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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第5章 遷移
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NIGHTMARE~崩落円舞~



 首を失った男の体が仰け反る。

 そのままゆっくりと後ろに倒れ込み、雑草の生えたの上に大の字になる。流れ出す血液が、土と草の両方に染み込んでいく。

 動かない。

 死んだ。

 死んでいる。

 そう。

 そうか。

 俺が殺した。

 それだけだ。

 ふと気付くと、周りにも似たような男達の死体がいくつか転がっていた。


「お疲れさま」


 その流麗な声と共に、背後から気持ちのいい夜風が吹く。

 俺は振り返った。

 夜空よりもさらに深い漆黒のドレス。

 その両側を流れ星のように流れる黄金の髪。

 人形のように華奢でスマートな体と、それにお似合いの慎ましく小さな顔。さらに、陶器のように滑らかな肌を纏う神秘的な白い光。

 そして、彼女の名に相応しい、透けるような銀色の瞳。

 綺麗。

 可憐だ。

 もちろん、彼女だった。


「ああ」


 俺が軽く笑うと、彼女も機敏に微笑む。穏やかで上品で、こちらの胸を満たしてくれる、まさに月光のような微笑み。


「少し休む?」


 ちょうど俺もそう思っていたところだ。彼女に近づいて、その肩を抱きしめると、近くにあった平らな岩に揃って腰掛けた。

 ここは湖畔。

 目の前には、深い紺色に染まった大きな湖。その清冽な湖面に、遠くの山々と、大きな満月が映っていた。


「綺麗ね」


 その光景を見つめながら、彼女が呟く。

 でも、俺はすぐに彼女を見つめて、告げた。


「お前の方が綺麗だ」

「そう言うと思った」


 彼女はそう答えながら、悪戯っぽい笑顔でこちらを見つめ返す。

 しかし、銀の瞳は危うく揺れていた。

 キスして。

 脳の奥で囁かれた気がした。

 少女がねだっているような。

 淑女が誘っているような。

 その両方が溶け合ったような。

 甘く切ない視線。

 完璧。

 完璧だ。

 彼女の瞳の奥を覗き込むように、顔を近付けていく。

 見つめ合いながら。

 その銀の宇宙に引き込まれながら。

 俺は。

 俺達は。

 唇を──

 だけど。

 そこでふと、彼女の瞳の中に、それが見えた。

 映っている自分の顔。

 肩のその上に。

 金の。

 金色のライン。

 何だ?

 これは。

 糸?

 そのワードが浮かんだ瞬間。

 彼女の体が影に変わった。

 同時に、世界も闇に堕ちた。


 


 気付くと、俺は魔物と戦っていた。

 黒い毛もくじゃらの化け物。大木に匹敵するほど背が高く、地に突いた四肢は巨木以上の迫力。紅い瞳が容赦なくこちらを見下ろしている。

 しかし、恐怖はない。

 勝てる。

 勝てるからこそ、俺は──

 振り下ろされてきた腕を避け、そいつに拳を叩き込んだ。

 その場所が黒く燃える。

 だが。

 もっと。

 もっとだ。

 俺が心の中で叫ぶと、黒い炎があっという間に燃え広がる。

 そして、魔物の全身に燃え広がったと思った瞬間には、そいつは大量の灰を残すだけだった。

 ほら。

 ほらな。


「簡単でしょう?」

「ああ──」


 思わず返事をしてから、急に寒気がした。

 何故。

 何故だ?

 分からない。

 分からないが、とにかく振り返る。

 すると。

 彼女がそこに立っていた。

 安堵の息。

 幻月のいつもの微笑みが、俺をいつも通り受け止めてくれた。


「おめでとう。これで、貴方はさらに強くなった」


 そう。

 そうか。

 訓練の最中だったわけだ。

 つまり、彼女が用意してくれた障害だから、俺に倒せないわけが──

 そこでまた、急に背筋が寒くなった。

 何だ?

 変。

 変だ。

 何かおかしい。

 何か妙な違和感がする。

 これは。

 怖い?

 怖いのか?

 怖いとして、いったい何が?

 目の前にいるのは、いつもの可憐な彼女。その姿を見るだけで、無意識に微笑んでしまえるほど親しみ慣れた、俺の最愛の人。

 だけど。

 不意に気付く。

 その微笑みが動かない。

 固まったように。

 人形のように。

 おかしい。

 これは。

 おかしい。

 すると。

 彼女の肩から、何か上に伸びているのが見えた。

 糸。

 金の糸だ。

 その時。


「気付いちゃったんだ」


 彼女の声が聞こえる。

 だけど。

 どこから聞こえたのか、分からなかった。

 そもそも、目の前の彼女は微笑んだまま。

 どこ。

 どこだ?

 いや──

 誰?

 彼女は、誰だ?


「魔王」


 声が聞こえる。

 さらに。

 俺の体が勝手に動き出す。

 勝手に頭が持ち上がり、上を見ようとする。

 まるで、誰かに操られているみたいに。

 いや。

 違う。

 そうじゃない。

 俺は眼球を動かして、自分の右腕を見た。

 或いは、それすらもまた、彼女の意志だったかもしれない。

 そこに、俺は。

 操り人形の俺は、見た。

 自分を操る金の糸を。

 そして──

 見上げた先に、洞窟の天井に空いた穴の縁に腰掛けている、彼女の姿が見えた。

 同じ。

 いつもの彼女と同じ、可憐な姿。

 しかし、その顔には、いつもの優しさが完全に消え去った、邪悪な魔王そのものの笑みが浮かび、その両手から伸びた金の糸が繋がっている人形達の様子を、したたかに見下ろしていた。







 俺はベッドから跳ね起きた。

 飛び出しそうな心臓の鼓動。

 流れ落ちる汗。

 黒い天井に刻まれた紅いライン。

 しかし、その気色悪さのお陰で、ここが現実だと認識できた。

 呆然と息を吐く。

 やがて右手を目の前に持ってきて、それをじっくりと眺めた。

 金の糸は──

 ない。

 なかった。

 よかった。

 大きな溜息が一度だけ出る。呼吸がやや楽になるのを感じる。

 でも。

 実のところ、そんなものは何の気休めにもならないと分かっていた。

 そう。

 そうか。

 何が怖いのか、ようやく分かった。

 気付かなければいいと思っていたことに。

 気付いてしまった。

 俺は。

 俺は──

 彼女を。

 幻月のアリステシアを。

 恐れている。

 だけど。

 その事実がどうこうよりも、自分に腹が立っていた。

 俺はどれだけ馬鹿なんだ。

 俺は。

 何も。

 何も、分かってなかった。

 そして、今更が気が付いたくせに。

 のこのこ怯えている自分が許せなかった。

 ずっと分かっていた。

 分かっていたはずだ。

 彼女は。

 彼女は。

 魔王だ。


 








「くっそおおおお!」


 その叫びと共に、苛立ちの全てを鋼鉄の壁にぶつける。短い地響きと共に、その場所には、『壊し屋』レギンの名に相応しい、隕石が衝突したようなクレーターができたが、もちろん、そんなことで気が収まるわけもなかった。

 収まるとしたら、方法はひとつだけ。

 奴を。

 その陰気な顔をした男を、この手で八つ裂きにする。

 その上で、あの幻月の女を、この手で滅茶苦茶にしてやる。

 それだけ。

 それだけだ。

 殺す。

 壊す。

 それ以外にはない。

 そうでなければ。

 俺の左腕を消し飛ばした恨みが晴らされるわけもない。

 なんて。

 なんてことを──

 俺の。

 俺の左手だぞ。

 他の誰のでもない。

 俺のだ。

 人類最強の、俺の手を奴は奪った。

 殺す!

 殺す!

 殺す!


「リ、リーダー……」


 ひよっこの部下が弱気な声を出す。

 俺はすぐさま、そいつを蹴飛ばした。

 部屋の一角が、壁に衝突して潰れたそいつの血肉で汚れたが、もはや、そんなことはどうでもいい。


「奥だ! とにかく奥に進め! 奴らは必ずそのどこかにいる! その場所を見つけ出して知らせに来い! 俺が奴らをぶっ潰す!」


 その命令を受けて、ミーティングに集まっていた部下達が散っていく。明らかに逃げ腰の人間もいたが、悲鳴をあげないだけましだ。もしも、みっともない声をあげる腰抜けがいたら、この場で蹴り飛ばしてやるところだ。

 ところが、すぐに動かない部下がひとりだけいた。咄嗟に殺してやろうと思ったが、そいつは一番付き合いの長い古株だったので、一応自重した。俺ほどじゃないが腕も立つ。ただ、こいつのお陰で命拾いしたのだと自覚すると、どうも腹が立つ。こいつがもう少し気を利かせて早く来ていれば、俺の腕も無事だったかもしれないというのに。


「どうした?」


 彼は少し渋っていたが、やがて口を開いた。


「一度撤退しませんか?」


 俺の中で、何かがキレるのが分かった。

 はあ?

 何言ってんだ、こいつは。


「奴の能力は、はっきり言って未知です。それに、街に戻れば、左腕の義手だって──」


 あとはもう聞いていられなかった。

 そいつを思い切り蹴り飛ばし、壁に叩きつける。

 派手にひっくり返った木箱の下から、みるみる血が流れ出してくる。

 男は動かない。

 壊れた。

 死んだ。

 それだけ。

 それが当然の報いだ。

 奴の能力が未知だからどうした。俺が負けるとでも思ったのか。左腕がなかったら、俺があんな奴に遅れをとるとでも思ったのか。

 くそが。

 てめえに。

 てめえみたいな雑魚に何が分かる。

 馬鹿が。

 死んでろ。

 そいつの死体に唾を吐いてから、俺はその部屋を立ち去った。

 そういやどんな顔だったっけと一瞬思い出そうとしたが、当然というべきか、すぐにあの男への怒りと、あの幻月の可憐さに打ち消されて、次の瞬間には、そいつを殺したことさえ忘れられるほどだった。

 俺が。

 俺が必ず殺す。



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