NIGHTMARE~崩落円舞~
首を失った男の体が仰け反る。
そのままゆっくりと後ろに倒れ込み、雑草の生えたの上に大の字になる。流れ出す血液が、土と草の両方に染み込んでいく。
動かない。
死んだ。
死んでいる。
そう。
そうか。
俺が殺した。
それだけだ。
ふと気付くと、周りにも似たような男達の死体がいくつか転がっていた。
「お疲れさま」
その流麗な声と共に、背後から気持ちのいい夜風が吹く。
俺は振り返った。
夜空よりもさらに深い漆黒のドレス。
その両側を流れ星のように流れる黄金の髪。
人形のように華奢でスマートな体と、それにお似合いの慎ましく小さな顔。さらに、陶器のように滑らかな肌を纏う神秘的な白い光。
そして、彼女の名に相応しい、透けるような銀色の瞳。
綺麗。
可憐だ。
もちろん、彼女だった。
「ああ」
俺が軽く笑うと、彼女も機敏に微笑む。穏やかで上品で、こちらの胸を満たしてくれる、まさに月光のような微笑み。
「少し休む?」
ちょうど俺もそう思っていたところだ。彼女に近づいて、その肩を抱きしめると、近くにあった平らな岩に揃って腰掛けた。
ここは湖畔。
目の前には、深い紺色に染まった大きな湖。その清冽な湖面に、遠くの山々と、大きな満月が映っていた。
「綺麗ね」
その光景を見つめながら、彼女が呟く。
でも、俺はすぐに彼女を見つめて、告げた。
「お前の方が綺麗だ」
「そう言うと思った」
彼女はそう答えながら、悪戯っぽい笑顔でこちらを見つめ返す。
しかし、銀の瞳は危うく揺れていた。
キスして。
脳の奥で囁かれた気がした。
少女がねだっているような。
淑女が誘っているような。
その両方が溶け合ったような。
甘く切ない視線。
完璧。
完璧だ。
彼女の瞳の奥を覗き込むように、顔を近付けていく。
見つめ合いながら。
その銀の宇宙に引き込まれながら。
俺は。
俺達は。
唇を──
だけど。
そこでふと、彼女の瞳の中に、それが見えた。
映っている自分の顔。
肩のその上に。
金の。
金色のライン。
何だ?
これは。
糸?
そのワードが浮かんだ瞬間。
彼女の体が影に変わった。
同時に、世界も闇に堕ちた。
気付くと、俺は魔物と戦っていた。
黒い毛もくじゃらの化け物。大木に匹敵するほど背が高く、地に突いた四肢は巨木以上の迫力。紅い瞳が容赦なくこちらを見下ろしている。
しかし、恐怖はない。
勝てる。
勝てるからこそ、俺は──
振り下ろされてきた腕を避け、そいつに拳を叩き込んだ。
その場所が黒く燃える。
だが。
もっと。
もっとだ。
俺が心の中で叫ぶと、黒い炎があっという間に燃え広がる。
そして、魔物の全身に燃え広がったと思った瞬間には、そいつは大量の灰を残すだけだった。
ほら。
ほらな。
「簡単でしょう?」
「ああ──」
思わず返事をしてから、急に寒気がした。
何故。
何故だ?
分からない。
分からないが、とにかく振り返る。
すると。
彼女がそこに立っていた。
安堵の息。
幻月のいつもの微笑みが、俺をいつも通り受け止めてくれた。
「おめでとう。これで、貴方はさらに強くなった」
そう。
そうか。
訓練の最中だったわけだ。
つまり、彼女が用意してくれた障害だから、俺に倒せないわけが──
そこでまた、急に背筋が寒くなった。
何だ?
変。
変だ。
何かおかしい。
何か妙な違和感がする。
これは。
怖い?
怖いのか?
怖いとして、いったい何が?
目の前にいるのは、いつもの可憐な彼女。その姿を見るだけで、無意識に微笑んでしまえるほど親しみ慣れた、俺の最愛の人。
だけど。
不意に気付く。
その微笑みが動かない。
固まったように。
人形のように。
おかしい。
これは。
おかしい。
すると。
彼女の肩から、何か上に伸びているのが見えた。
糸。
金の糸だ。
その時。
「気付いちゃったんだ」
彼女の声が聞こえる。
だけど。
どこから聞こえたのか、分からなかった。
そもそも、目の前の彼女は微笑んだまま。
どこ。
どこだ?
いや──
誰?
彼女は、誰だ?
「魔王」
声が聞こえる。
さらに。
俺の体が勝手に動き出す。
勝手に頭が持ち上がり、上を見ようとする。
まるで、誰かに操られているみたいに。
いや。
違う。
そうじゃない。
俺は眼球を動かして、自分の右腕を見た。
或いは、それすらもまた、彼女の意志だったかもしれない。
そこに、俺は。
操り人形の俺は、見た。
自分を操る金の糸を。
そして──
見上げた先に、洞窟の天井に空いた穴の縁に腰掛けている、彼女の姿が見えた。
同じ。
いつもの彼女と同じ、可憐な姿。
しかし、その顔には、いつもの優しさが完全に消え去った、邪悪な魔王そのものの笑みが浮かび、その両手から伸びた金の糸が繋がっている人形達の様子を、したたかに見下ろしていた。
俺はベッドから跳ね起きた。
飛び出しそうな心臓の鼓動。
流れ落ちる汗。
黒い天井に刻まれた紅いライン。
しかし、その気色悪さのお陰で、ここが現実だと認識できた。
呆然と息を吐く。
やがて右手を目の前に持ってきて、それをじっくりと眺めた。
金の糸は──
ない。
なかった。
よかった。
大きな溜息が一度だけ出る。呼吸がやや楽になるのを感じる。
でも。
実のところ、そんなものは何の気休めにもならないと分かっていた。
そう。
そうか。
何が怖いのか、ようやく分かった。
気付かなければいいと思っていたことに。
気付いてしまった。
俺は。
俺は──
彼女を。
幻月のアリステシアを。
恐れている。
だけど。
その事実がどうこうよりも、自分に腹が立っていた。
俺はどれだけ馬鹿なんだ。
俺は。
何も。
何も、分かってなかった。
そして、今更が気が付いたくせに。
のこのこ怯えている自分が許せなかった。
ずっと分かっていた。
分かっていたはずだ。
彼女は。
彼女は。
魔王だ。
「くっそおおおお!」
その叫びと共に、苛立ちの全てを鋼鉄の壁にぶつける。短い地響きと共に、その場所には、『壊し屋』レギンの名に相応しい、隕石が衝突したようなクレーターができたが、もちろん、そんなことで気が収まるわけもなかった。
収まるとしたら、方法はひとつだけ。
奴を。
その陰気な顔をした男を、この手で八つ裂きにする。
その上で、あの幻月の女を、この手で滅茶苦茶にしてやる。
それだけ。
それだけだ。
殺す。
壊す。
それ以外にはない。
そうでなければ。
俺の左腕を消し飛ばした恨みが晴らされるわけもない。
なんて。
なんてことを──
俺の。
俺の左手だぞ。
他の誰のでもない。
俺のだ。
人類最強の、俺の手を奴は奪った。
殺す!
殺す!
殺す!
「リ、リーダー……」
ひよっこの部下が弱気な声を出す。
俺はすぐさま、そいつを蹴飛ばした。
部屋の一角が、壁に衝突して潰れたそいつの血肉で汚れたが、もはや、そんなことはどうでもいい。
「奥だ! とにかく奥に進め! 奴らは必ずそのどこかにいる! その場所を見つけ出して知らせに来い! 俺が奴らをぶっ潰す!」
その命令を受けて、ミーティングに集まっていた部下達が散っていく。明らかに逃げ腰の人間もいたが、悲鳴をあげないだけましだ。もしも、みっともない声をあげる腰抜けがいたら、この場で蹴り飛ばしてやるところだ。
ところが、すぐに動かない部下がひとりだけいた。咄嗟に殺してやろうと思ったが、そいつは一番付き合いの長い古株だったので、一応自重した。俺ほどじゃないが腕も立つ。ただ、こいつのお陰で命拾いしたのだと自覚すると、どうも腹が立つ。こいつがもう少し気を利かせて早く来ていれば、俺の腕も無事だったかもしれないというのに。
「どうした?」
彼は少し渋っていたが、やがて口を開いた。
「一度撤退しませんか?」
俺の中で、何かがキレるのが分かった。
はあ?
何言ってんだ、こいつは。
「奴の能力は、はっきり言って未知です。それに、街に戻れば、左腕の義手だって──」
あとはもう聞いていられなかった。
そいつを思い切り蹴り飛ばし、壁に叩きつける。
派手にひっくり返った木箱の下から、みるみる血が流れ出してくる。
男は動かない。
壊れた。
死んだ。
それだけ。
それが当然の報いだ。
奴の能力が未知だからどうした。俺が負けるとでも思ったのか。左腕がなかったら、俺があんな奴に遅れをとるとでも思ったのか。
くそが。
てめえに。
てめえみたいな雑魚に何が分かる。
馬鹿が。
死んでろ。
そいつの死体に唾を吐いてから、俺はその部屋を立ち去った。
そういやどんな顔だったっけと一瞬思い出そうとしたが、当然というべきか、すぐにあの男への怒りと、あの幻月の可憐さに打ち消されて、次の瞬間には、そいつを殺したことさえ忘れられるほどだった。
俺が。
俺が必ず殺す。




