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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第6章 決意
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 彼女に何かしてやれることはないか。

 ジェレイドの話を聞いた日から、そればかり考えていた。しかし、その度に、彼の話の通り、何もないことに気付く。人間でも魔王でも、彼女は優しく微笑みかけてくれるのに、俺達は何も返してやれない。何もしてやれないのに、彼女は微笑みかけてくる。それが重荷になっている自分が、益々情けない。

 それでも、表面上は訓練を続けた。いずれにしても、レギンは倒さなければならないし、そうしなければ、マリア達がここから出るのも一苦労だ。この前のように、彼女の血を借りれば、今すぐにでも勝てるかもしれないが、次は向こうだって対策を立ててくるだろう。それに、あの勝ち方は気持ちいいものじゃない。ただでさえ負い目があるのに、これ以上彼女を傷つけるのは忍びない。

 いや。

 もうひとつ、あまり考えたくない予測があった。

 あの男を倒したら、今の状況が一段落したら、彼女は目の前から消えてしまうのではないか。

 その方がいい。一時だけ過ごした謎の魔王という関係くらいが、こちらにとって傷が浅くて済む。

 アリシアはそんなことを考えているのではないか。

 彼女と顔をつき合わせている間は無理でも、それ以外はずっと、そのことばかり考えた。日に日にその時間は長くなった。俺を避けているというわけじゃないと思うが、彼女の所在が分からない時間が多くなった。いや、そもそも、俺は普段の彼女が何をしているのか、あまりよく知らない。

 彼女のことを、知ろうとしていない。

 彼女は俺の話をあんなに聞いてくれたのに。

 それなのに、俺は、彼女の話を何も聞いていない。

 何も分かってやろうとしないまま、ただ甘えていただけ。

 都合のいい女として利用していただけ。

 漆黒のベッドに仰向けになって、少し考えただけで、その結論は出た。それほどに簡単なことを、傍目から見れば当たり前のことに、俺は気付かないふりをして、ふたりで生きるんだとか何だとか、ほざいていただけだ。

 最低。

 最低だ。

 考えれば考えるほど、明らかになるのは、俺が如何に駄目な男かということ。

 無謀で自分勝手。

 礼儀知らずで、すぐ調子に乗る。

 そして、無力。

 無知。

 最低のクズからは這い上がったつもりでいた。しかし、それでやっとこの程度だ。彼女から見れば、以前も今も、同じ虫けらみたいなものに違いない。何も努力しない、何も真面目に見つめようとしないで、ただヘラヘラ生きているだけの男に見えるに違いない。

 だけど。

 それでも、今からでも、頑張ればいい。

 這い上がればいい。

 腐っていたら、そのまま終わってしまうのだから。

 泣いて神様にお願いしても、一度リセットさせてくれるわけじゃないのだから。

 だから、そうするしかないでしょう?

 そう言って、彼女は励ましてくれた。

 こんなゴミみたいな男でも。

 そうやって生きれば、きっと、充実した何かが得られる。

 そう教えてくれた。

 そんな。

 そんな優しい女性だ。

 だから。

 だからこそ、今の俺があるのに。

 それなのに。

 その何かは結局、俺にしか役に立たないもので。

 ただ自分の為にしかならないもので。

 彼女には何の役にも立たない。

 それどころか。

 俺は。

 俺は、先に死んでしまう。

 何か彼女に残そうとして、精一杯生きても。

 結局。

 何も残せないまま死んでしまうかもしれない。

 そんな俺の哀れな姿を彼女の心に刻んでしまうかもしれない。

 そして。

 優しい彼女は、それでも、そんな馬鹿な男の為に泣いてくれる。

 泣いてしまう。

 それでもいいんだと、哀しそうに微笑みながら。

 ずっと。

 ずっとそうやって生きてきて。

 胸を刺すほど悲しいことだと分かっているのに。

 それでも。

 ボロボロになっても、彼女はやめない。

 真面目に。

 真っ直ぐに。

 誰に対しても、決して嘘はつかずに。

 ただひたずら。

 前へ。

 前へと──

 強く。

 強く。

 強すぎる。

 そして。

 そんな彼女に、今更、俺なんかが──

 そこで息を吐いて、ベッドから起き上がった。

 駄目だ。

 考えられるものならいくらでも考え続けたいところだったが、脳にも体にも限界がある。本当に情けないことだが仕方ない。とにかく、顔でも洗って頭を冷やすことにした。

 ところが、扉を開けてすぐに、誰かが息をのむような物音に気付く。

 やや意表を突かれたものの、すぐに廊下へ顔を出して覗き込んだ。

 すぐ脇の壁に手を突き、目を見開いていたのは、長い黒髪を下ろしたほっそりとした少女。

 ヴェスタだ。

 互いに予想外だったからだろう。そこで見つめ合ったまま、しばらく沈黙が続いた。お互い、何を話せばいいのか分からなかったのもあるかもしれない。

 ただ、いつまでも黙っているわけにもいかないので、一度視線を逸らして頭を掻いてから、なるべく静かな口調で尋ねてみた。


「何してるんだ?」


 よくよく考えてみれば、いつもならマリアとふたりで寝ている時間ではないか。そう思って改めて観察してみると、彼女は寝間着らしきゆったりとしたワンピース姿だった。ネグリジェと言うのかもしれないが、自分のイメージするそれよりはかなり質素なデザインだ。

 彼女は明らかに戸惑った様子で視線をさまよわせていたものの、やがて半分だけこちらを見るような微妙な視線で、呟くように言った。


「……鍛錬」


 一瞬、頭の中で意味が変換できなかった。目の前のか弱そうな女の子とは、明らかにそぐわないフレーズだ。


「タンレンって、体を鍛えるあれか?」


 ヴェスタは壁に両手を着いたまま、コクンと頷く。

 そこでまた、気まずい沈黙が流れた。

 やはり。

 やはり、やりづらい。

 本音を言えば、ここで、「そうか。まあ頑張れ」とでも言って逃げたいところだったが、それを彼女がどう感じるのか、さっぱり想像できない。だから子供は、特に女の子は扱い辛い。

 だけど、ちょうどその時、客間の扉のひとつが開いて、奥からマリアが顔を出す。そして、こちらを見るなり微笑んだ。


「どこに行ったのかと思った。シドさんも、こんばんは」


 マリアは落ち着いた足取りで近くまで歩いてくる。ヴェスタとほぼ同じ服装。しかし、大人びた容姿のせいか、ヴェスタよりもずっと色っぽい。

 彼女は妹の背後に立つと、その頭を優しく撫でる。案の定、ヴェスタはその腰にピタリと張り付いた。


「またこっそり練習?」

「練習?」


 何の話かと思って聞き返すと、マリアは妹からこちらに視線を移す。その表情はいつにも増して穏やかだ。


「はい。まだ少し、歩くのが大変なんです。だから、こうやって、たまにリハビリしてるんですよ」

「ああ……」


 なるほど。

 そういうことなら納得だ。鍛錬などと言われたから、戦闘訓練でも始めたのかと思った。

 すると、不意にヴェスタはマリアから離れ、壁に手を突きながら歩き始める。こちらとは逆方向。彼女達の寝室の方角だ。

 しかし、マリアは特に手を貸そうともせず、ただ見ているだけだ。

 それを意外に思っていると、その視線を感じ取ったのか、彼女はこちらに近寄ってきて、耳打ちする。


「私が手伝うと怒るんです。そんなのじゃ、いつまで経ってもちゃんと歩けるようにならないからって」

「へえ……」

「そういう子なんです」


 彼女はそう言って微笑む。どこか誇らしげな表情だ。


「真面目で努力家。そういう意味では、アリシアさんと似てるかもしれませんね。まだ少しお話しただけですから、はっきりとは言えませんけど」


 ああ……

 俺はすぐに納得したのに、返事ができなかった。

 多分、変な顔をしたのだろう。マリアはやや戸惑った表情を見せて尋ねてくる。


「……どうかしました?」

「いや」


 咄嗟に軽く返事をして、右手を挙げる。部屋に戻るというサインのつもりだった。マリアは怪訝そうに首を傾げたものの、特に呼び止めはしなかった。

 ところが、そうでもなかった。


「あ、ちょっと待って下さい」


 扉が閉まる寸前に、マリアがそう言って駆け寄ってくる。そして、ドアの隙間に微笑んだ顔を近付けると、小声で尋ねてきた。


「この間の続き、聞いて貰ってもいいですか?」

「へ?」


 何のことだろうかと、記憶を探ろうとしたが、その前にマリアが機敏に後を続けた。


「ヴェスタが寝付いた後に伺います」


 そう言うなり、彼女は足早に妹の背中を追っていってしまった。

 何だろう。

 いったい何の話かと思ったが、そこでようやく思い出せた。

 そう。

 そうだ。

 御礼がどうとか言ってた日の……

 そんなこと、別にいいのにとは思ったが、しかし、わざわざ断りに行くのが、どうしても億劫だった。

 結局、何も言わないまま扉を閉めて、ベッドの上に倒れ込んだ。



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