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マリアが部屋に帰った後、居ても立ってもいられなくなり、部屋着のまま玉座の間へと続く扉を開けた。
鋼鉄の広間、そして円形通路を早足で歩きながら、彼女との会話の中で得た直感を逃がさないように確かめる。
死。
そうだ。
死だ。
どうやったって、人はいつか死ぬ。それは当たり前のことで、アリシアはもちろん、それは承知している。人の死に触れる機会が多かったからなのか、マリアもそれを受け入れていた。しかし、そんなマリアでも、ヴェスタが死んだと思った時は、何も考えられなくなるほどの放心状態に陥った。
それが普通。
親しい人がいなくなってしまう。それが悲しい。
至極当たり前のこと。
人間だって、魔王だって、それは同じ。
ただし、アリシアの場合は、その悲しみが自身の死によって消えない。いつまでも無に帰すことがない。
残酷。
残酷な運命。
その運命に、俺は勝手に怯えていた。
だけど。
それでも彼女は、その苦しみに直面しながら、真っ直ぐ生きると決めている。
だったら。
だったら、俺がしてやれることは決まってる。
最初から、決まってる。
付き合ってやると言えばいい。
彼女の生き様に、俺が死ぬまで付き合ってやると、そう言ってやればいいだけだ。
俺の生は俺だけのもの。
彼女の生だって、彼女だけのもの。
でも。
ふたりだから築けるものがある。
ふたりだから確かめられるものがある。
それを。
一緒に見よう。
俺が死ぬまで。
それでいい。
それだけでいい。
何故なら。
それしかできないのだから。
泣いて喚いて文句を言ったところで。
俺みたいな雑魚には。
俺みたいな人間には。
それしかできない。
そう。
そうだ。
結局、人間はいつか死ぬ。
みんな。
みんなそうだ。
だったら。
惨めでも。
辛くても。
そうするしかない。
マリアもヴェスタも、あの巨人だって、その部下だって。
そんな暗澹とした命を生きているんだから。
ただ──
「──やるさ」
鍾乳洞ルートへ続く扉を開けながら、そう呟く。
確かにそこまではその通り。
だけど。
俺はどうしても、彼女の為に見せてやりたい。
口だけなら何とでも言える。口が伝えられることなんて、たかが知れている。
ただの言葉よりも、もっと多くの想いを見せつけたい。
その為に、俺はここに来た。
蒼白い燐光を放つ洞窟。
その奥から覗く無数の紅い瞳。
今、アリシアはいない。
彼らをコントロールしてくれる者はいない。
でも。
前に進む。
短い通路を抜ける。
その瞬間。
猛烈な殺気と、冷気を裂く波動が襲ってきた。
やはり。
やはり、そうか。
訓練の時は比べものにならないプレッシャー。
俺は。
突撃してくる獣達の中へと飛び込んでいった。
いつも訓練に付き合ってくれている黒狼が最も多い。正式な名前は『影狼』で、俊敏な動きと統率能力、聴覚や嗅覚の鋭敏感覚、さらには闇との同化能力を持つ。ただし、同化能力を使うのは、強敵に対峙した時のみ。残念ながら、人類はその強敵に分類されていない。彼らの群は、人類では一種の台風と認識されるほど強力なものだという話だ。従って、同化能力を見られる機会さえ、滅多にない。
しかし、そういった情報は、今はあまり関係なかった。
右正面から駆けてきた『影狼』が前脚を上げて飛びかかってくる。
左にステップ。
でも。
駄目だ。
遅い。
案の定、そいつを避けた直後に、背中に重い衝撃があった。お得意の連係攻撃。前のめりにバランスを崩したのに逆らわず、前転するようにして地面を転がる。横からさらなる追撃を狙っていた魔獣が軌道修正して襲いかかってくるが、勢いが殺がれたため、なんとか右手を振って弾き飛ばす。
だが、その時には既に、死角になった反対側から、別の奴が首を狙って飛びかかってきていた。
駄目だ。
遅い。
遅すぎる。
何度も地面に倒されそうになりながらも、致命傷はすんでのところで避けていた。そんな紙一重の防御を繰り返しながらも、俺は自分の鈍さに苛立っていた。
目に頼っているようでは遅い。
敵が飛んできたから避けるのでは遅い。
相手は、こちらが避ける場所を予め計算してから、その死角を狙って追撃してくる。だから、その都度見ているようでは、ついていけないのは当たり前。その連続攻撃に対抗するには、こちらも頭を使うしかない。
しかし、考えているようでは間に合わない。
勘。
そう。
いつか彼女が言っていたように、勘だ。
それをできるだけ研ぎ澄まし、しかし、その都度思考とも付き合わせる。どちらかだけでは駄目だ。論理と直感。そのどちらも、コンマ数秒のレベルで駆使できなければ、この攻撃は防ぎきれない。
考えるけど、考えない。
できるだけ考えなければならないが、考えすぎてはいけない。
そのバランス。
そのセンス。
こいつを身につけなければ。
話にならない。
俺は魔獣の追撃から逃げ回りながら、考える。
進路を塞がれ足が止まったところを、右サイドから狙われる。頭では牽制だと分かっていたものの、相手の動きが鋭すぎて、避けるのは間に合わない。攻撃を弾いた瞬間、背中に別の魔獣の爪が食い込む。しかし、急所はなんとか外した。前後を挟まれながら、足を振り上げ、後ろの奴のバランスを崩す。だが、さらにその動きを読んで、別の魔獣が腹めがけて飛び込んでくる。
隙が。
隙がない。
常に全力を強いられる状態。いつまでもは保たない。
だが。
負けるか。
負けるもんか。
戦う。
戦う。
戦う。
その本能で。
気力だけでも。
魔獣の爪を避ける
奴らの追撃をかわす。
それが。
1分。
2分。
そして。
どのくらい経ったかも分からなくなった、その時。
不意に、踏ん張ろうとした足から力が抜けた。
「あ──」
マズい。
そのあまりにも大きな間隙が、必死の空白を作ってしまう。
あとはもう、思考が追い付かなかった。
一斉に飛びかかってきた魔獣達に、地面に押し倒される。あちこち噛みつかれそうになるのを、闇雲に暴れて阻止する。
群がる。
群がってくる。
黒い毛。
紅い瞳。
死ぬ。
死ぬ。
だが、その時。
魔獣達の動きが、一斉に止まった。
こちらをふてぶてしく睨む紅い眼光。
それらが1匹、また1匹と去っていき、全身にのしかかっていた重圧から解放されていく。
何だ?
どうして?
しかし。
不意に気付いた。
ああ。
彼女か。
しばらく待っても誰もやってこなかったものの、体を起こし、通路の方へと振り返る。
すると。
やはりその場所に、彼女が立っていた。
蒼い幻想的な光が舞うこの場所に、ただひとつ昇った幻月。鋼色の通路から1歩だけ出たその場所で、腕を背後で組み、漆黒のワンピースと黄金の髪を微かに揺らしている。まさに妖精を思わせる、絵になる可憐な立ち姿。
ただ、彼女は微笑んではいたが、今にも泣き出しそうな、寂しげな表情に見えた。
あの時の。
あの回廊ルートで見せたものよりも、さらに辛そうな表情。
そして、俺が声をかけようとした瞬間、彼女はくるりと振り返って、通路の奥へと歩き出す。
それでも、俺は呼びかけた。
「待て」
彼女は立ち止まる。
しかし、こちらを見ない。
怒っているのか、悲しんでいるのか、不明。
俺は立ち上がった。
「明日、奴と決着をつける」
すると。
彼女は振り返って、その銀の視線をこちらに向けた。
驚いているようにも、睨んでいるようにも見える、そんな曖昧な瞳。
「一緒に来てくれ」
静寂。
彼女の瞳は、白い顔は、本物の月のように微動だにしない。
しかし。
やがて、アリシアは微かに頷く。
彼女の中で、何かの覚悟が決まったのかもしれない。
そんな気配。
もちろん、俺の中でも、覚悟は決まっていた。
明日。
明日で全て、終わらせる。




