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「と、とにかく、話は聞かせて貰った」
「ほう……」
「ま、待て! 盗み聞きしたわけじゃねえ! そういう血統なんだ!」
サングラスのない、梅干しみたいな皺の多い顔をした男に拳を見せつけてやると、必死の形相で弁解を始めた。こちらは片腕でも、既に完全なマウントポジションなので、もはや虚勢を張る余裕もないらしい。そのすぐ脇でマリアが、まるで奇怪な路上パフォーマンスでも見かけたような戸惑いの視線を注いでいるが、しかし、ひとまず気付かないふりをしておく。
とにもかくにも、いくら敵じゃないと宣言したとはいえ、無条件で信じるわけにもいかない。そういうわけで、まずは挨拶代わりに打ち倒し、この体勢に持ち込んだ。この男も切羽詰まればまともに話せるようになるらしく、ある意味一石二鳥だ。
「それで? なんでのこのこ俺達の前に出てきたのか、説明して貰おうか」
「あ、あんたを探してたんだ」
「ほう……」
「う、嘘じゃねえ! 嘘じゃねえって──」
「分かったから騒ぐな」
これはこれで面倒臭いなとは思ったが、しきりに首を回されるよりはましかと溜息をついて、質問を続ける。
「で? 俺に何の用だ?」
「か、仇をとって貰おうと──」
「仇?」
「あ、ああ……」
男はそこで心を落ち着けるように息を吐き、こちらを見据えた。意外なくらいの真摯な視線だ。
「俺の相棒が、奴に殺された」
黙って男の細い目を睨む。
嘘を言っているようには見えない。
それほど、男の瞳は明らかに揺れていた。
「たまたま通りかかっただけの俺達を、奴らは攻撃してきた。俺はなんとか逃げ切れたが、あいつは捕まっちまった。いや、違う。あいつは、あいつは──」
男の目から涙が溢れる。
「自分が逃げきれないのが分かってて、俺の為に足止めをしてくれたんだ。あまりに敵の数が多かったからな。それで、俺は、あいつを何とか連れ出そうと、その隙を窺うために、この耳で音が拾える範囲を逃げ回った。だけど……、だけどな──」
「……いや、もういい」
「や、奴は、あいつを……、俺の相棒を、ボ、ボロ雑巾みてえに──」
「分かったから言うな」
そう言ってやると、男は黙って涙を拭い始める。その時何があったのか、この男がどんな凄惨な悲鳴を聞いたのかは、よく理解できた。自分がこの身で体験したばかりだからだ。
ふと隣を見上げると、マリアが辛そうな顔で口元を押さえている。彼女もまた、程度の違いはあれ、同じような目に遭っているからかもしれない。
「──その時、あいつはあんた達のことを話しちまった」
涙を拭いた男は、こちらを睨むような厳しい視線で見つめる。
もちろん、意味は分かった。何とか助かろうとして、近くの遺跡の情報を話したのだろう。それが誰も知らない情報であれば、そして有益なお宝の情報であれば、情報源として生かして貰えることもある。
もっとも、今回はそれもかなわなかったのだが。
「だから、そのケジメってわけじゃないが、これをあんたに伝えるのが、俺の役目だと思った。あいつは確かに、女好きでどうしようもない奴だった。だけど、好きであんた達を売ったわけじゃねえ。特に、あ、あいつ……、あいつは──」
男の声が震える。いつの間にか、汗が酷い。押さえつける力を多少弛めてやったが、起き上がる気力もなさそうだった。
すると、機敏にマリアがしゃがみ込み、彼女を縛っていた帯で汗を拭いた。
男はそれを一瞥したものの、結局何も言わず、こちらの目を見て話す。
「──や、奴は、『壊し屋』レギンは、あれはもう、人間じゃねえ。奴にあんたの彼女が捕まったら、間違いなく八つ裂きにされる。あいつは、俺の相棒は、確かに駄目な奴だったが、でも、人間だった。あいつと同じ化け物じゃなかった。それを、それを分かって欲しくて──」
「分かった」
俺は答えた。
男はぎこちなく笑って、首から力を抜いて倒れ込んだ。荒い息を吐くその顔や首に滴る汗を、マリアがその都度拭いていく。
しかし──
不意に男の目からまた涙が溢れ出し、呼吸がさらに加速していく。
そして。
「チクショウォォォ!」
その叫びによって、痛いほど彼の気持ちが伝わってきた。
自分が。
自分がもっと強かったら。
だったら、こんな見ず知らずの男に頼まなくても。
奴を。
相棒を殺した奴を、この手で殺してやれた。
仇をとってやれたのに。
でも、弱い俺にはそれができない。
それが。
悔しい。
悔しい。
悔しい。
それは確かに、負け犬の遠吠えだったかもしれない。
惨めな雑魚の泣き言だったかもしれない。
でも──
「──分かった」
俺は、もう一度答える。
そう。
そうだ。
こいつは、かつての俺だ。
いや、違う。
今も、俺はこいつと同じだ。
雑魚。
同じ雑魚だ。
だけど。
だけど。
弱いから、それが何だ。
強いから、それがどうしたって言うんだ。
何を。
何を諦めてんだ。
この男も、マリアも。
無駄かもしれないと分かってても、それ以上に大事なものがあるって信じて、こんな場所まで来たんだ。
それを。
俺はどうした。
俺は何に怯えてんだ。
勝つとか負けるとかじゃなく。
それを超えた何かがあるって。
俺は信じられないのか?
そんなに馬鹿か?
そんなに雑魚なのか?
そんなつまらない男に、あの幻月の魔王が──
「──分かった」
もう一度答える。
低く。
ドラゴンが灼熱の息を吐く前触れを思わせる、何かを溜め込むような無風の息遣い。
男が瞳だけ下に動かしてこちらを見ていた。その汗を拭いていたマリアも、その手を止めてこちらを見ている。
そのふたりに目配せしてから、はっきりと告げた。
「協力しろ」
そして──
シドは煙が充満するその場所に立っていた。
部屋の様子はほとんど分からない。足元に男がひとり転がっているが、頭を割られているのか、血を流したままピクリとも動かない。他にも、煙の陰から動かない手足が見えるが、気絶しているのか死んでいるのかは不明。ただ、猛烈な血の匂いと、今にも消えそうな弱々しい少女の息遣いが聞こえるだけだ。その声の主が、ほぼ間違いなく、マリアの探している妹だろう。
しかし。
明らかに異質のプレッシャーを誇る巨人の影が、白煙の奥から見え隠れしているため、その安否を確認するような余裕はない。
「どうやって逃げた?」
巨人の、レギンの低い声が響く。その重厚な気配だけで、煙が晴れるのではないかと錯覚できそうなほどだ。
だが。
今度は恐怖はない。
「知りたければ、もう一度捕まえてみるんだな」
挑発してやる。その上で、腰を落として体勢を整えた。
白煙が不自然に揺れる。
その直後。
丸太のような足が、こちらの胸めがけて突き出してくる。
文句のないスピード。
タイミング。
だが。
避けられない攻撃ではない。
しかし、面積が大きすぎたためか、左の鎖骨に命中してしまう。
勢いよく後方に吹き飛ぶ。
そのまま通路の側壁に衝突し、さらに奥へと滑るように転がっていく。
「──手応えがねえな」
煙の中心から離れたためか、幾分か視界が良好になっていた。従って、通路の奥から出てきたレギンの不思議そうな面を拝むことができた。
そう。
そうだろうな。
事実、俺はあっさりと立ち上がる。急所は外していた。蹴りは骨にヒットしたものの、重心は避けている。それに、左腕はそもそもない。多少骨が砕けたところで、痛む以外に支障はない。
さらに、不敵に笑ってやる。
すると、相手のメリハリのない顔から、さらに表情が消えて──
気付いた瞬間には、その腕が目の前に迫っていた。
狙いは顎。
今度も見えた。
ただ、その動きを視界に捉えることはできたものの、やはり避けきれない。張り手が頬を掠めただけで、尋常でない加重が首にかかった。それでよろけたところを、脇腹めがけてさらなる蹴りがとんでくる。これも、体を回転させるようにして後方に避けようとしたが間に合わず、爪先が引っかかるように命中する。
しかし、いずれもギリギリで致命傷を避けている。
蹴りの衝撃を利用して距離をとったシドは、口の端から垂れる血を拭ってから、また微笑んでやった。
「どうした? 随分鈍くなったな。そろそろ隠居を考えたらどうだ?」
レギンの口の端が僅かにひきつる。
そして──
直後に神速の歩調で間合いを詰めてくる。
右の拳をためるのが見える。
愚直な攻撃。
単細胞だ。
これなら──
ストレートが繰り出される。
しかし。
妙な位置に悪寒を感じて、戸惑った。
これは。
まさか。
フェイントか。
首を無理矢理動かす。
僅かに見えたのは、持ち上げられる左の拳。
まずい。
直後。
肉がぶつかる乾いた音と共に、シドの体が宙に浮いた。
そして。
その無防備な瞬間を狙い澄ますように、レギンの体が沈む。
一瞬の間隙の後、鋼鉄さえも切り裂くような凄まじい衝撃波を生じさせながら、巨人の回し蹴りが音速の勢いで繰り出された。




