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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第5章 遷移
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 まさに魔王の部屋といった寝室の雰囲気とは打って変わって、客間は意外なほど明るい空間が整えられていた。

 ちょっとした高級なホテルがこんな感じかもしれない。壁はベージュに塗装されていて、部屋の中心には、木製の豪華な天井が付いたダブルベッドが鎮座している。シーツが白いだけでこんなに安らかな空間になるのものかと、内心感動した。さらに、壁際にはやはり木製の、温かみあるイスとテーブル。その横のチェストには、白い陶器のティーセットと花型のランプが置いてあり、どこか女性的な雰囲気を醸し出していた。

 そして、シドはそのふたつしかない椅子の片方に腰掛け、ただぼんやりとベッドを眺めていた。

 その場所で、マリアが眠っている。

 放心したまま開いていた目は、ここに辿り着いた時にはいつの間にか閉じられていた。顔の腫れも引いて、アリシアがタオルか何かで拭いてくれたらしく、出血の痕跡も残っていない。長い黒髪は疲れたように乱れて広がっていたものの、それ以外は安らかな寝顔そのものに見えた。

 そんな彼女の寝顔を眺めながら、別の部屋に運ばれた彼女の妹の姿を思い起こす。

 こことは違う、固いベッドの上に載せられた彼女。

 同じ白い肌。

 同じ黒髪。

 こうして眠っていると、どこか面影があるように見えてくる。

 いや。

 そういえば、血は繋がっていないと言っていた。

 たまたま同じ奴隷商に買われただけの間柄。

 それでも、姉だ、妹だと、呼び合える。

 不思議だ。

 あまり思い出したくもなかったが、自分の両親や兄弟と比べてみる。血が繋がっているから、同じ血統だから、お前はクズだ、役立たずだと言われ続けた。はっきり言って、もう顔も見たくない。このまま会わないまま、勝手に死んでくれればいい。肉親が大事だと思ったことは、一度だってない。

 それどころか、自分に大切な人ができるとは、想像もできなかった。

 厳密には、人ではなかったけれど。

 だけど。

 人間だとか、そうじゃないとか。

 血が繋がっているとか、いないとか。

 案外、どうでもいいことなのかもしれない。

 そう考えると、心のどこかが落ち着くような、そんな気がした。

 その時。

 マリナが僅かに身動ぎして、目蓋がゆっくりと開かれる。

 咄嗟に立ち上がろうとしたが、しかし、すぐに思い直して、様子を見ることにした。

 彼女は、夢でも見ているようなぼんやりとした目つきで、しばらく天井を眺める。それから首を動かして、何かを探すように周囲を見渡した。こちらも視界に捉えたはずだが、何も反応しない。まだ視力が復活していないのかと思ったが、よく考えてみれば、簡単なことだった。


「起きたか?」


 椅子に座ったまま、なるべく静かに尋ねる。彼女は明らかにその声を聞いていたが、こちらの姿が見えずに戸惑っているようだった。

 そう。

 要は血統の問題。

 単純に暗すぎて、暗視能力のない彼女には、何も見えないだけだ。

 そっと椅子から立ち上がり、チェストの上のランプを持ち上げる。そして、それをテーブルに置いてから、台座に付いているツマミを回した。歯車の回る音が20回ほど続いたところでぼんやりとしたオレンジの明かりが点った。

 確か、こういった明かりは【魔蟲種】の魔物を素材として作り出されている。発光の原理は蛍に近いらしい。炎の光よりはやや刺激的だが、フィルターを通すことで、穏やかで上品な明かりに変化していた。

 その明かりで、ようやくこちらを見つけたマリアは、ベッドに横になったまま、力なく微笑んだ。


「シドさん……、無事だったんですね」


 ところどころが掠れた力ない声。今にも消えそうな蝋燭を思わせる、弱々しい言葉だ。

 その返事を待ってから椅子に腰掛けて、俺は口元を上げてみせる。


「無事じゃない方がよかったみたいな言い方だな」

「いえ、そんな……」

「冗談だ」


 一旦下に息を吐いてから、再びマリアを見据える。今度はもう少し自然な笑顔になっていた。


「ありがとな。あんたの秘薬と、血を貰ったお陰だ」


 その両方があったからこそ、あの監獄から脱出できた。どちらかでも欠けていれば、今頃こうして笑えなかったかもしれない。

 彼女はぎこちなく微笑もうとする。

 しかし、そうしようとした矢先、彼女の瞳が震えて、その笑みが崩れた。


「あ……、でも、ヴェスタは……」


 涙が溢れ、ランプの光を機敏に反射する。

 そう。

 そうだ。

 実のところ、そのことについて説明するのが自分の役割だ。魔王達は現在、手術の最中で手が放せない。よって、憔悴した彼女をなるべく動揺させず、その上で事実を伝えるために、俺はここにいる。

 ところが、そこでドアがノックされた。

 誰なのかはもちろん予想がついた。この居住区内にいるのは、瀕死の重傷者を入れても、片手で足りるほどしかいないのだから。 


「どうぞ」


 やや間があってから応えると、ゆっくりとドアが開かれる。

 その向こうから、姿を見せたのは、やはり、アリシアとジェレイドだった。

 ベッド寝転がったままのマリアは、まずは軽く微笑む幻月の輝きに度肝を抜かれ、次に、ジェレイドの血塗れの白衣を見て言葉を失ったようだが、悲鳴はあげなかった。やはり、人よりも血を見る経験が多かったのかもしれない。

 そして、直後、マリアが困り切った顔で説明を求めてきたので、とりあえず、簡単に説明したおいた。


「アリシアだ。簡単に言えば、俺の相棒だ」

「どうせなら、パートナーにしてくれない? その方が、響きがいいのに」

「は、はあ……」


 半ば呆然といった声を出しながら、マリアはアリシアを凝視した。まあ、彼女を初めて見た人は、みんなこうなるだろう。彼女が滅んで数百年経つと言われる現在でも、在りし日の写真が高値で取引されるほどの絶世の美少女。その顔を知らない者はいない。


「それから、向こうは知ってるよな?」

「あ、はい。ジェイドさんも、無事だったんですね」

「うむ」


 眼鏡の魔王はあっさり頷く。やはり、長時間一緒にいたはずのマリアさえ、魔王だとは微塵も気付いていないようだ。これだけ締まりがない風貌だと、ある意味当然か。

 しかし、そのさっぱり存在感のない魔王様が、脈絡も何もないまま、とんでもないことを言い放ってしまった。


「あの奴隷商の夫婦も、無事に逃げられたようだ。それから、君と仲の良かったあの子も、仮死状態から回復したぞ」


 部屋の空気が静止する。

 数秒間固まったマリアは、見る見るうちに目を見開き、そして──


「ほ、本当ですか!? い、いったい、それって、どういう──」


 勢い込んで起き上がったマリアは、しかし、すぐに立ち眩みを起こしたらしく、額に手を当てて俯いた。俺は慌てて、彼女に駆け寄り、背中を支える。

 ただ──

 そこで、彼女の肩に掛かっていたシーツが、ハラリとめくれた。


「あ──」


 それに隠れていたものに、視線が釘付けになる。

 分かっていた。

 分かっていたはずだった。

 俺がこの部屋に来る前、アリシアが彼女の世話をしてくれていた。寝かせる前にローブを脱がせてやりたかったし、体も拭いてやりたかったからだ。いくら意識がないとはいえ、男に裸を見られるのは嫌だろうという気遣いで、彼女がその役を引き受けてくれた。

 ただ、脱がせるのは楽でも、着せるのは大変だ。

 よって、そのままシーツを被せた上で、アリシアと持ち場を交代した。

 そして、今。

 その白いヴェールに隠されていた破壊力抜群の肢体が、まさに、その全貌を露わにしていた。

 いや。

 なんとか、へその辺りまでしか見えていないので、全貌まではいかなかった。

 もう少し派手に起き上がっていたら、完全にアウトだったかもしれない。ただ、彼女の場合、それでも十分に目のやり場に困ったが。

 瑞々しくはちきれんばかりの、女性らしい柔らかそうな体。

 特に、胸。

 よかったような。

 悪かったような。

 何というか。

 これは。

 その──


「うむ」


 しかし、眼鏡の魔王は、その光景をまじまじと眺めていたらしく、妙に納得げに頷いて、ぼそりと告げた。


「Gだな」


 直後に、アリシアに足の甲を踏みつけられて、片足を無くしたバッタのように無様に飛び跳ねるジェレイド。

 阿呆だ。

 阿呆な魔王だ。

 ランプが照らす淡い光の中、その背中を支えるシドはもちろんのこと、マリアは前を隠すことも忘れて、その光景を呆然と見つめていた。



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