64.再(さいかい②)
―――帝国歴417年縹の月10日
ラティエースたちは、ロザ帝国に(堂々と)密入国を果たし、メブロに滞在をしていた。
バーネットとの会見場所はいくつか候補があがり、篩にかけて最終的に三つまで絞り込まれた。その3つとは帝都、ミルドゥナ大公領、そしてメブロだ。しかし、帝都はラティエースたちがフラフラとうろついて良い場所ではないし、ミルドゥナ大公領はラティエースたちにとっては都合が良いが、バーネットの移送に時間がかかりすぎる。万が一、事故や取り逃がすことあれば一大事である。そこで、消去法で残ったのがメブロであった。
当初、ラティエースのみの入国を予定していたが、結局はいつもの3人(+クレイ)でロザ帝国に入ることにした。聖女の召喚騒ぎで、ロフルト教皇国では親子の歓談時間を持てなかったエレノアがこの機会を利用して家族と会いたいと言い出し、ならば、アマリア夫婦も、久しぶりに家族と会いたいとなったのだ。
孤児院の子どもたちの世話は、ミルドゥナ大公領より人手を呼び寄せたのだが、その中にはなんとエンリエッタもいた。何でも学園卒業後、家出をしているとのこと。テランの手引きもあり、ミルドゥナ大公領の孤児院の世話係をしているとのことだった。今では、車いすは必要なくなったそうだ。子どもたちは、エンリエッタにすぐに懐いた。瞬殺と言ってもよい懐きっぷりであった。
(うちに就職してくれないかな……)
ただテランが厄介だ。ただでさえミルドゥナ大公領にいることも快く思っていないらしい。安全のためということで今のところ連れ戻すようなことはしないらしいが、あの手この手で帝都に呼び寄せようとする、とエンリエッタは憤慨していた。
こうして孤児院のことも信頼できる人たちに託すことができ、ラティエースたちは3年ぶりの里帰りを果たしたのであった。
ラティエースたちの滞在場所は、ロイヤル・M・ホテルであった。そこで、家族や友人たちと三年ぶりの再会を喜んだ。総合社会研究部のメンバーも訪れ、近況を報告し合った。
翌日。アマリアとエレノアは、家族とともにメブロの街へ繰り出していった。
ラティエースは昼頃まで惰眠を貪り、軽食を取ってから徒歩で市庁舎へ向かう。3年ぶりのメブロの発展ぶりは目を見張るものがあった。この勢いでは帝都の賑わいを追い越すのも時間の問題だ。港ができたことで、流通も活発になり、物価も帝都より安く抑えられている。間近で発展を見られないのはとても残念だが、この町があの乱で壊滅しなくてよかったと思う。
(すごいな、ガリウス……)
ガリウスと会うのはもちろん三年ぶりである。
(元気にしてるかなー)
ラティエースは呑気に庁舎の建物に入り、受付に要件を伝える。
三年前、ラティエースがガリウスにした仕打ちをすっかり忘れていた。
(見苦しい……)
ブルーノあたりにだったらはっきりと言えるのだが。
今、ラティエースは市庁舎の市長室に招かれていた。部屋の隅に座り込み、陰気な雰囲気でぶつぶつと文句を言っているのは、市長のガリウスである。
「せっかく盛大に見送ろうとしたのに……。銅像だって作りたかったのに……。横断幕だって作ったのに……」
そう。ガリウスは、ラティエースが出奔した日、盛大な見送りの会を企画し、見事にすっぽかされたのだ。待てど暮らせどやってこないラティエースたちを乗せた馬車。何か事故でもあったのでは、と帝都のギルドに問い合わせれば、すでに出発したとのこと。まさかという思いで、ラドナ王国行きに一番近い関所に問い合わせれば、すでに通過したというではないか。
「ごめんてば……」
(だって、めんどくさかったんだもん)
正直に心の内を言えば、余計面倒なことになる。ラティエースにだってそれくらいの機微は分かる。
「あのさ、拡張工事の様子見たけど、凄かったね。港も整備されてたし。あそこから定期便が出たら、もっと便利になるんじゃないかな。お祖父様は軍港としても使うって言ってたけど・・・・・・」
「ええ、ええ。地獄の納期で進めましたよ」
(おっと地雷を踏み抜いたか)
ミルドゥナ大公は、あそこに軍を駐留させるつもりだ。メブロの治安は格段に上がるが、帝都の人間、特に、皇子派と呼ばれ、今は帝室派などと呼ばれている一派にしては邪魔な存在になるだろう。が、軍を維持する力も土地も彼らにはないのだ。さらに言えば、アレックスやブルーノをはじめとした貴族であると同時に高級官吏でもある反皇子派(現在は貴族派)は、大公軍の駐留を歓迎している。ブルーノがいる限り、帝室派と貴族派の衝突は避けられるという算段もあり、メブロの拡張工事は引き続き進められている。
「ガリウス、いい加減機嫌を直してくれ。わたしは別に遊びに来たんじゃない」
「分かってますよ」言って、ガリウスは立ち上がる。「明朝、バーネット・アークロッド伯爵夫人が護送されてくる予定です。到着は午前9時です」
「そう。やっぱ、新皇帝発表に先んじて「恩赦」が出たか」
ケイオス一世の退位と新皇帝への譲位に3年はかける予定なのだという。新皇帝の発表のタイミングは、来年、ケイオス一世の新年の挨拶の時と予定していた。ケイオス一世の後継は、珍しく皇太子を経ずに即位するのだという。
新皇帝の即位という慶事に伴い、罪人たちへの恩赦が行われるのが習わしだ。議会においてこの「恩赦」が大問題になっていた。新年、新皇帝が発表されることは決まっている。即ち、恩赦も決定事項なのだ。議会は早速、この3年後に発表されるとある御仁の「恩赦」について議論を繰り広げた。
その御仁とは、元第一皇子マクシミリアン。彼の恩赦について議会は紛糾したが、このほど結論が出たのであった。
現在、彼は平民となっているが、野に放つわけにも行かないので、今も皇城の貴族牢に入れられている。妻のバーネットも同様だ。そして、バーネットは3年前に娘を出産していた。 万が一、恩赦で皇籍に復帰すれば、マクシミリアンはどういう扱いを受けるのか。帝室派も、マクシミリアンを皇族に復帰させれば国民の反発が大きいことを承知していた。この案は早々に棄却された。
議会の結論は、マクシミリアンに伯爵位を授爵し、元皇妃マーガレットの実家であるモードン侯爵領の一部を領地として授けるということとなった。
新皇帝の発表と同時にこの恩赦を発表してしまえば、国民からの反発も少なからずあるだろう。そういう観点からまずは伯爵位の授爵を先日、官報で発表した。同時に、ケイオス一世とマーガレット皇妃の離縁、アレックスの婚約者決定の噂を流すことで、授爵のニュースを希薄化させることに成功した。
来年、マクシミリアン夫妻と子どもは、ひっそりと帝都を出て領地へ向う予定だ。ついでに、マーガレット元皇妃も付随するのではないかという話だ。もちろん、マクシミリアン夫婦にとって監視付きの生活に変わりはないが、牢に一生いるよりはマシだろう。
「場所はメブロの市庁舎の地下牢で行って頂きます」
「地下牢なんてあったの?」
「マクシミリアンの乱の時に、一時しのぎで作ったんですよ。残兵を押し込む場所が必要になって。で、そのまま、何かあったときにと思って、ちゃんとした牢として整えておいたんです」
「にゃるほど」
「一体全体何だって、バーネットなんかと会う必要があるんですか?」
「まあ、必要に迫られて・・・・・・。で、お願いした形での面会にしてくれてるよね」
「対面は二人きり。監視も見張りもナシですよね。ええ、牢越しで話すという条件を受け入れてくれたんです。会話を盗み聞きするような人間も配置いたしません」
「ありがと」
ラティエースは心から礼を言った。ガリウスは、帝都側の役人やそれこそ大公からも監視または盗聴人を置くよう強く言われたに違いない。けれど、ラティエースとの信頼関係を壊さないことを選んでくれた。
「すっぽかしてごめんね」
ラティエースがガリウスに聞こえないくらいの小さな声で詫びた。
太陽の光が入らない地下牢は、少し肌寒いと感じた。もう一枚羽織ってくればよかった、と思う。
ラティエースは、誰もいない地下牢を見つめていた。牢の中央、ラティエースの正面に、簡素な木製の椅子が一つ。ただそれだけだ。牢の鉄格子の向こう側は薄暗く、少し湿っているようにも見える。ラティエースがいる側は、灯りがふんだんに使われ、サイドテーブルには水と果物が用意されていた。手を付ける気にはなれなかったが。
カタン、という物音に、ラティエースは反射的に背筋を伸ばした。ドアがノックされ、足音が響く。ラティエースは振り返ることもせず、ただ真っ直ぐに前を向いていた。
縄を掛けられたバーネットは、鉄格子の右下に付けられた出入り口に押し込められる。兵士も一緒に入り、椅子に座るよう指示をされ、バーネットは何も言わずに従う。
ラティエースは息をのんだ。
3年が経っていた。それなりに長い月日だ。前日に会ったジョーやミーカたちも、顔立ちから子供っぽさが抜けて、身長も高くなっていた。ミーカよりも低かったジョーやレーナは背が伸び、ミーカを追い越していた。
(なのに・・・・・・)
目の前のバーネットは何も変わっていなかった。あの時の少女めいたままだったのだ。ピンク色の髪を二つ結びにして、大きなリボンで飾っているのも、ふんわりとしたレースをふんだんに使ったビスクドールが着るような時代遅れのドレスも、かつて彼女が好んでいたものばかり。そして、その好みはそのまま継続されているということだ。子が生まれ、生活も変わったというのに、彼女自身は何も変わっていなかった。
事前に聞いた話では、バーネットは娘になんの興味もないらしい。出産したことすらなかったかのように娘の存在を無視し続けているそうだ。そして、そんな娘をマクシミリアンが必死になって育てているという。マクシミリアンは一人娘を溺愛し、子煩悩だという。これは意外な一面であった。
「あら、悪役令嬢が何の用?」
言って、バーネットは小悪魔的に微笑んだ。一児の母とは思えない若々しさだ。
(さて、どう攻略しようか・・・・・・)
最初の登場で面食らったラティエースは初手に迷う。
「・・・・・・恩赦が出たと聞きましたので」
彼女が変わっていないのならば、他人の言葉の意味や、裏に隠された真意を探るなどせずに、そのまま自分の都合の良いように捉えるはずだ。ラティエースはそれに賭けた。
バーネットはゾッとするくらいの美しい微笑みを浮かべた。
「やっぱり最後はヒロインが勝つのね!!あなたちは、命乞いに来たんでしょう?」
違うというのは容易い。が、越に入っているバーネットに口を挟むより、勝手に喋らせた方が面白そうだ。大体、命乞いをされる側が牢に入っていることについては、どう思っているのだろうか。相変わらず自分の都合の悪いことはすべて脳内排除しているようだ。
「わたしは、恩赦という形で外に出られるの!これって皇子ルートの延長なのよ。本当の王子様はマクシミリアンではなくアレックス様だったんだわ」
恩赦で罪を許されるのは、あなただけではありません。あなたの娘と夫もセットです。むしろ、あなたがおまけみたいな形です。
王子ルートの延長。なるほど、そう取りますか。
マクシミリアンを呼び捨てで、アレックスを尊称付け。すでにマクシミリアンは過去の男ですか。一応、娘さんの父親だと思うんですが。
すべて口にはせず、心中で呟く。
「だから、あなたは婚約破棄されたのよ」
破棄ではなく解消です。そもそも婚約自体がなかったということです。
「わたしの邪魔をしなければ命だけは助けてあげるわ」
(よし、決めた)
ラティエースはこの瞬間に方針を決めた。
「やはり、あなたはゲームのヒロインにふさわしい方だったのですね!こんな目にあっても私達を許そうとしてくれるだなんて。よよよっ・・・・・・・」
(よよよ、なんて初めて使ったな。今度は、「およよ」をどこで使えるか試してみよう……)
涙など一滴も出ていないが、ハンカチで目元を拭う。小さなゴミくらい取れてるだろう。
「まさしく聖女のようなお方!!」
「えっ?聖女?」
何のことだ、とバーネットは首を傾げる。彼女の様子から外の情報はあまり入ってきていないらしい。
「今、世間では聖女のことで持ちきりですよ?」
「聖女って、わたしのこと!?」
どう捉えるかは本人の自由。ラティエースは肯定もしないし、否定もしない。都合良く解釈し、余計なことまで話してくれればそれでいい。
「ゲームではそうなるのでは?」
「いえ、『ラブラブ学園~恋しちゃったの~』に、そんな設定はなかったわ。追加イベントとシナリオはあったけど、結局続編は中止になちゃったし」
(中止?じゃあ、続編の予定、何らかのストーリーが存在していたのか?)
「だけど悪くないわね、聖女・・・・・・」
(その微笑は聖女っつーより悪女ですよー)
「実は、わたしたちはすでに国から罰を受けているんです。プロムの後、国外追放となりました」
できるだけ悲しげに、しおらしい声でいった。
「あら、そうなの!?」
バーネットは喜びを隠しきれない声色で言った。
「今日はアレックス・リース公爵令息が、バーネット様のためにと特別に取り計らってくださったのです。この会話が終われば、わたしたちは再びロザを出ることになります。さすが慈悲深き方、アレックス・リース公爵令息!!」
(ごめん、アレックス)
ラティエースは、心中で詫びる。
ちょうどその頃、帝都で執務を取っていたアレックスは、盛大なくしゃみをしていた。側にいたブルーノから「うわっ、汚っ!」と不機嫌そうに返されていた。彼は、ラティエースから面会を拒否されていた。せめて一目でも姉に会いたいという思いで、バーネットの護送に付いていこうとしたら、祖父にどうでもいい仕事をこれでもかというほど押し付けられた。徹夜で終わらせたら、アレックスの補佐を命じられた。だから、本日、ブルーノは大変不機嫌なのである。
「そりゃそうよ。わたしの王子様なんだから」
そこで、とラティエースは身を乗り出した。
「再びあのようなことが起きないよう、あなたさまの覇道を邪魔しないよう、わたしたちに教えていただけないでしょうか。あなたの知るゲームのことを」
この状況からアレックスの心をつかみ、皇妃となれば、これはまさしく覇道だ。目指すのは勝手だ。邪魔をする気もないが、こちらにもう一度害をなそうとするならば、徹底的に潰させていただく所存である。
「そっ、そうね・・・・・・。そういえば、同じゲーム会社から聖女を主人公にした乙女ゲームが開発中って話は聞いたことがあったけど」
「雑誌か何かに掲載されてたの?」
「いいえ。会社のHPよ。開発者ブログを毎回、チェックしていたの。そこに書いてあったわ」
(おおっ!マニアックすぎるぜ、バーネットちゃん)
さすがのエレノアもそこまではチェックしていまい。
「どんなことでもいい。教えてくれ」
「そうね……。確か、主人公が聖女として召喚されて、そこで悪魔を倒す秘術を使うようお願いされる。その秘術を成功させるには、攻略対象と恋愛する必要があって……。愛の力、みたいなのかしら」
(悪魔を倒す……)
「ロフルト教とか、そういう文言はあったか?」
「いいえ。そんな詳細な舞台設定はなかった。ただ、その秘術は分岐点がいくつもあって、その秘術によってエンディングも変わるみたいなニュアンスがあったわ」
「そう……」
(混ぜちゃいかんだろ、混ぜちゃ……)
混ぜるな危険。まさしく、今、この状態を言うのだ。本来とは違う使い方だろうが。
その後もゲームについて尋ねたが、真新しい情報はなかった。ラティエースは退室することにする。
「ところで、わたしは「恩赦」で貴族に戻れると聞いたのだけど。ミルドゥナ侯爵家の養女になるのかしら?」
「いいえ。アークロッド伯爵夫人になるんですよ」
言いながら、ラティエースは出口へ向かう。
「伯爵夫人?何故?」
ラティエースはその質問には答えず、扉をノックして、外側から開けてもらう。出ていく前に、ラティエースは振り返った。
「アークロッド伯爵夫人。娘さんはお元気ですか?」
バーネットはきょとんとした顔でラティエースを見やり、首をかしげる。
「誰、それ?それにわたし結婚してないわ」
こうして、ラティエースとバーネットの対面は終了したのであった。
そして、その夜。ラティエースは知恵熱を出して寝込んだのであった。
「ラティが熱出すって珍しいね。最後に熱出して寝込んだのって高等部1年か2年のときじゃない?」
「よっぽど慣れないことをしたんでしょうね」
氷枕を替え終わったエレノアがため息まじりに言った。
「さっき氷を替えに行ったらさ、お花畑を燃やしてやる、炎上させてやるって、呻いてた。歯ぎしりもすごかった」
「そう・・・・・・」
(一体、なにを聞き出したんだか・・・・・・)
熱を出すほど心にもないことを連発して相手から聞き出したのだろう。結果、体が悲鳴を上げた。
本当は一緒に付いていきたかったが、バーネットの警戒を高めるだけだ、とラティエースは一人で対面することを強く主張した。エレノアもアマリアも、ラティエースの邪魔になるくらいなら、とその条件を受け入れ、家族と過ごしたのだった。
「アマリア、卵がゆ作ってやってくれる?」
「うん。クレイがね、海竜の卵っていう、嘘かホントか分からない卵を買い付けてきたんだ。それで作ってみようか。滋養強壮にいいらしいよ?」
「普通でお願い、普通で」




