちは奴隷ではない。わたしたちは君たちを一人の人間として扱う。知られたくない事、一人になりたいこともあるだろう?そのための部屋だ。だが、保護者である以上、時には強硬な手段にも出る。それをするのは、君たちを守りたいからだ。まあ、そんなわけでプライバシーはある程度守ろってのが、わたしたちの教育方針だ」
実際、鍵をかける子どもたちは皆無であった。いや、新参者ほど鍵を掛けて閉じこもった。その心をほぐすのは、同じ経験をした子どもたちだった。こういうとき、オトナは無力だね、と三人で苦笑したものだった。どうも子どもたちはそれぞれの部屋に行き来する方法としてドア以外、つまり床下、壁穴や窓といった別の手段を持っているようだった。これもまた三人で話し合い、知っていても知らぬふりをしていた。時間の経過と共に、新参者はやがて心を開くと同時に、部屋に鍵を掛けなくなっていった。
大人であるラティエースたちもよほどのことがない限り、私室のドアを開放していた。それを年長組も真似し始めた。最初は一人部屋の心地よさにドアを締め切る子も多かったのだが、寂しいと言い出す子も出始める。最終的には、子ども部屋は開けっ放しで、年少組が年長組の部屋に入り浸ったり、その逆もあった。そして、子どもたちは自室の鍵を宝物のように大切に扱っていた。
(なんか、懐かしいなぁ・・・・・・)
ラティエースが行く先々で子どもを連れ帰るはいいが、三人のうち二人は子育ての経験など殆どなかった。試行錯誤で教育方針を決めていったが、全て正解だったとは言えない。間違ったこともあったし、逆に子どもたちに守られていたこともあった。子育ては子どもを育てるだけでなく、大人の方も育てられるなんて聞いたことがあったけど、本当にそうだった。
ある日、アマリアは気づいた。ラティエースが子どもを連れ帰り、孤児院のまねごとをはじめたのは、エレノアのためだったのではないか、と。
断罪・処刑を回避して、ラドナ王国に腰を落ち着けてしばらくして、エレノアは物思いにふけることが多くなった。緊張の糸が緩んで安堵している様子とは違うなにか。生きる目的を「もういいよ」の一言で奪われるような感覚。まさしく、エレノアはそのような感じだった。
ラティエースは私財を投じて館を購入し、そこを三人の住まいとした。ある日、そう宣言した。家具も揃え、内装も整えられた後で一方的に告げると、仕事してくると飛び出していった。その一週間後、子どもを三人連れ帰り、エレノアの前に立たせた。
「よろしく」
「何が?」
エレノアはドスのきいた声で返し、子どもたちを震え上がらせた。
「おお、怖い、怖い。どうせ暇でしょう?この子たちの面倒、見てよ」
「この子たち、どうしたのよ」
「拾った」
「元いた場所に返してらっしゃい」
「そうしたら、殺されちゃうから」
こともなげにラティエースは言った。
「・・・・・・はっ?」
「わたしらと経緯は異なるけど、この子たちも断罪・処刑される運命の子たちってこと」
「何よ、それ・・・・・・」
エレノアは譫言のように呟いたきり、黙りこくった。ラティエースは俯くエレノアを無視して、子どもたちと共に館に入っていく。
「さあ、此処が今日から君たちの家だよ」
アマリアは二人を傍観するしかなかったが、それでもラティエースは何て残酷なことをするのだろう、と思った。古傷をえぐるような所業に怒りを覚えたし、エレノアが抗議するなら、及ばずながら加勢しようと思った。自分たちが断罪・処刑を逃れられたと思ったら、今度は断罪・処刑を運命づけられた子どもたちを守れという。これが残酷でなくて何というのだ。
「エレノア?」
下を向いたままのエレノアに、アマリアがおそるおそる声を掛ける。
「そう・・・・・・」
エレノアは言った。
「えっ?」
(そうって、何?わたし、何も言ってないよ?誰に返事してんの?)
「あああああああ!!もうっ!!」
エレノアの声が響き渡る。
ひっ、とアマリアはおもわず声を上げる。
「ああ、そうっ!!」
「なっ、何が?」
エレノアが弾かれたようにアマリアを見やる。
「わかんない?」
「わっ、分かりません・・・・・・」
アマリアは思わず敬語で応じる。
「ぐちゃぐちゃ考える前に、動けってこと!」
「えっ、ええ?」
「ノスタルジーに浸る暇があったら、子どもの面倒見てろってことよ」
血走った目で見据えられても、どう返したらよいのか咄嗟に判断がつかない。
「・・・・・・そんな遠回しのメッセージかなぁ?」
正直、ラティエースにそんな芸当はできないと思う。本当にただ行き当たりばったりの結果、子どもたちを連れ帰っただけではないだろうか。
「絶対に子どもがいたこと言わないようにしてたのに。・・・・・・どこで気づいたのかしら。変に勘が良いったら」
「ああ、そうなの?」
そうか。前世では、エレノアには子どもがいたのか。
「行くわよ、アマリア。ラティエースに任せたら何をするか心配だわ。まずはお風呂に入れて虐待されていないか確認。栄養状態を確認しつつ、お医者様にも見せるわよ。下に降りて、お医者様を連れて来てくれる?」
「・・・・・・分かった」
気迫に押されるようにアマリアは頷いた。
こうして、エレノアは孤児院の実質的なオーナーとなった。
物思いにふける日々はこうして終わりを告げ、エレノアだけでなくアマリアも慌ただしい日常に引きずり込まれていったのだった。
それこそ、自分たちが断罪・処刑されそうになった日々を思い返す暇などないくらいに忙しい日常がはじまった。
(文句言いつつ楽しそうだったなぁ、エレノア)
ラティエースが仕事の度に子どもを連れ帰る。ラティエースには叱りつけても、子どもを追い返すことはしなかった。むしろ嬉しそうだった。
そのエレノアが、今朝、アマリアとクレイが営む食堂を訪れた。
――――――――ロザに戻るわ。
そう、切り出した。
何故、どうして、という言葉は喉奥に引っかかり吐き出すことができなかった。そんなものは無意味だとも分かっていた。
アマリアに知らされたのは、エレノアがロザに戻ること以外には、孤児院の子どもたちはミルドゥナ大公にお願いするということと、ラティエースが生きているということだけだった。
「館の権利関係は全て、アマリア名義にかえておいたわ。あの館はあなたのものよ」
「ちょっと待って。急にそんなこと言われても・・・・・・」
「ごめんね」
そう言い切られたアマリアは言葉を失った。そんな顔で言われたら言いたい文句も言えなくなってしまう。
「ねえ、ラティに何かあったんでしょう?ロザで何かあって・・・・・・。わたしも戻るよ」
「駄目よ。あなたは此処にいて。大体、身重でしょう」
「そうだけど、でも・・・・・・」
何だって三人に乗り越えてきた。だったら、いつも一緒にいるべきだ。
「あなたの言うとおり、よくない事態が起こっている。否定はしないわ。だからこそ、あなたには此処に残って欲しい」
「・・・・・・三人のうち一人でも生き残れば勝ちだから?」
エレノアが無理に微笑を作る。
「ラティの口癖ね、それ」
断罪・処刑を回避する上で、最終的に三人うち一人でも生き残ればわたしたちの勝ちだ。ラティエースはよくそう言っていた。三人全員が生き残るのが前提であるものの、それでもゲーム補正によって断罪・処刑が避けられない場合、一人でも逃がす。その逃がされる役は、アマリアだった。二人がクレイとの婚姻を強く勧めたのは、姓が変わればゲームの悪役から外れるのではないかという思惑があったからだ。
アマリアはクレイとの結婚証明書を、断罪・処刑を言い渡される当日、つまりあのプロムの日に提出している。アマリアは、リー男爵令嬢ではなく、ワイズ夫人として出席したということになる。当日、欠席するという手段も検討されたが、これはアマリアが断固拒否した。
二人の配慮は、アマリアにはちっとも嬉しくなった。むしろ仲間はずれにされた気分で嫌だった。それでも二人に説得され、頷くしかなかったのだ。あのプロムでの計画がうまくいかなかった場合、ラティエースの友人、確かカノトさんとかいう人が、国外逃亡を手伝ってくれるという話だった。結局、プロムは無事に終了し、カノトさんの出番もなく、会えずじまいであった。
(また、わたしだけが二人に守られるの?)
それが悔しくて堪らない。自分の非力さを痛感するし、ここで駄々をこねれば、エレノアがさらに困った顔をするだけなのだ。だったら、アマリアはせめて、こうするしかないのだ。
アマリアはエレノアを抱きしめた。
「絶対に、ラティを連れて戻ってきて!!」
力の限り声を上げた。
それまで、二人が帰ってくる時まで、自分はあの館を守る。そう決意していた。




