俺は何も見ていない。
初めてお忍びに行ってから、一週間が経った。
今日は休息日の前日の土曜日。
この世界に来てから二度目の、誰にも告げない非公式お忍びに出かける日である。
俺はトイレでボリスの姿に変装し、慣れた足取りで神殿の外へと出ていく。
神殿から出る際にジョンと擦れ違ったが、ジョンには事情を話してあるのでボリスの正体が俺だと分かっていてもスルーしてくれた。
さぁ。
今日は一日、食堂でバイトをする日だ。
これから毎週土曜日は、お忍びで神殿を出て、あの食堂でバイトすることになっているのだ。
本当なら、土曜日じゃなくて水曜日のお忍びの日にバイトをしたかった。
しかし、店側としては客が多くて忙しい土曜日の方が人手が欲しいし、水曜日は一応公的なお忍び視察ってことになってるので、毎回バイトをしてるといつか水曜日に視察をしていないことがバレかねない。
なので、土曜日にバイトをするのだ。
翌日の日曜日、休息日の午前には礼拝堂で演説しないといけないので、出来れば土曜じゃない方が良かったのだが、流石にこればかりはどうしようもない。
俺は神殿を出たあと、店に向かって街を歩いていく。
この世界では、基本的に休みは祝日と休息日のみで、元居た世界のように土曜日も休むのはごく一部らしい。
なんでも、遠い昔には土曜日も休むって文化があったらしいのだが、邪神の手先に追い詰められていく中で人的リソースを遊ばせるわけにはいかなくなり、いつしか土曜日に休むという制度がなくなってしまってたのだとか。
俺としては、土曜日に休めないってのは何かブラックっぽくて嫌なので、いずれは全員が土日に休めるようにしてあげたいと思っている。
だが、まだ俺がこの世界に来てから三ヶ月しか経っていないのだ。
街の安全は大分確保出来ているし、流通も英雄の護衛のお陰で復活しているのだが、それでもまだ、完全に復興出来ているとは言い難い。
いつかは土日も休めるぐらい余裕を持たせてあげたいんだけどなぁ。
でも、流石にすぐにそんなこと出来ないってのは分かるしなぁ。
まぁ、いずれ景気が回復したら、何とかなるかも知れないな。
その辺が上手くいくかは、全て秘書達の手腕次第だ。
だって俺、経済とか良く分からないし。
元々はただのサラリーマンだもん。
神殿の外の街並みは、どこか古めかしくはあるが近代的な街並みだ。
首都なだけあって建物も人も多く、建物も殆どがレンガ造りではあるが、二階建てや三階建の建物も結構見られる。
一部では、五階建ての高い建物も存在するくらいだ。
こうして街中を歩いていると、なんだか異世界に迷い込んだというよりは、外国に旅行に来てるんじゃないかって気分になる。
だってこの世界って、電気があるしな。
そうなんだよ。
この世界って、電気があるんだよ。
今は発電施設の燃料が勿体無いってことで節電してて、基本的に夜の二十二時までしか電気を使えないんだが、それでも普通に電気があるんだよ。
これは、優しくなったエーリッヒに連れられて外に出た時に初めて知ったので、衝撃的な事実だった。
いや、そう言えば、無線機とかは有るって言ってたんだよな。
そういうのがあるってことは、電気が発見されてるのは当たり前っちゃ当たり前なのか。
でも、神殿内の照明は全部ランプとか燭台ばっかりだったから、電気があるって気付かなかったんだよな……。
あと、電化製品とかも全くなかったし。
多分この世界に派遣される神様によっては、電化製品の使い方が分からないだろうからって配慮した結果なんだろうけど。
出来れば電気があるのなら、俺の部屋の照明も電気にして欲しかった……。
一々燭台に火を灯すのって、意外と面倒なんだよ。
蝋燭は毎日おばちゃんメイドさんが交換してるらしいから、俺が替える必要は殆どないから、多少は楽だけども。
居間にある天井のシャンデリアなんかは火を灯さないただの飾りなんだけど、あれが電気で光るタイプだったら相当綺麗だっただろうしなぁ。
今からでも配電工事とか、出来ないもんかね?
まぁとにかく。
電気があるので、街灯もある。
夜も時間が限られてはいるが、建物に明かりが灯って結構綺麗な夜景が見れたりもする。
神殿の奥の方は防犯のためなのか、採光と換気用の小さい窓しかなかったから見れなかったけど、こないだバイト帰りに夜の街を歩いた時には、久々に見る文明の明かりに感動したもんだ。
……まぁ、感動しすぎてゆっくり帰ってたら、二十二時になった途端に明かりが消えて焦ったけど。
あと、型は古いっぽいけど車もあるんだよね。
当然舗装された道路もあって、普通に車が走ってる。
ライオンのジョンが戦車で戦う英雄なんだから、普通に考えれば車もあるって分かってるはずなんだけど、どうしてもここは異世界だってイメージが強くって、車とか電気とかがあるってイメージが沸かなかったんだよな。
それにしてもアレだ。
そんな近代的な街並みの中にある神殿。
本当に外国みたいな感じだな、おい。
それはそれとして。
俺は、目的地であるバイト先の食堂に向かって歩道を歩いていく。
しかし、少し早めに神殿を出ていたので、バイトが始まる時間まで少し余裕があった。
なので俺は、少しだけ神殿の近くを歩き回って散策してみることにした。
いつも暮らしている神殿は、首都の街の真ん中付近にある。
この街は、邪神勢力対策として鋼鉄製の高い城壁に囲まれているらしい。
そして街の中には、中央に交差点が出来るように上下左右に向けて大きな道路が引かれていて、北西、北東、南西、南東の四つの街区を、十字に引かれた道路が分割するように分けているらしい。
その四つの街区と中央の交差点付近の中央街区。
この五つの区画が、この街の区分けになっているそうだ。
それぞれの街区に特徴があって、工場やら商店やら居住区やらが分けて配置されているらしいのだが……。
ぶっちゃけ、どの区画が何の区画なのかとかは分からない。
だって、今まで神殿から外に出たことなんて、ろくになかったし。
そんな街中で、神殿は中央街区にある中央交差点のすぐ傍に建てられていた。
なんでも、この世界に神様が降臨すると決まってから、交差点近くの一等地に住んでいた人達に立ち退いてもらって無理矢理建てたのだとか。
俺が頼んだわけじゃないんだが、なんか凄く罪悪感を感じる話だ。
立ち退いた人達は、ちゃんと元気にしているんだろうか?
まぁ、それは置いといて。
俺はそんな神殿周りを歩きまわり、街並みを見ていく。
神殿のある一等地の周囲には、多くの建物が存在していた。
どの建物が何の建物なのかはパッと見だとよく分からんが、なんか普通にお店とか住宅地とかが建っている。
一等地ってぐらいなんだから、もっと豪邸とか高級店とかが建ってるかと思ってたんだけど、そういうわけでもないみたいだな。
一応平日なので少なくはあるけど、それなりに人が歩いてたり車が走ってたりするんだな。
交差点を挟んで神殿とは対角の所にデカイ広場があるんだけど、そこで神殿主催の炊き出しをやっているみたいで、広場周辺の人集りが半端じゃない。
でも、それ以外の場所は、思ってたより普通だ。
流石に元居た世界の首都なんかに比べたら人は少ないけど、まぁ平日なんだし、こんなもんかって感じの賑わいだな。
なんだかんだ考えに耽りながらも、俺は楽しく街を歩いていく。
見慣れない街並みを歩いてると外国に旅行に来たみたいで新鮮な気持ちになって楽しいな。
道路を走る車も、古めかしくって見たことない車種ばかりだから、見てるだけでも楽しい。
街の人も、ファッションが俺が居た世界と大分違うから、見てるだけでも飽きないしな。
それに、人類最後の土地なだけあって人種もバラバラで、そういう部分も見てて楽しい。
そうそう。
あの、建物の陰から道の先を覗いてる少女とか、なんか微笑ましい感じで良いじゃないか。
きっと覗いてる歩道の先には、想い人か誰かが居るんだろうな。
好きだから話がしたいんだけど、実際に話しかける勇気がなくって。
でも気になるから建物の陰から見守ってるとか、そんな感じなんだろう。
ちょっと道を間違えばストーカーになりそうだが……。
まぁ、まだ中学生ぐらいの少女なんだし、子どものすることだと思えば、微笑ましいもんだ。
……。
ちょっと待った。
あの後ろ姿、なんかどっかで見たことあるぞ。
……いやいや。
そもそも俺に、中学生ぐらいの少女の知り合いなんて居ないしなぁ。
背中まで伸びたサラサラの綺麗な金髪に、白くて透き通るような肌。
服装は肩が出てる特徴的な白いブラウスに、膝下まで丈のあるカーキ色のロングスカート。
うん。
俺の記憶の中に、こんな服装の少女は居ないな。
これは普段着だから違うとか、そういう考慮は一切しない。
気のせいだったってことで。
さぁ、早くバイト先に行かないと。
「あぁ……ティトラお兄さま……。」
クソが。
やっぱりお前か。
さり気なくUターンする予定だったのに、声に反応して立ち止まっちまったじゃねぇか。
変な止まり方したから、ここで俺がUターンしたら、不審人物と思われそうな気がする。
……ってか、この先にティトラ君が居るのか?
いや、ナルキアがこっそり覗いてるってことは、ティトラ君が居るんだろうな。
まぁ今日は土曜日だし、俺だけじゃなくって秘書も休みなんだから、街中で秘書二人と出会うこともあるだろうよ。
……でも、出来ればナルキアとだけは会いたくなかったな。
コイツを見てると、俺の精神がガリガリ削られるような気がするんだよ。
ここでUターンすると怪しいってもんじゃないので、俺は仕方なくナルキアの脇を通り抜ける。
周囲には人が殆ど居ないから怪しまれないとは思うんだが、どこで誰が見てるかも分からないからな。
ここは、細心の注意を払っておくべきだろう。
ナルキアの横を抜ける時、俺はナルキアの方をチラリと見て確認する。
ナルキアは恍惚とした表情で、ティトラ君が居るだろう道の先を見ていた。
俺も正面に向き直して、ナルキアの視線の先に居るだろうティトラ君の姿を探す。
……ああ、居た居た。
なんか三十メートルぐらい先に、背の低い少年が立ってるな。
ここからだとよく見えないが、なんか店のショーウィンドウを見てるっぽい。
何か欲しい物でもあるのかね?
もしもトランペットを欲しがってたりしたら、買ってあげたくなるんだが。
いや、この姿だと買ってあげれないんだけども。
今日は勝手に出かけてる土曜日のお忍びだから、外に出てること自体がバレたらマズいし。
俺はそのまま、何事もなかったかのように道を進んでいく。
ぶっちゃけ、何も見なかったことにしたいのだ。
このままティトラ君とも擦れ違い、曲がり角を曲がって二人の視界から消えてから食堂に向かうとしよう。
急に、ティトラ君の向こうの曲がり角から悲鳴があがった。
そして一人の男が曲がり角から現れて、こちらに向かって走ってくる。
「泥棒よっ!!誰か、あの男を捕まえてーっ!!」
よく見れば、こちらに走ってくる男はハンドバックを脇に抱えているようだ。
どうやら、ひったくりが現れたらしい。
そんなことをしてる暇があるなら働けと思わないでもないが、こういった犯罪者は早々には無くならないのだろう。
それはそれとして、どうしようか。
一応、『権能貸与』で護身用の奇跡も幾つか見繕ってるので、あのひったくり犯を俺が捕らえることも出来なくもない。
でも、ナルキアもティトラ君も居るからなぁ。
これが水曜だったなら、ここで正体を晒して捕まえて、信仰ゲット!ってことも出来たんだけど。
……いや、ボリスの姿がバレたらマズいから、どっちにしろ駄目か。
などと悩んでいると、ティトラ君がひったくり犯の前に立ち、道を塞いだ。
鞄を抱えた男もそれに気付き、ティトラ君を蹴倒そうと足を突き出す。
予想される惨状に、周囲が目を覆う中。
ティトラ君は華麗に蹴り足を避け、軸足を抱えて持ち上げた。
男はバランスを失い、後ろに倒れ込んで後頭部から地面にぶつかる。
ティトラ君は抱えていた足を手放し、片手を男に向かって突き出した。
すると地面から土色の鎖が現れ、男の四肢を地面へと縛り付ける。
……すげぇな、ティトラ君。
他の人達はあんまり見えてなかったかもしれないけど、俺はバッチリ一部始終を見守ってた。
ティトラ君は☆7の英雄だから、一般人相手に負けるとは思っていなかったからだ。
今の動きは凄かった。
前蹴りを避けたあと、足を抱え上げて男を倒すまでの動きが、物凄くスムーズだった。
その後も間髪入れずに鎖を出して捕縛してるし、流石は戦場で生きてきた英雄だな。
見た目が少年なのに、戦闘に慣れてる感じが半端じゃない。
少し気になったので、チラリと後ろのナルキアの様子を見てみる。
建物の陰から身を乗り出して殆ど顔が隠れていないナルキアが、満面の笑みでティトラ君の方を見ていた。
パッと見は天真爛漫な美少女がティトラ君の活躍を見て喜んでるって感じなんだが、その背景を知ってる俺としては苦笑いが出そうになる。
うん、見なかったことにしよう。
「泥棒は捕まえました!鞄の持ち主の方は来てください!それとどなたか、巡回の英雄か衛兵を呼んできて下さい!」
ティトラ君が大声で周囲に捕縛を伝え、後処理をしようとしている。
それに伴ってちらほらと周りに居た人達が集まってきて、一部が衛兵か英雄を呼ぶためにどこかへと走っていった。
ティトラ君は流石だなぁ。
サクっと犯人を捕縛するし、その後も堂々と処理をこなしてるし、本当に少年とは思えない活躍っぽりだ。
何はともあれ、何事もなく収まりそうで良かった。
……しかし。
街の治安はまだ、そんなに良くないんだなぁ。
犯罪を完全に失くすことは出来ないんだろうけど、出来るだけ犯罪者が居ない世の中になって欲しいものだ。
まぁ、秘書達の活躍に期待だな。
……っと。
ボーッとしてる場合じゃなかった。
ティトラ君の周りに集まってきた人達が、ティトラ君と何か話してるけど、俺はティトラ君に近寄るわけにはいかないからな。
今はお忍び中だから、英雄と接触するのは出来るだけ避けておきたい。
だからアレだ。
衛兵が来て、目撃証言とか聞かれない内に、この場を早く立ち去らねば。
事件は気になるんだけど、ちょっと急いでるから見ていけないんだ残念だなー。
って感じを出しながら足早に立ち去るのが良いな。
そして俺は、少し急いでる雰囲気を出しながら足早に歩いていく。
そしてティトラ君と、もうすぐ擦れ違うところまでやってきた。
すると俺の耳に、ティトラ君とその周囲の人達の会話が聞こえてきた。
「ええっと、あの、ボクは英雄でして。いまは戦場には出てませんけどファントム様の秘書として……。」
「いやーん、もうっ!かわい~!」
「僕何歳なの?カッコ良かったから、お姉さんが何か奢ってあげようか?」
「何よ。鞄盗られたのは私なのよ?私がこの子にお礼するのが先よ!」
「いや……だから、ボクは英雄なので、これは当然のことですから。」
……。
なんだこの、ティトラ君のハーレム状態。
よく見たら、ティトラ君の周りに集ってんのって女性ばっかじゃねぇか。
十代半ばから十代後半ぐらいのお姉様方が、ティトラ君に群がってカワイイカワイイって言ってるだけかよ。
俺はもっとこう、ティトラ君が出した鎖は何なのだ!とか、もっと驚いたり怖がったりしてるんじゃないかって考えてたんだが……。
だって、ティトラ君は秘書だからさ。
普段は外に出てない英雄だから、ティトラ君が英雄だってことは周りにあんまり知られてないわけで。
だから、あんなに簡単に暴漢を倒して、更には不思議な力で取り押さえてるんだから、もっと怖がるような反応があると思ってたんだよ。
それがこの状況だ。
なんだ、この。
羨まし……じゃなくて、微笑ましい光景は。
……ま、まぁアレだよな。
英雄が街の人達と上手くやれてるのは良いことだし。
この世界には魔法はないんだけど、シュナなんかは空を飛んで巡回してるから、少しは住民も魔法に対して理解があるのかもしれないしな。
……あっ。
俺は、あることに気が付いて、歩みを止めた。
気付いてしまった。
気付かなければ良かったのに。
ひったくり犯を捕らえたティトラ君。
そのティトラ君に群がる女性達。
そして女性達は、ティトラ君を誘惑している。
それだけなら、微笑ましいだけで済むのだ。
だが、そこに。
ナルキアの存在を考慮したら?
俺は、恐る恐る後ろを振り向く。
既にティトラ君の近くまで来ている俺は、ナルキアとは三十メートル近く距離が空いている。
なのに、表情がよく見える。
目が全く笑っていない。
口は一文字に閉じられている。
ナルキアは真顔で、ティトラ君と女性達を見つめていた。
俺はすぐに正面へと向き直り、足早にその場から離れる。
そうだ。
俺はこれからバイトがあるのだ。
早くバイト先に行かねばならない。
寄り道をしている暇なんてないのだ。
……俺は、何も見なかった。
俺は神殿を出てから、脇目も振らずに食堂へと向かったんだ。
うん、そうだ。
そうだと思うことにしよう。




