5
黒い鎖が鞭のようにしなる。
体の周りでリボンのように回転させ、十分な勢いをつけてから、手前の男にその先端を投げつける。一度は避けられてしまったものの、さらに横に振って追撃すると、ターゲットの肩に巻き付いた。
直後に鎖を握る右手に力を籠める。
すると──
「がぁっ!」
男の体がびくんと跳ね、白目を剥いて倒れる。
やった。
倒せた。
しかし、安堵したのも束の間、別の男がナイフ片手に距離を詰めてくる。
一度巻き付いた鎖は簡単に離れない。
この隙にこちらを狙おうという魂胆か。
それ以前に、奥の通路を塞ぐような位置にいる男が、ボウガンらしき物でこちらを狙っている。
殺気。
殺す気だ。
こちらを殺すつもりだ。
でも。
焦るな。
焦ってはいけない。
いつも通り。
練習の通りやれば、きっと大丈夫。
左足に意識を集中。
同時に、鎖をピンと張る。
そして。
手前の男があと数歩という距離に近付いたところで、ヴェスタは思い切り床を蹴った。
妖精が宙返りするように、天井近くまで体が舞う。
「なっ!?」
急ブレーキをかけながらこちらを見上げ、動揺する男。
よし。
鎖の張力を利用して、白目を剥いた男を中心に弧を描くような軌道で、部屋の反対側へと着地点を設定。
その場所でボウガンを構えている男に、蹴りをくれてやるために。
目標を見据える。
相手は対応が遅い。
いける。
男は咄嗟にボウガンを盾にしようとしたが、遅かった。
左足を振り抜く。
重く、鈍い音。
何かが割れるような。
血を流しながら崩れ落ちる男を意識して見ないようにしながら、ヴェスタは油断なく振り返り体勢を整える。さらに、今のうちに強引に鎖を引っ張って回収。他にも敵が2人いる。
本当は怖い。
さっきの蹴った男は死んだかもしれない。
私が殺したかもしれない。
でも。
子供みたいに泣いているわけにはいかない。
私はもう子供じゃない。
ただの子供では、ここで捕まってしまったら、マリアを助けられない。
そう。
そうだ。
私が絶対に。
マリアを助ける。
「このアマがぁ!」
色黒の怖そうな風貌の男が、物凄い形相で迫ってくる。
なんで。
どうして。
逃げてくれればいいのに。
見逃してくれればいいのに。
決して戦いが好きなわけじゃない。人を傷つけたくないし、傷つきたくもない。でも、自分の身を守るために、それなりの人に買って貰うために必要だからと、毎日のように訓練してきた。
いや。
本当は、少し違う。
ただ、マリアが褒めてくれるから。
何か新しいことができる度に、凄い凄いって。
そう言ってくれるから。
それだけ。
それだけだ。
だから。
だから、マリア。
絶対に、助けに行くから──
「──待ってて」
自分にだけ聞こえる小さな声で呟きながら、鎖を両手で構え、そして、頭上に持ち上げて円を描くように振り回す。
「うおぅ!?」
こちらに詰め寄っていた男は狼狽えて、床に尻餅をつく。
鎖はその頭上をギリギリ通り抜けていったものの、それでは結局、その場凌ぎにしかならない。冷静に鎖の軌道を下にズラし、男に巻き付ける。
「や、やめろぉ!」
男が真っ青な顔で懇願してくる。
もしかして──
もしかしたら、特別電撃に弱い血統かもしれない。特に【海魔種】にはそういう人が多いと、マリアが教えてくれたことがあった。普通の人なら気絶で済むような電圧でも、内蔵が焼け焦げて致命傷になってしまうのだと。
でも。
それでも、今は──
右手に力を籠めようとする。
これで。
これで、この人は死んでしまうかもしれない。
そこで頭から血を流している人だって、動かない。
私が。
私が。
殺してしまうかも──
「や、だ──」
泣きそうな声。
だけど、その声で、逆に、覚悟が決まった。
私は、もう、子供なんかじゃない。
倒さないと。
殺さないと。
前に進めない。
マリアを助けられない。
右手に力が籠もり、電撃が起動する。
「あ、がぁ……」
鎖の巻き付いていた男は、海老のように仰け反って倒れる。
そして、あとひとり残った男を、射るような視線で睨んだ。そいつは、まるで殺人鬼に襲われたような怯えた目で、呆然とするのみ。
その隙に、鎖を回収。
そう。
これでいい。
本当に、殺人鬼の目になっていたかもしれないけれど。
でも。
それでいい。
マリア。
マリアに会うまで。
何をしてでも。
何人でも。
殺す。
殺す。
絶対。
絶対に──
だけど。
その時だった。
「ほんと使えねえなあ……」
怯えた男の後ろから、まるで気配もなく、別の男が姿を見せた。
いや。
それが人間の男かどうか、一瞬、疑ってしまった。
大の男が子供に見えてしまうほどの、巨人だったから。
さらに、彼は前にいる男を頭に手を乗せて、ラグビーボールのように掴んだ。それだけで、髪の毛が完全に隠れてしまうほどの、ゴーレムみたいな手だ。
頭を掴まれた男の目が見開かれる。
恐怖。
戦慄。
絶望。
見ているこちらの背筋まで凍るような、死の表情。
こんなに人間の顔が歪むのを、初めて見た。
そして。
空気まで軋むような鈍い音。
その直後。
頭が。
男の頭が。
林檎でも握り潰すように。
中身が弾けた。
目や鼻の奥から大量の血が吹き出る様を。
見た。
見てしまった。
「まったく──」
その声で現実に戻った。まるで抜いた雑草でも扱うような感じで、巨人が死体を後方に放り捨てているところだった。やたら生々しい重量感のある衝突音、そして、大量の液体の飛沫音をまき散らし、本当にゴミみたいに、ついさっきまで人間だったものが、部屋の真ん中に打ち捨てられる。
何を。
何を。
この男は、いったい何を──
息をする。
唾を飲み込む。
逃げる。
逃げないと。
この人は。
この大男は。
化け物だ。
「他の3人はどこへ隠れた?」
低い声が淡々と尋ねながら、細い目が冷たくこちらを睨む。
それだけで、金縛りに遭ったように動けなかった。
口が呼吸の仕方を忘れたみたいに、あてもなく開いたり閉じたりを繰り返す。
怖い。
怖い。
「ああ、まあ、いいや」
男は固そうな淡いブロンドの髪を撫でながら、視線を逸らして呟く。それから、面倒臭いと言わんばかりに溜息を吐いた。
そして。
「ガキはどうも趣味に合わねえし、それに、痛めつけたらすぐに死んじまうしなあ。それだったら、前に捕まえた女の方が、なかなかいい体してて、ヤりがいがあるっていうか──」
呼吸が。
呼吸が止まった。
前に捕まえた女。
それは。
それは。
私の。
私の──
「──マリア」
囁くように呟くと、男がつまらなそうに横目でこちらを見据える。
でも。
その態度が、許せなかった。
こんな。
こんな男に。
マリアを。
マリアを──
頭に血が上る。
許せない。
殺す。
殺す!
「マリアに手を出すなぁぁぁ!」
巨人に鎖を投げつける。
計算された攻撃じゃなかった。ただ体が覚えている動きを、闇雲に繰り出すだけ。
しかし、男はその巨体に似合わぬ機敏かつ冷静な動きで、ランダムなはずのこちらの攻撃を淡々とかわす。
そして──
「ああ、めんどくせえ……」
そう言うなり。
腰の後ろに下げていたらしい金属球を、床に落とした。
瞬時に煙が噴き出し、部屋中をあっという間に覆い尽くしてしまう。
何も見えない。
何も──
だけど。
それだけじゃなかった。
鎖を構えようとした腕が上がらない。
すぐに全身が痺れ始める。
まさか。
まさか。
いつだったか、マリアが教えてくれた──
だけど、気付いた時にはもう遅かった。この場を離れるのが何よりも先決だったけれど、頭に血が上っていたせいか、対処が遅れてしまった。
片膝をつく。
ダメだ。
もう。
動けない。
どうしよう。
どうしたら──
頭の中が真っ白になる。
すると。
直後に煙の中から伸びてきた丸太のような足が、胸を思い切り蹴飛ばしてきた。
信じられない威力の攻撃で、弾け飛んだ体が壁に叩きつけられた。
「あ、がぁ……」
息が。
胸が。
苦しい。
そして、蹴られたお腹が痛い。お腹に傷ができるどころか、その中の内蔵まで潰れてミックスされたような、恐ろしい予感さえ走った。
本当にマズい。
早く。
早く、逃げないと──
しかし。
逃げ出そうとするような間もなく、再び巨大な足が煙の中から突き出してきて、右肩を踏みつけてくる。
たったそれだけで。
肩が潰れるような音がした。
「まあ、そう言うなら、楽しませてみろや」
煙の中から男の声が聞こえる。
そうやって右肩から足が離れたと思ったら──
「あっ──!」
今度は左肩を踏まれる。
体が痛みに仰け反る。
その次は右膝だ。
さらに次は、なんとか免れようともがいた左膝を、容赦なく踏みつぶされた。
そんな。
そんな──
信じられない。
痛い。
痛い。
さらにその次は、肩が砕かれたせいで満足に動かない右手を踏みつけられる。
次は左手を。
その次は──
まだ続く。
何度も踏みつけられる。
体が、私の体全て。
肉塊に変えようとしているみたいに──
「う、うぅ──」
いつの間にか、泣いている自分に気付く。もう抵抗することもできない。
痛い。
痛い。
怖い。
怖いよ。
やめて。
やめて。
助けて。
助けて。
マリア。
マリア──!
「おいおい。もう泣くだけか? これじゃあ張り合いがねえよなあ。やっぱ、その、マリアとやらに付き合って貰うしかねえか」
いやだ。
そんなの。
そんなのいやだ。
マリアに、酷いことしないで。
でも。
でも。
もう、泣くしかできなかった。
ただ、泣くしか──
ごめん。
ごめん。
やっぱり、私──
でも。
その時だった。
巨人の攻撃が、不意に止んだ。
「──ったく。本当に、クズばっかりだな」
彼のその声は、明らかにこちらに向けられたものじゃない。
「どうやって逃げた?」
その問いに対し、煙のどこかから、知らない男の声が──
「知りたければ、もう一度捕まえてみるんだな」
それがいったい誰の声だったのか。
敵なのか、味方なのか。
もうそんな判断をする気力さえ、残っていなかった。
だた、これでやっと、痛い目に遭わなくて済む。
よかった。
よかった──
そして。
ごめん。
ごめんね。
マリア。
私、やっぱり──
圧倒的な安心感に身を任せ、意識を手放そうとする中、最後まで心に残った罪悪感が、いつまでもその謝罪の言葉を吐き出し続けていた。




