6
翌朝の目覚めはよかった。悪夢を見ることもなかったと思う。もっとも、仮に見ても、以前ほど恐ろしくはなかっただろうし、単に気が張っていて、体が眠れなかっただけかもしれない。
いずれにしても、そのまま身支度をして、アリシアを伴い、上に向かうつもりでいた。
ところが、顔を洗うために外に出ると、アリシアとマリア、それからヴェスタが揃って、立ち話をしていた。全員着替えは済んでいる。女性陣の方が、相当に早起きだったようだ。
「どうした? 早いな」
そんな言葉をかけてみると、マリアが珍しく怒ったような口調で言った。
「水くさいじゃないですか」
「へ?」
「今日行くなら行くと、そう仰ってくれれば、いろいろ準備できたんですよ」
どうやら、今日、レギン達と戦いに行くことを言っているらしい。アリシアが話したようだ。そう思いながら彼女を見ると、彼女も一瞬だけこちらを見て、口元を上げた。これくらいは仕方ないでしょうと、そう言っているように見えた。
一応、改めてマリアに確認する。
「……準備ってのは、何の準備だ?」
「秘薬の調合室を貸して頂ければ、簡単な治癒薬くらいは──」
「ああ、なるほどな」
そういうことなら、確かに納得だ。
しかし、昨晩思い立ったのだから仕方ない。
その時、背後からも声が聞こえた。
「確かに水くさいな」
「うおっ!?」
相変わらずの、幽霊のように音もなく登場したのは、言うまでもなく、ジェレイドだった。
みっともないポーズをさせられたのに気付き、クスクス笑うアリシアに気恥ずかしい思いをさせられながらも、すぐさま白衣の魔王に言い返す。
「ちなみに、お前は何か準備する気があったのか?」
「いや、全く」
見事に言い切った。
もう文句を言う気力もない。
しかし、その後の言葉に意表を突かれた。
「負担を強いるようだが、あとはヴェスタ次第だ」
その時は、全く意味が分からなかった。
ところが、そこであっさりヴェスタは頷き、その後、あれよあれよという間に、それぞれの準備が進んで──
30分も経たないうちに、全員が監視室に集まっていた。
モニター横の壁にもたれた俺は、そこでジェレイドからおおよその話を聞いて驚く。
「……つまりあれか。ヴェスタの蘇生に使った『パーツ』ってのは、俺とアリシアが回収した、あの──」
「うむ。『霊犀と鋼の意志』だ。心肺機能がかなり怪しかったのでな。そこらの機械人形では間に合わない可能性があった。しかし、ここのコアなら性能として申し分ない。お陰で回復も早く済んだしな」
「いや、だけど、あれは確か──」
そう呟きながら、椅子に腰掛けている黒髪の少女、ヴェスタに視線を移す。その傍らにはマリアが屈み込んで手を握り、その後ろの壁際にはアリシアが立って、姉妹の様子を心配そうに眺めていた。
そう。
つまり、『霊犀と鋼の意志』を取り込んだヴェスタなら、ここの監視室を起動できるということらしい。それをとっくの昔に知っていたらしい彼女本人が、レギン組の居場所を特定するために、協力を申し出てくれた。それだけなら、まだ美談なのだが──
俺はジェレイドに耳打ちする。ただ、向こうが頭を下げようとしなかったので、耳までは結構距離があったが。
「なんでそんな面倒な機能を残したんだよ」
「好きで残したわけではない。分離する手間が惜しかっただけだ」
「だからって、自分がいないと監視室が動かないと分かったら、出て行きにくくなるだろ」
「それは心配いらん。彼女が去っても、必要なら、また新しいコアを造ればいい」
「そんな簡単に造れるものか?」
「簡単ではないな。しかし、不可能ではない。特に、私の場合は」
ジェレイドは、真面目なのか不真面目なのか分かりにくい顔で、淡々と述べる。
その時。
真っ暗だったモニターに、一斉に映像が映った。
「おお……」
思わず感嘆の声が漏れる。
中央の巨大なモニターに、遺跡の構造図らしき物が表示され、緑の点で光学センサの位置が表示される。そして、そのセンサで入手した映像が、他の小さなモニターに代わる代わる表示されていく。
それを一通り眺めてから、俺はヴェスタを見た。
やや辛そうに俯いている。彼女の小さな体にどんな負荷がかかっているのか、想像もできない。傍らのマリアが不安そうにその手を握っていた。
いや──
ふと、そうじゃないことに気付き、再びモニターを見る。
3層目の所々に映るのは、赤い血。
そして、死体も。
彼女は、それを見て、心に刻まれた悪夢を想起してしまっているのか。
今更ながら気付いた俺は、彼女に近寄って、止めようとした。
「おい。もう──」
「大丈夫」
短い声。
まだ幼い声だが、しかし、低く闘志の籠もった声でもあった。
「大丈夫です」
マリアも同じ言葉を吐き出して、こちらに微笑みかける。
「ヴェスタは、強い子ですから。それよりも、早く見つけてあげて下さい」
「あ、ああ……」
それもそうだ。とにかく早く、あの男達の同行をつかんでしまえば、それでヴェスタの仕事も終わる。
俺はモニターを見る。その隣にアリシアがやってきて目配せしてきた。そのまま、左右で手分けして、3層目を中心に巨人の姿を探す。あれだけデカい人間なら見つけやすいはずだ。
ところが、その時だった。
『キリキリ逃げんだろうが、コラァ!』
妙に懐かしく、そして馬鹿でかい声が、監視室に響きわたる。
多分、全員がそのモニターを見ただろう。そこに映っていたのは、彼らのユニフォームとも言える迷彩服を来た小柄な男。肌が臙脂色に近く、顔の皺が中央に寄っている。なんとなく、梅干しに似ていた。
しかし、記憶を探しても、特に見覚えはない気がした。
「……誰だ?」
俺の呟きに、しばらく沈黙が返ってくる。
「私……」
その静寂を破ったのは、マリアだった。そちらを振り返ってみると、何か引っかかると言わんばかりに首を捻っている。
「どうした?」
「いえ、あの人、どこかで見たような気がするんですけど……」
「本当か?」
ということは、マリア達の魔狩仲間だろうかと思ったが、そこでヴェスタが一言。
「……私、知らない」
彼女はじっとその男が映るモニターを見つめている。新種の昆虫でも見ているような、複雑な顔だ。
ヴェスタが知らないということは、彼女達のグループの人間じゃない。だとすると、やはりレギンの仲間か。皆同じ服装なので判別しにくいが、あれだけ分かり易い顔なら、通りすがりに見ただけでも印象に残ったかもしれない。
ところが、そこで隣に立っていたアリシアが一言。
「……なんで、あんな格好してるのかしら」
「へ?」
聞き捨てならない台詞に、また驚愕させられる。
「あいつ、見たことあるのか?」
「ええ」
モニターを見ながら、頷くアリシア。そのまますぐに、こちらを見据える。
「貴方だって、あると思うけれど」
「……マジ?」
「マジ」
俺は改めてモニターの男を凝視する。あんな分かり易い子男を見たら忘れないはずだが、しかし、これっぽっちも記憶にない。
しばらく記憶を探ってはみたものの、結局、唸るしかなかった。
「いや……、全く見覚えがないんだが。あんな面白い顔見たら、普通覚えてるだろ」
「うーん、でも、あまり覚えておきたい印象じゃなかったかもね」
「ああ……、そう言われてみれば、そんなタイプだよな。会った瞬間に、脳が忘れ始めるみたいな」
ところが、そこで、また意外なところから声があがった。
「私も覚えているぞ」
全員の視線が、壁にもたれていた白衣の男に集まる。
「……お前も見たのか?」
「ああ」
「どこで?」
「ヴェスタが倒れていた部屋に続く通路の前で」
それはまた、意外なほど最近で、かつ具体的だ。
だけど。
そこで何か引っかかった。
俺が頭を捻っていると、代わりにアリシアが、彼に尋ねた。
「貴方とは、どういう関係?」
「関係というほどの関係はないな。ただ、鬱陶しかったから、殴り倒しただけだ」
なかなかぞんざいな扱いを受けている男らしい。
そして、それがまた妙に引っかかる。
鬱陶しい男。
思わず殴り倒したくなるような。
殴り倒す?
そういえば、最近、そんなことがあったような──
あ。
「あ!」
俺は叫んだ。
そして、ほぼ同時に叫んだマリアと、顔を見合わせる。
「そうか! あの時の……」
ところが。
そこでふたりの表情が、枯れた花のように萎れていった。
あれ。
あいつ。
あいつは──
「……何て名前でしたっけ?」
マリアが呟く。
この時は確かめようもなかったことだが、実のところ、薄々感づいてはいた。
俺は。
俺達は。
あの男の名前を一度も聞いていない。




