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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第5章 遷移
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4



 結局、その日は疲れが出てしまい、魔王達にその場を任せて寝室に引っ込んだ。悪趣味にも程がある部屋が気にならないほど、あっという間に眠ってしまった。特に悪夢を見た記憶はないものの、もしかしたら、爆睡しすぎて思い出せないだけかもしれないと思えるほど、充実した睡眠だった。

 ところが、目が覚めてから廊下に出てみると、誰の姿もなかった。

 もしかして、自分が寝ている間にすっかり終わってしまったのだろうか。それほど長い時間眠っていたのか。

 なんだ。

 起こしてくれればよかったのに。

 そんな文句が口から出そうになった時、客間の扉が開いて、中からアリシアが顔を出した。


「あら。おはよう」


 いつも通りの、可憐に微笑み。

 そう。

 そうだ。

 この場所に、帰ってきたんだった。

 その笑顔を見るだけで、数々の不満がかき消されていくのが分かる。


「昨日、あれからどうなった?」


 近寄りながら尋ねると、彼女は両腕を後ろに組んで、やや前屈みになり、悪戯っぽく微笑む。漆黒のワンピースと黄金の髪が爽やかに揺れて、そこだけ高原の風が吹いたような錯覚がした。


「知りたい?」

「そりゃ、まあ……、知りたいだろ」

「そう。じゃあ、特別に、少しだけ見せてあげる」


 彼女は軽い足取りで機嫌良さげに目の前を通り抜けると、隣の客間の扉に手を掛けて、こちらに振り返った。それから指を一本立てて唇に当てる。音を立てるなというサインだ。ただ、その仕草がキュート過ぎて、自ずと声を出すのも忘れてしまいそうだったが。

 とにもかくにも、抜き足差し足で、彼女の傍まで向かう。その大袈裟な仕草が可笑しかったのか、アリシアは口元に立てていた指を丸めて、笑い声を押し殺していた。

 たかが数メートルの距離を、数十秒ほどかけて辿り着くと、彼女はウインクで合図してから、その扉を開けた。

 そして、ふたりで息を殺しながら、その中を覗く。

 すると──

 大きな白いベッドの中で、その姉妹は、顔を寄せ合うようにして眠っていた。

 全く同じ色の艶やかな黒髪を、同じように枕の横に広げて、静かな寝息を立てている。互いを抱き締め合うような体勢で、互いに甘え合っているようにも見えた。姉妹というよりも、親子のように見えないこともなかったが、いずれにしても、思わず笑みが零れてしまいそうなほどの、微笑ましい光景だ。

 その様子を眺めてから、アリシアと視線を交わす。

 ふたりで、微笑み合う。

 これで十分。

 十分だ。

 よかった。

 ところが、その時。


「覗き見か」


 背後からの全くの不意打ちに、激しく取り乱し、危うく大声が出るところだった。

 しかし、すぐ目の前にあったアリシアの顔は穏やかなもので、少し目を見開いただけ。どちらかというと、こちらの驚きぶりに意表を突かれただけのようだ。

 その証拠に、彼女は落ち着いた動作で扉を閉めると、口元に手を当てて可笑しそうに言った。


「本気で驚くと、そんな顔するんだ」

「……悪かったな」


 何とか落ち着きを取り戻すなり、憮然とした顔でそう答える。そして、そのまま後ろを振り返った。

 背の高い白衣姿の魔王が、結構な近距離で、眼鏡の奥からこちらを見据えていた。


「……とりあえず、離れろ」

「うむ。了解した。ただ、ここまで近付かれても気付かないとは、修行不足じゃないか?」

「あんたの存在感が薄いだけだ」

「私より存在を消せる魔物は腐るほどいるぞ」


 こいつに言い負かされると妙に悔しいが、確かにその通りなので言い返せない。

 その間に、ジェレイドは数歩後退して距離をとる。相変わらずの、見ているのかいないのか分からないぼんやりとした視線が、こちらの顔を捉えている。


「ところで……」


 そこでアリシアがそう前置きして、話を切り出す。銀の視線は真っ直ぐこちらを捉えていた。


「まだいくつか問題が残るとは思うけれど、あのふたりのことは、一応、これで一段落でしょう?」

「ああ」


 俺は頷いた。次にするべきことは、もう決まっている。


「奴と決着をつける」


 壊し屋レギン。

 奴を殺し損ねたことが、最大の心残り。さらに、現状、この遺跡を占拠しているあいつは、こちらの計画にとって最大の障害にもなっている。奴にいつまでも居座られては、他の魔狩達が寄り付かなくなるかもしれない。

 そして、もちろん、アリシアを傷つけなければ勝てなかった不甲斐なさもある。

 その全てに決着をつける。

 アリシアは少年みたいに不敵に微笑む。面白そう、だからやってこい、と背中を押してくれているようだ。

 そこでジェレイドが、独り言みたいに告げた。


「私は、ヴェスタの経過がよければ失礼しようと思っているのだが……」


 その言葉には、誰も返事をしなかった。

 多分、誰も興味がなかったのだろう。そもそも、気付いたら消えていそうな雰囲気でもある。

 だが、そのノーリアクションにも平然としたままで、彼はこちらをぼんやりと見下ろした。


「君の左腕はどうする?」

「へ? あ、ああ……」


 不意に意外な話題を突きつけられて、多少戸惑ったものの、もちろん、意味は伝わった。ただし、向こうからそんなことを尋ねられるとは思ってもみなかったが。


「あんた、どうにかできるのか?」

「別に私でなくとも、技術と知識がある者なら可能だ。根本的に、君とヴェスタのケースは大きく異なる。ヴェスタを蘇生させるのは私以外には難しかっただろうが、君の場合は簡単だ。極端な話、義手として一般に出回っている魔具でもいい。普通なら血統が合わなければ使えないが、君はその必要がないから楽だ」

「あ、なるほどな……」


 そう言われて見ればそうだった。あの大鎌だって使えたのだから、他の魔具が使えても不思議じゃない。


「ただ……」


 急に射るような視線が飛んできて、背筋が震え上がる。

 いつの間にか、ジェレイドの視線に、いつになくねっとりとした熱意が籠もっていた。 


「……なんだよ」

「せっかく特殊な血統なのだから、普通の腕ではつまらないと思わないか?」

「いや、別に──」

「そうだろうそうだろう。やはり、つまらないだろうな」


 全然こちらの話を聞いていない。

 咄嗟に文句を言ってやろうとしたが、彼の顔がやたら近距離に寄ってきたので、思わず逃げ腰になってしまった。


「安心したまえ。直々にこの私が、君の為に最高の義手を作ってやろうじゃないか」

「……安心どころか、相当不安なんだが」

「大丈夫だ。幸いにも、君を運んだ時、左手も隅々まで調べ尽くしてある。従って、爪の形から血管の配置まで、匂いや味に至るまで、全て記憶している。それを完璧に再現してみせようじゃないか」

「ジェレイド」

「うむ」

「気持ち悪い」


 彼はやたら重々しく頷いた。

 意味不明だ。

 思いっきり溜息を吐いてから、アリシアに視線を移す。人形みたいに可愛らしく、きょとんとして瞳を瞬かせた彼女は、しかし直後に屈託なく微笑む。好きにしたら、或いは、お気の毒様、というサインかもしれない。

 結局、もう一度息を吐いてから、ジェレイドに簡単に答えた。


「言っとくが、金はないぞ」

「そんな物はいらん。私が作った腕を試してくれればそれでいい」


 何か妙な仕掛けが組み込まれていなければいいがと、果てしなく嫌な予感がしたものの、断っても勝手に造ってくる感じなので、諦めることにした。


「で? だいたいどれくらいで出来るんだ?」

「うむ……」


 ジェレイドは顎に手を当てて、しばらく考えたようだった。表情はぼんやりしたままなので、本当に考えているのかは不明だ。


「そうだな。構想に半年。材料集めと製作に半年で、しめて1年くらいか」

「長いわっ!」


 渾身のツッコミに、眼鏡の魔王は軽く手を挙げた。

 意味不明だ。

 ああ。

 もう。

 面倒臭い。


「……その頃になって忘れてても、文句は言うなよ」

「心配いらん。誰でも、見れば思い出す」


 そりゃそうだ。

 しかし、会話が続けばそれだけ面倒になるだけなので、なんとかそのツッコミを飲み込んだ。

 また沈黙。

 本当に。

 本当に面倒臭い。


「えっと……、話がついたってことでいいの?」

「うむ」

「まあな」


 返事が被ったのが面白くなくて、あからさまに視線を逸らしてやる。ただ、向こうは雲みたいに気力のない視線のままだったけれど。

 アリシアはその両方を交互に見て、苦笑しながら、話を続ける。


「とりあえず、鍾乳洞ルートに行ってみる?」

「鍾乳洞ルートか」

「あそこなら、俊敏な【魔獣種】の魔物が山ほどいるわけだし。それに……」

「それに?」


 彼女は一層深く微笑んで、告げた。

 まさに魔王。

 まさに幻月。

 そんな目が眩むほど可憐で、しかし、目を逸らせなくなるほど妖艶な、ぞっとする笑みで。


「貴方が言うところの、『奴』の血統の魔物に会えるかも」



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