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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第4章 死地
30/51

5


 黒い鎖が鞭のようにしなる。

 体の周りでリボンのように回転させ、十分な勢いをつけてから、手前の男にその先端を投げつける。一度は避けられてしまったものの、さらに横に振って追撃すると、ターゲットの肩に巻き付いた。

 直後に鎖を握る右手に力を籠める。

 すると──


「がぁっ!」


 男の体がびくんと跳ね、白目を剥いて倒れる。

 やった。

 倒せた。

 しかし、安堵したのも束の間、別の男がナイフ片手に距離を詰めてくる。

 一度巻き付いた鎖は簡単に離れない。

 この隙にこちらを狙おうという魂胆か。

 それ以前に、奥の通路を塞ぐような位置にいる男が、ボウガンらしき物でこちらを狙っている。

 殺気。

 殺す気だ。

 こちらを殺すつもりだ。

 でも。

 焦るな。

 焦ってはいけない。

 いつも通り。

 練習の通りやれば、きっと大丈夫。

 左足に意識を集中。

 同時に、鎖をピンと張る。

 そして。

 手前の男があと数歩という距離に近付いたところで、ヴェスタは思い切り床を蹴った。

 妖精が宙返りするように、天井近くまで体が舞う。


「なっ!?」


 急ブレーキをかけながらこちらを見上げ、動揺する男。

 よし。

 鎖の張力を利用して、白目を剥いた男を中心に弧を描くような軌道で、部屋の反対側へと着地点を設定。

 その場所でボウガンを構えている男に、蹴りをくれてやるために。

 目標を見据える。

 相手は対応が遅い。

 いける。

 男は咄嗟にボウガンを盾にしようとしたが、遅かった。

 左足を振り抜く。

 重く、鈍い音。

 何かが割れるような。

 血を流しながら崩れ落ちる男を意識して見ないようにしながら、ヴェスタは油断なく振り返り体勢を整える。さらに、今のうちに強引に鎖を引っ張って回収。他にも敵が2人いる。

 本当は怖い。

 さっきの蹴った男は死んだかもしれない。

 私が殺したかもしれない。

 でも。

 子供みたいに泣いているわけにはいかない。

 私はもう子供じゃない。

 ただの子供では、ここで捕まってしまったら、マリアを助けられない。

 そう。

 そうだ。

 私が絶対に。

 マリアを助ける。

 

「このアマがぁ!」


 色黒の怖そうな風貌の男が、物凄い形相で迫ってくる。

 なんで。

 どうして。

 逃げてくれればいいのに。

 見逃してくれればいいのに。

 決して戦いが好きなわけじゃない。人を傷つけたくないし、傷つきたくもない。でも、自分の身を守るために、それなりの人に買って貰うために必要だからと、毎日のように訓練してきた。

 いや。

 本当は、少し違う。

 ただ、マリアが褒めてくれるから。

 何か新しいことができる度に、凄い凄いって。

 そう言ってくれるから。

 それだけ。

 それだけだ。

 だから。

 だから、マリア。

 絶対に、助けに行くから──


「──待ってて」


 自分にだけ聞こえる小さな声で呟きながら、鎖を両手で構え、そして、頭上に持ち上げて円を描くように振り回す。


「うおぅ!?」


 こちらに詰め寄っていた男は狼狽えて、床に尻餅をつく。

 鎖はその頭上をギリギリ通り抜けていったものの、それでは結局、その場凌ぎにしかならない。冷静に鎖の軌道を下にズラし、男に巻き付ける。


「や、やめろぉ!」


 男が真っ青な顔で懇願してくる。

 もしかして──

 もしかしたら、特別電撃に弱い血統かもしれない。特に【海魔種】にはそういう人が多いと、マリアが教えてくれたことがあった。普通の人なら気絶で済むような電圧でも、内蔵が焼け焦げて致命傷になってしまうのだと。

 でも。

 それでも、今は──

 右手に力を籠めようとする。

 これで。

 これで、この人は死んでしまうかもしれない。

 そこで頭から血を流している人だって、動かない。

 私が。

 私が。

 殺してしまうかも──


「や、だ──」


 泣きそうな声。

 だけど、その声で、逆に、覚悟が決まった。

 私は、もう、子供なんかじゃない。

 倒さないと。

 殺さないと。

 前に進めない。

 マリアを助けられない。

 右手に力が籠もり、電撃が起動する。


「あ、がぁ……」


 鎖の巻き付いていた男は、海老のように仰け反って倒れる。

 そして、あとひとり残った男を、射るような視線で睨んだ。そいつは、まるで殺人鬼に襲われたような怯えた目で、呆然とするのみ。

 その隙に、鎖を回収。

 そう。

 これでいい。

 本当に、殺人鬼の目になっていたかもしれないけれど。

 でも。

 それでいい。

 マリア。

 マリアに会うまで。

 何をしてでも。

 何人でも。

 殺す。

 殺す。

 絶対。

 絶対に──

 だけど。

 その時だった。


「ほんと使えねえなあ……」


 怯えた男の後ろから、まるで気配もなく、別の男が姿を見せた。

 いや。

 それが人間の男かどうか、一瞬、疑ってしまった。

 大の男が子供に見えてしまうほどの、巨人だったから。

 さらに、彼は前にいる男を頭に手を乗せて、ラグビーボールのように掴んだ。それだけで、髪の毛が完全に隠れてしまうほどの、ゴーレムみたいな手だ。

 頭を掴まれた男の目が見開かれる。

 恐怖。

 戦慄。

 絶望。

 見ているこちらの背筋まで凍るような、死の表情。

 こんなに人間の顔が歪むのを、初めて見た。

 そして。

 空気まで軋むような鈍い音。

 その直後。

 頭が。

 男の頭が。

 林檎でも握り潰すように。

 中身が弾けた。

 目や鼻の奥から大量の血が吹き出る様を。

 見た。

 見てしまった。


「まったく──」


 その声で現実に戻った。まるで抜いた雑草でも扱うような感じで、巨人が死体を後方に放り捨てているところだった。やたら生々しい重量感のある衝突音、そして、大量の液体の飛沫音をまき散らし、本当にゴミみたいに、ついさっきまで人間だったものが、部屋の真ん中に打ち捨てられる。

 何を。

 何を。

 この男は、いったい何を──

 息をする。

 唾を飲み込む。

 逃げる。

 逃げないと。

 この人は。

 この大男は。

 化け物だ。


「他の3人はどこへ隠れた?」


 低い声が淡々と尋ねながら、細い目が冷たくこちらを睨む。

 それだけで、金縛りに遭ったように動けなかった。

 口が呼吸の仕方を忘れたみたいに、あてもなく開いたり閉じたりを繰り返す。

 怖い。

 怖い。


「ああ、まあ、いいや」


 男は固そうな淡いブロンドの髪を撫でながら、視線を逸らして呟く。それから、面倒臭いと言わんばかりに溜息を吐いた。

 そして。


「ガキはどうも趣味に合わねえし、それに、痛めつけたらすぐに死んじまうしなあ。それだったら、前に捕まえた女の方が、なかなかいい体してて、ヤりがいがあるっていうか──」


 呼吸が。

 呼吸が止まった。

 前に捕まえた女。

 それは。

 それは。

 私の。

 私の──


「──マリア」


 囁くように呟くと、男がつまらなそうに横目でこちらを見据える。

 でも。

 その態度が、許せなかった。

 こんな。

 こんな男に。

 マリアを。

 マリアを──

 頭に血が上る。

 許せない。

 殺す。

 殺す!


「マリアに手を出すなぁぁぁ!」


 巨人に鎖を投げつける。

 計算された攻撃じゃなかった。ただ体が覚えている動きを、闇雲に繰り出すだけ。

 しかし、男はその巨体に似合わぬ機敏かつ冷静な動きで、ランダムなはずのこちらの攻撃を淡々とかわす。

 そして──


「ああ、めんどくせえ……」


 そう言うなり。

 腰の後ろに下げていたらしい金属球を、床に落とした。

 瞬時に煙が噴き出し、部屋中をあっという間に覆い尽くしてしまう。

 何も見えない。

 何も──

 だけど。

 それだけじゃなかった。

 鎖を構えようとした腕が上がらない。

 すぐに全身が痺れ始める。

 まさか。

 まさか。

 いつだったか、マリアが教えてくれた──

 だけど、気付いた時にはもう遅かった。この場を離れるのが何よりも先決だったけれど、頭に血が上っていたせいか、対処が遅れてしまった。

 片膝をつく。

 ダメだ。

 もう。

 動けない。

 どうしよう。

 どうしたら──

 頭の中が真っ白になる。

 すると。

 直後に煙の中から伸びてきた丸太のような足が、胸を思い切り蹴飛ばしてきた。

 信じられない威力の攻撃で、弾け飛んだ体が壁に叩きつけられた。


「あ、がぁ……」


 息が。

 胸が。

 苦しい。

 そして、蹴られたお腹が痛い。お腹に傷ができるどころか、その中の内蔵まで潰れてミックスされたような、恐ろしい予感さえ走った。

 本当にマズい。

 早く。

 早く、逃げないと──

 しかし。

 逃げ出そうとするような間もなく、再び巨大な足が煙の中から突き出してきて、右肩を踏みつけてくる。

 たったそれだけで。

 肩が潰れるような音がした。


「まあ、そう言うなら、楽しませてみろや」


 煙の中から男の声が聞こえる。

 そうやって右肩から足が離れたと思ったら──


「あっ──!」


 今度は左肩を踏まれる。

 体が痛みに仰け反る。

 その次は右膝だ。

 さらに次は、なんとか免れようともがいた左膝を、容赦なく踏みつぶされた。

 そんな。

 そんな──

 信じられない。

 痛い。

 痛い。

 さらにその次は、肩が砕かれたせいで満足に動かない右手を踏みつけられる。

 次は左手を。

 その次は──

 まだ続く。

 何度も踏みつけられる。

 体が、私の体全て。

 肉塊に変えようとしているみたいに──


「う、うぅ──」


 いつの間にか、泣いている自分に気付く。もう抵抗することもできない。

 痛い。

 痛い。

 怖い。

 怖いよ。

 やめて。

 やめて。

 助けて。

 助けて。

 マリア。

 マリア──!


「おいおい。もう泣くだけか? これじゃあ張り合いがねえよなあ。やっぱ、その、マリアとやらに付き合って貰うしかねえか」


 いやだ。

 そんなの。

 そんなのいやだ。

 マリアに、酷いことしないで。

 でも。

 でも。

 もう、泣くしかできなかった。

 ただ、泣くしか──

 ごめん。

 ごめん。

 やっぱり、私──

 でも。

 その時だった。

 巨人の攻撃が、不意に止んだ。


「──ったく。本当に、クズばっかりだな」


 彼のその声は、明らかにこちらに向けられたものじゃない。


「どうやって逃げた?」


 その問いに対し、煙のどこかから、知らない男の声が──


「知りたければ、もう一度捕まえてみるんだな」


 それがいったい誰の声だったのか。

 敵なのか、味方なのか。

 もうそんな判断をする気力さえ、残っていなかった。

 だた、これでやっと、痛い目に遭わなくて済む。

 よかった。

 よかった──

 そして。

 ごめん。

 ごめんね。

 マリア。

 私、やっぱり──

 圧倒的な安心感に身を任せ、意識を手放そうとする中、最後まで心に残った罪悪感が、いつまでもその謝罪の言葉を吐き出し続けていた。



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