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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
終章 幻月
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LAST NIGHT~幻想月下~



「この世には苦痛しかない」


 その言葉で、目が覚める。

 しかし。

 赤い。

 赤い視界。

 その赤い視界が霞んでよく見えない。

 見えるのは。

 灰色の空と。

 白い月──?

 そこでふと、記憶が蘇った。

 ああ。

 そうか。

 ここは、あの時の──

 思い出した途端、背中から泥の触感が伝わってくる。腹を貫かれた痛みが戻ってくる。手足が全く動かない無力感が還ってくる。

 同時に、それ以上に冷たい絶望感。

 まさか。

 まさか。

 今までのは全部。

 夢だったのか。

 彼女が。

 幻月の魔王が見せた。

 夢だったのだろうか。

 そんな。

 そんなことが──

 いや。

 俺は一度意識して息を吐く。

 いい。

 それでもいい。

 どちらが現実か夢かなんて、どうでもいいことだ

 大事なのは。

 今、目の前に、彼女がいること。


「生きるとは、つまりそういうことです。これから先、例え貴方が生き残ったとしても、一生苦しむことになる」


 そうだな。

 ずっと。

 ずっと、あんたは苦しんできたんだ。

 長い間ずっと。

 直面したこと全てを真摯に見つめて。

 苦しい、苦しいと思いながら。

 それでも、生きてきたんだよな。


「どんなに徳の高い聖職者でも、どんなに悦楽を極めた悪人でも、それは同じことです」


 そうだな。

 楽をしたい、楽をしたいと思って。

 それでも結局、苦しみから逃げられない。

 俺がそうだった。


「彼らはただ、生の苦痛から逃れたいだけ。そのために、彼らは神を作り、神を破り、さも自分が特別な境地に立っているように見せているけれど、結局のところ、それは虚勢に過ぎない」


 虚勢を張って生きてきた惨めな男と、さっき戦ったばかりだ。

 勝てるから強い、負けないから強いと思い込んで。

 そう思い込んだばっかりに。

 一度負けたら、もう立ち上がれない。

 立ち上がれないからこそ、必死で強い自分を守ろうとした。時代に置いていかれた年寄りのような発想。最強の自分というブランドを守ろうとした。自分が負けることはあり得ない。そんな世界のはずがないと、信じようとした。

 まさに妄信。

 まさに虚勢。

 馬鹿だ。

 もっと本当の自分を信じてやればよかった。

 ただそれだけのことなのに。


「現実と同じように、振り返れば自分の影はそこにある。気付けば、そこから深淵の瞳が覗いている。そして、どんなに逃げても、その影は決して離れない。どんなに見えないフリをしていても、その運命を覆すことは誰にもできない」


 ああ。

 そうだ。

 それでもいい。

 それでもいいから──


「だけど、もしそれでも生きたいと、貴方が望むなら──」


 何言ってんだか。

 決まってる。

 決まってるだろ。

 生きる。

 生きてさ。

 そして。

 お前と。

 お前と、ずっと──


「──望むなら、私の名を」


 ああ。

 分かってる。

 躊躇はない。

 これが現実で、もし、今までのが全て夢だったとしても。

 俺は、今目の前にいる彼女に手を伸ばすだけ。

 これが夢で、もし、目覚めた時に彼女がいなかったとしても。

 俺は、もう一度彼女に会えるまで捜し続けるだけ。

 そして。

 もし、これが死の間際に見る、最期の夢だったとしても。

 だとしても、俺は──


「──アリシア」


 今できる精一杯の微笑みで。

 今持てる精一杯の優しさで。

 今出せる全ての力を振り絞って。

 彼女に。

 世界で最も綺麗な月に手を伸ばして。

 ずっと。

 ずっと伝えたかった言葉を。

 彼女に。


「──ずっと一緒にいてやるからな」


 ああ。

 よかった。

 言えた。

 やっと。

 やっと。

 これで。

 これで、少しは──

 その時。


「──ありがとう」


 彼女の声と共に、白い月から、温かい雫が零れ落ちた。



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