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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第6章 決意
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 マリアは思いの外早くやってきた。多分、1時間はかからなかっただろう。妹が寝付いたらということだったので、ノックの音がした時は完全に油断していたほどだ。

 そして、いつかと同じようにベッドに上がり込み、上品に正座した。今日はこの前と違って寝間着姿なので、尚更気恥ずかしい雰囲気だった。

 ところが、いざ彼女が口を開くと、その話題は意外なものだった。


「アリシアさんと、何かありました?」


 さすがに驚く。そこだけは突いて欲しくない場所を見事に突かれた感じか。

 自分でも不自然さが自覚できるほどあからさまに視線を逸らす。マリアは正座したまま、それをじっと見つめる。その視線を避けるために、壁の剥製をなんとなく眺めた。相変わらずの悪趣味なオブジェだが、今はそちらを見ている方が気が楽だ。

 沈黙が、かなり長く続く。


「……言い出したのは、ヴェスタなんですよ」


 マリアは少し微笑む。


「ヴェスタが、アリシアさんに元気がないって、そう見えるって、私に教えてくれました。私はあまり気が付きませんでしたけど、そういえば、シドさんも元気がないなって思いました」


 そうか。

 やはり、傍目から見れば分かるものらしい。ほぼ初対面の人間でも読みとれるほど、彼女に辛い顔をさせていたということか。

 どうする。

 どうすれば──


「あの、こういうのは立ち入った質問かもしれませんけど」


 マリアはやや前傾の畏まった姿勢になり、こちらを真っ直ぐ見据える。


「シドさんとアリシアさん、どういう関係なんです?」


 改めて聞かれると、なかなか困る。

 しかし、少し考えてみると、自然に頭に浮かぶフレーズがあった。


「……恩人だ」

「恩人、ですか?」

「ああ」

「……アリシアさんが、ですか?」

「ああ」


 本当のところを言えば、別の感情や関係があるかもしれない。あって欲しいと思わないでもない。

 しかし、結局のところ、俺は恩を貰ってばかりで、何も返せていない。

 だから、恩人。

 それ以上立ち入る資格は、俺にはないのかもしれない。

 マリアはしばらく黙ったまま、こちらをじっと見つめていた。しかし、視線を一旦下に落としてから、不意に顔を上げた時には、穏やかに微笑んでいた。


「シドさんの恩人なら、私にとっては、恩人の恩人ですね」


 何を言い出すかと思えば……

 俺は軽く首を振る。


「だから、助けた覚えはない。言ったろ? 血を貰ったから、その借りを返しただけだって」


 ところが、マリアはそこでにっこり微笑むと──


「嘘ですね」


 いともあっさり、否定した。 

 その笑顔があまりに朗らかだったので、反論することも忘れてしまっていた。そこまではっきり反論できる根拠が、自分にはさっぱり予想できなかった。

 だが、彼女が続けた説明は、意外にも論理立っていた。


「冷静に考えてみれば、簡単なことでした。私はあの時、秘薬を渡すから、その代わりにヴェスタを助けて欲しいと言ったんです。ですから、単に貸し借りということなら、私は見捨てていってくれてよかったはずです。そうじゃないですか?」

「いや、それは、あんたが捕虜にした方が、脱出が楽だったからで──」

「いいえ。それを言い出したのは私です。あの時の貴方は、よくそんな方法が思いつくなって、呆れた顔をなさってました」


 なんというか、よく見ている。それを言われると、返す言葉もない。

 マリアは勝ち誇った笑みを浮かべ、さらに続けた。


「そもそも、あのままでは死ぬしかないという状況なんです。普通なら、ひとりだけ逃げたとしても、文句を言う人はいません。どうせ、戦えない私には逃げられる可能性はないんです。ですから、戦える誰かに望みを託すしかない。ですけど、回復するなりその人が逃げてしまっても、それはそれで仕方がない。恨むつもりは全くありませんでした。ひとり助けられたのですから、私にしてみれば上出来です。もちろん、ヴェスタのことは心残りだったと思いますけど……」


 彼女はその言葉を淡々と話した。死をあるがまま受け入れていると言うべきなのか。捕まった自分が助からないことを、あの時既に冷静に受け止めていたのか。

 死。

 そうだ。

 死だ。

 俺の中で、何かが引っかかった。


「ですけど、シドさんは、そうじゃなかった」


 マリアは真っ直ぐにこちらを見据える。

 その黒い瞳は潤んでいるようにも見えた。


「私のことも、それから、ヴェスタのことも、決して見捨てなかった。保身の為に、捨てていって下さってもよかったはずなのに、そうしなかった。それは、どうしてですか?」


 あの時のことを思い出す。

 何か。

 何か、そう──

 腹が立った。

 目の前で死にかけている女が、自分のことよりも、妹のことを気にかけていたから。まだ生きているのに、そんな簡単に命を投げ出すのが許せなかったから。

 いや、違う。

 許せなかった。

 許せなかったのは、俺だ。

 あの時、諦めていたのは、俺だ。

 命を投げ出していたのは、俺だ。


「──やっぱり、俺の為だな」


 俺はそう呟いて微笑む。

 じっとこちらを見つめる彼女に、言葉が淀みなく出て行った。


「俺がどうしても、そうしたかった。惨めな俺を清算したかった。ただそれだけだ。それ以外にはない。俺は、そうやって周りに迷惑ばかりかけてる、自分勝手な人間なんだ」


 そこで。

 マリアもまた微笑んだ。


「全然迷惑じゃないと思いますよ」


 その彼女の声色は、かつてないほど穏やかで、そして優しかった。

 そう。

 そうか。

 その言葉だけで、今の自分にとっては十分だ。


「あの、お願いがあります」


 不意にマリアは頭を下げてそう言った。いつか見たのと同じ、綺麗なお辞儀だ。

 

「私をここに置いて頂けませんか?」

「え?」


 さすがに驚いて声を出すと、彼女は顔を上げてこちらを真摯に見つめる。


「ひとりの奴隷としてで構いません。身の回りのことで、雑用でも、それから、秘薬の調合でも、私にできることなら何でもします。ですから、どうかお側に置いて頂けませんか」

「いや、でも、俺は──」

「知っています」


 まるで決闘を申し込まれているかのような、一部の隙もない視線がこちらを射抜く。


「実は、最初にここへお邪魔する前に、まずアリシアさんに相談しました。その時に、シドさんがここで何をしようとしているのか、おおよそのことは伺いました。それを理解した上でのお願いです」

「……理由は?」

「お仕えしたいと思ったからです」


 また不思議なことを言い出した。

 仕える?

 俺に?

 まさか。

 しかし、マリアはそこで、微笑んでさえみせた。


「いつかそういう人が現れるかもしれないと、私を育てて下さった方から伺ったことがあります。そして、心からそう思えたのは、シドさんが初めてです。ですから、どうか、お願いします」


 再び頭を下げるマリア。

 はっきり言って、俺は困った。

 自分とアリシアさえいれば、それで十分だと思っていた。それがまさか、人を雇うかどうか迷う日が来ようとは。


「──妹はどうする?」

「あの子には、最初に相談しました」


 顔を上げた彼女は、口を結んだまま微笑む。


「私と一緒にいると、そう言ってくれました。私が面倒を見ますし、それに、もうあの子も一人前ですから、大丈夫です」


 どうも、あの様子だと、外堀は全て埋まっている気がする。

 つまり、これも結局は、自分の問題か。

 俺に仕えたいと言っている女性。

 俺に覚悟があるのか、ないのか。

 それが全て。


「──ひとつ約束できるか?」


 そう切り出すと、彼女は居住まいを正してこちらを真剣に見つめる。


「俺に仕えたくないと思ったら、すぐに言ってくれ。出て行くべきだと思ったら、ここから出て行け。俺に変な遠慮をするのだけはやめろ」

「はい」


 マリアはにっこりと微笑んだ。今まで見た中で、一番明るい笑顔だったかもしれない。

 そして──


「あの、実は、私からも条件があります」


 雇われる方が条件を言い出した。

 何のこっちゃと顔をしかめたが、その内容を聞けば納得だった。


「アリシアさんと、仲直りして下さいね」


 なるほど。

 何というか。

 彼女らしい。

 俺は躊躇なく頷いて、そして微笑んだ。


「ああ」



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