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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第6章 決意
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8



 肉がぶつかる音、弾ける音が断続的に続く。

 ただ、俺は内心、拍子抜けしていた。

 弱い。

 弱すぎる。

 片腕となったレギンの攻撃は単調で、威力やスピードこそあっても、見切るのが容易すぎる。『影狼』のコンビネーションの方が数段レベルが高い。あれに比べたら、こいつの動きは素人同然だ。たまに連続技を使ってくるものの、明らかに練習さらまともにしていない付け焼き刃。繰り出す前から狙いが分かるような技では、貰いようがない。

 よって、奴の攻撃をいなした後、胸や腹など、臓器のある場所を焼いてやれば、それで簡単に殺せる。

 だが。

 戦いはもう30分以上続いている。

 俺が黒炎を使わないからだ。

 頬を掠める奴の右ストレートを避けながら、脇腹に蹴りを叩き込む。まるで巨木を蹴りつけたような硬い感触だが、確かに骨が軋む音が聞こえた。

 既に、20発近くは同じ場所を攻撃している。さすがの屈強な肉の鎧も、そろそろガタがきてもいい頃だ。

 レギンは低い呻き声をあげると、初めてこちらから距離をとった。そして、蹴られた場所を庇うように右手で覆う。その体勢のままこちらを睨むが、その顔も酷く腫れ上がっている。

 俺は敢えて追撃しなかった。

 代わりに、右の拳を握って具合を確かめる。奴の鋼鉄のような体を何度も殴っているため、全ての指が赤黒く鬱血している状態だった。

 しかし、まだ動く。

 まだいける。

 一瞬だけ左を見ると、部屋の端で大鎌を抱くようにして立っているアリシアの心配そうな顔が見えた。


「……くそったれが」


 そこでレギンが、今日初めて、まともな言葉を発した。その低く唸るような響きに、そちらを淡々と見据えながらも、体に力が籠もるのが分かる。


「手加減してんのか。舐めてんじゃねえぞ」

「舐められたくなかったら、もっとまともな攻撃をしたらどうだ?」


 そう言った瞬間、弾けるように飛び出してきたレギンが拳を突きだしてくる。しかし、あっさり避けて鳩尾にカウンターをきめてやると、目を見開いて膝を突いた。

 さらに顔面を蹴り飛ばしてやろうと思ったが、それは相手の腕が伸びてきて阻まれる。そのまま数歩後退して、少し前と同じ距離に戻った。

 痛みに痣だらけの顔をしかめながら、俺を睨む巨人。

 だが、弱い。

 弱すぎる。

 哀れ。

 哀れだ。

 関節を戻すように右腕を軽く振ってから、俺は目を伏せるようにしながら、呆れ気味に告げた。


「お前、何も対策してないだろ」

「……何だと?」

「俺にやられた後、何もしてない。ただふてくされて、味方に八つ当たりしただけか?」

「うるせえ!」


 レギンは怒りのまま飛び出そうとしたようだが、そこで体勢を崩した。

 ダメージが足にきているのだろう。

 情けないことだ。

 惨めな巨人に、俺は淡々と話し続ける。


「そもそも、自分にどれだけの実力があるのか、まともに考えたことがあるか? ただ、自分が最強だと勘違いしてただけじゃないか? あの腹心を殺したらしいが、自分ひとりじゃまともにグループが動かせないことくらい、気付けなかったのか?」

「黙れ……」

「能無しだな」


 巨人の修羅のような目がこちらを射抜く。

 だが。

 負け犬の虚勢。

 見栄を張るだけの無能。

 畏怖の感情など、これっぽっちも感じない。


「少しは現実を見てみろ。今のお前には何もできない。力もなければ仲間もいない。どう考えても勝ち目はない。ここで戦っても死ぬだけだ。だったら、さっさと逃げたらどうだ? 雑魚は雑魚らしく、尻尾巻いて逃げてみろ。それから死に物狂いで鍛えてみろ。それとも、そんなちっぽけなプライドも捨てられないほどの臆病者か?」

「貴様ァ……」

「まだ現実が見えないか? それとも、人間の言葉を理解できないだけか?」


 ただ冷酷に、無慈悲に、現実を述べてやる。

 しかし、結局、巨人には現実を見る度胸はなかったらしい。


「舐めるなよ」


 レギンは腰から取り出した金属球を床に叩きつけ、煙幕を噴出させた。

 たちまち、部屋中が白い煙に覆われる。

 思わず、溜息。

 本当に。

 稚拙。

 お粗末。

 そして下劣な、バレバレの策。

 煙を出す一瞬だけ、奴の視線が横を向いた。つまり、アリシアの方を。

 俺に勝てない。だから、彼女を先に攻撃しようと思った。そうすれば、俺が怒り狂う様を見られるとでも思ったのか。

 子供。

 子供か。

 馬鹿で。

 浅はかで。

 もう、どうしようもない。

 だったら。

 これで終わりだ。

 煙の中、奴の進路に回り込む。足音がするのですぐに予測できた。

 程なくして、煙の中から巨人が現れる。血走った怒りの目。

 そこに一瞬浮かぶ歓喜の表情。

 右腕が伸びてくる。

 どうやら、こちらを避けられない状況に誘い出したつもりらしい。確かに、今、背後にはアリシアがいる。避ければ彼女を危険に晒すことになる。

 ただ。

 あいにく、避ける必要性はどこにもない。。

 奴の右腕に。

 俺は、自分の右腕をぶつけた。

 奴の手がこちらの二の腕を、そして、俺の手が奴の二の腕を掴む。向こうの方が倍以上太い。

 その奴の巨大な手に、力が籠もる。

 一瞬で俺の腕の肉が潰れ、血が噴き出る。

 奴の勝ち誇った顔。

 だが。

 同時に、俺の指が食い込んだ奴の二の腕からも、血が噴き出す。

 鋼鉄のように硬い肉の鎧を。

 俺の手が、同じように握り潰す。

 巨人は信じられないといった表情。

 対して、俺は──


「舐めてるのはお前だ」


 修羅の目で睨みつけ、さらに右手に力を籠める。

 指がさらに食い込む。

 肉に。

 血管に。

 神経に。

 そして、骨を砕くほどに。

 強く。

 強く。

 強く。

 まだ。

 まだだ。


「ぐあああぁぁぁっ!?」


 巨人が悲鳴をあげる。こちらの力を殺ごうと、さらに二の腕を絞ってくる。

 骨を割れるほど掴まれる。

 同じ怪我。

 同じ痛み。

 だが。

 それに耐える力の差が、圧倒的に違う。


「や、やめろォ! 痛い! 痛いィ!」


 巨人が叫ぶ。子供のように暴れる。

 しかし、俺は腕を離さない。

 びくともしないまま。

 ただ睨み、ただ握り続ける。

 そして──


「──まだだ」


 口が独りでに呟いていた。

 そう。

 そうだ。

 俺は、もっと。

 もっと強くなる。

 どれだけ血を流そうが。

 どれだけ苦しかろうが。

 もっと上を目指す。

 彼女と。

 彼女の隣にいる。

 そして。

 そして── 


「諦めてたまるか──」


 そうだ。

 諦めない。

 俺はまだ、諦めていない。

 これを。

 これを、彼女に見せたかった。

 この巨人に勝つために、彼女が設定したトレーニング。彼女が与えてくれた血統。事実、そのふたつがあれば、俺は簡単にこいつを殺せただろう。

 だけど、それでは、彼女の予想範囲内だ。

 だから。

 だからこそ、俺はそのどちらも使いたくなかった。

 その為に、無謀とは分かっていても、魔獣の群に自分から飛び込んだ。その為に、今も敢えて黒炎は使わなかった。

 もちろん、結局は、どちらもある程度彼女に手を貸して貰っているのは分かっている。魔獣の群から助けてくれたのも彼女。黒炎は使わなくても、血統が持つ完全耐性に頼ってるのは事実。

 しかし、それでも。

 彼女の予想を、ほんの少しでも裏切りたかった。

 彼女の期待を、ほんの少しでも上回ってやりたかった。

 そうすれば。

 今はまだ雑魚な俺でも。

 いつか、俺が彼女の予想を裏切る日が来るかもしれない。

 いつか、俺が彼女の孤独をなくしてやれるかもしれない。

 たとえ今は幻でも。

 できるかもしれない。

 変わるかもしれない。

 それを。

 その希望と覚悟を見せたかった。

 どんなに血を吐こうが。

 どんなに傷を刻もうが。

 俺は諦めない。

 諦めない。

 だから。

 遠慮せずに、ずっと一緒にいていいんだと、言ってやりたかった。

 そのための証を。

 俺は。

 俺は──


「く──」


 右手から力が抜けそうになる。

 しかし、歯を食いしばって耐える。

 まだ。

 まだだ。

 戦う。

 戦う。

 戦ってやる!

 巨人の顔が苦痛に歪んでいる。悲鳴をあげているようだが、不思議と何も聞こえなかった。

 ただ。

 戦えと、体が叫ぶ。

 追い込めと、心が叫ぶ。

 そう。

 そうだ。

 もっと。

 もっと。

 もっと!


「うおおおおおお!」


 その叫びと共に、最後の力を振り絞る。

 そして。

 何かが木端微塵になり弾け飛ぶ感触が、右手を通して伝わってくる。

 赤黒いべっとりとした血が撒き散らされ、巨人の顔を半分濡らす。

 その顔は放心したまま動かない。

 ああ。

 そうか。

 終わった。

 終わったか。

 目を閉じる前に、彼女へ微笑んでやりたいと思ったが、その前に意識が体から離れていくのが分かった。

 立ちこめる白煙の中に、彼女の金色のシルエットが映った気がしたが、それは幻のように儚く、揺れる煙の中に溶けて消えていった。



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