勝利の時は来た。
ある日の昼下がり。
この前、一日だけ雇ってやった男が、またやってきた。
前に来た時に、飯を頼んで一口食っておいてから金を持ってないと抜かしやがったとぼけた男だ。
そのまま衛兵か英雄様に突き出してやろうかと思ったが、最近出された神殿のお触れを思い出して、一日だけ雇ってやった。
だが、あの日は散々だった。
取り敢えず何が出来るか聞いてみても、経験がないから分からないと言う。
試しに皿洗いさせてみても、手際が悪くて全然皿が回ってこねぇ。
仕方ねぇから注文取りに行かせてみたら、いちいち長々とメモを取って客に怒られるわ、注文間違えて俺が謝るハメになるわ。
本当に、散々な一日だった。
しかし、それでも俺達店主は、金がないヤツが居たら一日だけでも雇わなきゃならねぇ。
何せファントム様のお名前で、そういうお触れが出されてるんだからな。
だがまぁ、確かに仕事がないヤツを雇うってのは、悪いことじゃないとは思う。
元々、三ヶ月前に神様がやってきてから犯罪者の数は一気に減っていた。
英雄様が戦場で戦う代わりに、前線に行ってた軍人達が都市の警邏をするようになったからだ。
それでも、仕事がなくて金がないヤツは山ほど残ってた。
そんなヤツらも神殿からの炊き出しで一応食えてるし、衛兵が居るから盗みとかはしねぇ。
だがどうしても、街中に浮浪者みてぇなのが居ると街が陰気になっちまう。
だけどそんなヤツらも、このお触れが出されてからどんどん減っていった。
まだ少し残っちゃいるが、殆どのヤツらは毎日どこかで働いて、紹介された安宿で暮らしてる。
それでも結局はその日暮らしなんだが、頑張ってりゃいつかは仕事にありつけるヤツも多いだろうし、何より希望があるからやっていけるんだろう。
俺の店でも、あのボリスってヤツ以外にも何人か雇ってみたし、ウチの店は人手が足りてるからそのまま雇うってことはなかったが、出来が良い奴は人手が足りてねぇとこに紹介してやったりもした。
普通は信用がないからそんなヤツらは雇わねぇんだが、盗んだり暴れたりしたら衛兵がすぐに飛んでくるからな。
そいつらもそれが分かってるし、上手くやれば仕事に就けるんだから、真面目に働くヤツが殆どだ。
しかも仕事がないヤツらの殆どは、元々仕事があった、他の街から逃げてきたヤツらばっかりだ。
別の都市で普通に暮らしてて、邪神勢力の侵攻で仕事を失くしたヤツら。
だから一日雇いを申し込んでくるヤツも、元々の仕事で身に付けた技術を活かせる店に申し込むし、そういうヤツらは仕事の出来もいいから他の店へ紹介出来るヤツも多かった。
だが、あのボリスってヤツは違う。
街中には警邏軍人だらけで、犯罪を犯せばすぐに捕まっちまうってのに、アイツは俺の店で無銭飲食しやがった。
そんで雇ってやってやっても、皿洗い一つろくに出来やしない。
元々何の仕事をしてたんだって聞いても、言葉を濁して曖昧に答えるばっかりだ。
まぁ、世の中にゃあ出来が悪いヤツも居るには居る。
だからアイツも、特に何も考えずに無銭飲食しちまったり、あの歳なのに今まで働いてこなかったりと、出来が悪い男なんだろう。
悪いが、俺もそういうヤツに関わってやるほど暇じゃねぇ。
だからボリスとはその場限りの関係で、二度と会うこともないと思ってた。
なのに、また店に来やがった。
今度は客として来たのか?と思ってたら、また働きたいのだと抜かしやがる。
本当に頭の悪い野郎だ。
散々怒鳴りあげて、最後にはこの仕事に向いてねぇって言ってやってんのに、また来やがるとは。
しかも、人手が足りてねぇ休息日やその前日じゃなくって、普通の平日に来るんだぞ?
それも、忙しい時間が終わったばかりの昼過ぎにだ。
もうちょっと賢いなら、忙しくなる時間帯の昼か夕方に来るか、最低でも前みたいに休息日かその前日に来るのが筋だろうが。
そんな阿呆の相手なんざしてらんねぇから、俺は雇うのを断ろうかと思っていた。
だがボリスは、俺が怒鳴ってんのに食い下がって来やがった。
何がなんでもこの店で働きたいと。
あんなに仕事中に罵声を浴びせてやったのに、それでも働きたいなんて。
こいつは何なんだ?どっか狂ってんのか?
最後には英雄様を呼んで突き出すって脅してやったが、ボリスの野郎はその脅しにも屈しなかった。
しかも、命でも賭けてんじゃねぇかってぐらい、強い目で俺を見てきやがる。
結局俺は根負けして、仕方なくボリスの野郎をまた雇ってやることにした。
本当は関わりたくねぇんだがな。
ただ、ボリスがなんでこんなに強く粘るのか。
それが気になって仕方なかったから、雇っちまった。
そして先ずは、昼飯時に来た客が使った皿を洗うように指示した。
待ってましたと言わんばかりに、ボリスの野郎は皿洗いに向かう。
その自信の根拠はなんなんだ?
そう思い、俺は皿を洗ってるボリスを観察してみた。
……動きが違った。
こないだ来た時は下手くそでトロい洗い方だったのに、今日は動きがまるで別人みたいになってやがる。
まだそんなに早くは洗えてねぇが、それでも洗い方が上手い。
洗い残しがないように丁寧に洗いつつも、淀みなく動くことで無駄を省いてスピードを上げてやがる。
しかも、皿を洗っていくに連れて徐々にスピードも上がってきて、その上で洗い残しも全く残していない。
俺の息子達にも見習わせたいぐらい、綺麗な動きだった。
皿が無くなったところで、今度は店の掃除を任せてみた。
その様子もチラチラと覗いてみたが、客の邪魔にならないように音も殆ど立てずに、綺麗な動作で着々と掃除を進めてやがる。
少しぎこちなく見えなくもないが、それでも十分以上に及第点だ。
というか、掃除が苦手な俺からすれば、この時点でボリスは俺より掃除が上手いかもしれないと思える。
そして夕方になって、客が入ってくるようになる。
今度はボリスに接客を任せてみた。
するとボリスは、前のもたついてた注文聞き取りもそれなりにこなし、更には一品追加してはどうかと客にオススメまでしてやがった。
客のウケも良いし、大量に注文を頼まれても素早くメモをして間違えなかったし、料理を運ぶ時もメモをちゃんと見て、テーブルを間違えないようにしている。
全てが、前に雇った時とは違っていた。
皿洗いも、注文取りも、前はやらせなかった店の掃除も。
その全部が、前より大きく成長してやがった。
前に来たのが休息日の前日だったから、あれから四日しか経ってねぇ。
それなのに、こんなに仕事が出来るようになってるとは。
一体コイツに、何があったんだ?
いや、そもそも。
コイツは、何者なんだ?
―・―・―・―
大・勝・利。
今日の俺の全ては、この三文字で表現出来る。
今日俺は、前回惨敗した雪辱を見事に果たし、俺を散々罵倒しあげた店主に見直させてみせたのだ。
これを勝利と呼ばずして、何を勝利と呼べというのか。
そのぐらい、今日の俺は完璧に勝利したのだ。
いやー、本当に今日は最高に勝ったね。
最初に雇わないって言われた時はどうしようかと思ったけど、何がなんでも雪辱を果たしたかったから粘りに粘ってよかったよ。
衛兵や英雄を呼ぶぞって言われた時にはビビったけど、あの場で引かなくて本当に良かった。
なんか無骨だけど人情家っぽい店主だったし、あそこで引かなければ最終的には雇って貰えると俺は信じてたよ。
そして、おばちゃんメイドさんから教えて貰った皿洗い技術を早速披露。
視界の端でこっちを見てる店主が驚きの顔をしてるのを見て、内心ほくそ笑みましたとも。
あと、前に働いた時にはやらされなかった店の掃除も、おばちゃんメイドさんに指導してもらってたからそれなりにこなせたしね。
おばちゃんメイドさんは本当に家事スキルが半端なくって、人が居る時の掃除法やら音を立てない掃除法やら、色んなことを教えてくれてた。
そのおかげで掃除中も、一切怒られなかったってんだから、おばちゃんメイドさんには本当に頭が上がりませんよ。
いや、一応神様だから、本当に頭を下げるわけにはいかないけど。
ただ、ウエイターの時はちょっとヤバかったね。
事前にメニューを暗記してメモの取り方も研究して、更には料理を運搬する時の練習もしといたんだけど、流石にお客さんが居る中での本番は難しかった。
今日は土曜と違って平日の水曜だったから、客の数が少なめだったのが幸いだったね。
もしも土曜並に人が多かったら、多分俺は何回か混乱して間違ってたと思う。
まぁ、何はともあれ。
今回のリベンジは、俺の大勝利に終わったわけだ。
一度も怒鳴られることもなかったし、仕事終わりには店主に褒めてもらったしな。
この四日間、仕事が終わってから何時間も練習したり、執務時間中にもちょっとだけ部屋に戻って練習した甲斐があったってもんだ。
そして、仕事が終わって給金を貰う時。
俺は店長から、他の店になら紹介してやるって言われた。
なんでもこの店は人手が足りてるから、忙しい日なら臨時雇い出来るけど、ずっとは雇ってあげれないんだとか。
まぁ、店主の子どもの双子君達がウエイターとして働いてたし、厨房は店主と奥さんの二人で回せてましたしね。
そんなに大きくない食堂だったし、家族経営でも十分に回せるんだろう。
でも、俺はその紹介を断った。
そりゃまぁ、俺って神様だし。
もしも神様やってなかったら、こういう食堂で働く暮らしってのも悪くなかったんだろうけど、流石に神様業を放っておいてそっちで働くとか無理だもんな。
……ほんと、なんで俺は神様なんてやってんのかね?
異世界に転移するにしても、こうやって普通に働いて暮らすとか、そういう平凡な方向で転移したかったもんだ。
紹介は断ったのだが、今後も働きたくないかと言えば否だ。
最近は執務時間中も暇な時間が増えてきたし、働くのは意外と楽しいってのも思い出せたんだ。
折角なんだし、できればこのまま週に一度は働いていきたい。
だから俺は、毎週土曜日だけ雇ってもらえないか?と店主に相談してみた。
いまの俺は、毎週水曜日と土曜日にお忍びで神殿の外に出る予定となっているが、その内の水曜日のお忍びは公的なお忍びなのだ。
エーリッヒや高柳君は遊んでも良いと言ってたけど、それを真に受けて視察を怠るというわけにはいかない。
なので、次の水曜日からはしっかりと視察をする予定なのだ。
水曜日に視察をして、土曜日にはこの食堂で働く。
そんなサイクルが俺の理想であり、それなら視察してるという建前を崩すことにもならない。
更には土曜日に稼いだ金で、水曜日に遊ぶことも出来るのだ。
一応、公的なお忍び用にお金を貰ってあるけど、これは経費で落とすから明細を提出しないといけないんだよね。
だから流石に、買い食いしたりとか私的な買い物とかで使うわけにはいかない。
店主は俺の言葉に少し悩んでいたが、週に一回土曜日だけならということで許可してくれた。
こうして俺は、土曜日は昼前から夜までの間、この食堂で働くことに決まったのだ。
ただ本音を言うと、別の店で働いた方が良かったかなと、少しだけ後悔している。
いや、ここの店主は口は悪いけど良い人っぽいし、俺がこの世界で初めて働いた店でもあるし、何より今後も俺の成長を見せて完全勝利するためにはこの店で働くのが一番都合がいいんだが。
ただ、そのね?
この店、女っ気がないんだよね……。
店主の奥さんは当然女性だけど、ウエイターをしてる双子の子ども二人は両方とも息子さんで、大体十五歳前後だ。
メニューも男受けが良いメニューで酒も出してるから、客層も男だらけで女っ気は一切ない。
だから本音を言うと、もう少し女性が居る店を選べば良かったかなぁ……っと、思うわけですよ。
先週の土曜の俺よ。
何故、女性のウエイトレスが居る店に行かなかったんだ……。
俺は神殿の中でも外でも、黄土色の空気の中に居ないといけないのか……。




