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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第4章 死地
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 思ったよりも長い時間、うとうとしていた気がする。

 しかし、その眠りは突然妨げられた。金属扉の向こうで、明らかにただ事ではない物音が聞こえたからだ。何かが壁にぶつかるような音と、硬い床と擦れるような不規則な足音。そして、「さっさと歩け!」という、男の恫喝する声。

 その物音に耳をそばだてていると、閂が外される音がして、勢いよく扉が開いた。

 そして──


「そこで大人しくしてろ!」


 その怒声に押されるようにして、髪の長い女性が、部屋の中に突き飛ばされる。そのまま力なく汚い床を転がり、顔をこちらに向けて止まった。狭い部屋なので、すぐ目の前だ。

 明かりは十分ではないものの、それでもはっきり分かるほど、目蓋や頬が腫れ上がっていた。口の端からは血が垂れている。見窄らしい黄土色のローブにも所々血が滲んでいて、苦悶の表情を浮かべたまま、目を閉じて動かない。

 彼女を部屋に押し込めるなり、連れてきた男はさっさと出て行ってしまった。もちろん、閂をかけるのも忘れていない。もっとも、たとえ都合よくうっかりしてくれたとしても、のこのこ出ていけるような体でもないが。

 男の颯爽とした足音が去っても、女は起き上がれなかった。起きあがろうと手足に力を籠めているのは分かったが、弱々しく震えるだけ。どうやら、よほど酷くやられたらしい。女をここまで痛めつけるということは、もしかしたら戦闘要員、つまり、魔狩かもしれないと思ったが、彼女の容姿は柔らかく、どちらかと言えば平和的で、主婦や保母をしているのが似合いそうに見えた。

 そんな分析をしているうちに、彼女がうっすらと目を開いた。

 しかし、体は起き上がれないし、目の焦点も合っていない。ただ、その原因が朦朧とした意識のせいだけじゃないことは、彼女の発した質問で分かった。


「あの……、どなたか、いらっしゃいますよね?」


 こちらのことが見えていないだけだ。つまり、暗視能力がないだけ。彼女の声は比較的しっかりした発声だったので、意識ははっきりしているものと思われる。


「ああ」


 素っ気なく答えると、どういうわけか、彼女の腫れ上がった顔が僅かに明るくなる。


「あ、あの、つかぬことを伺いますが、魔狩の方でしょうか?」

「いや」

「そ、そうですか……」


 途端にしゅんとなる女。

 しかし、すぐに気を取り直したように別の質問をしてきた。


「あの、お怪我はないでしょうか? 無事に動けますか?」

「いや」

「え、えっと……、どれくらい重傷ですか?」

「両手足全て砕かれてるな。あと、顔も」


 実のところ、声はかなりみっともない状態だ。入れ歯のない老人に近い。

 そこで、這い蹲ったままの女の顔が、数秒固まった。


「そ……、それは大変な怪我では? す、すぐに治療しないと──」

「ここでか?」


 軽く馬鹿にしながら尋ねてやる。当たり前だが、監禁拷問用の部屋に救急キットが用意しているわけもない。いや、上等な場所なら敢えて置いてあるかもしれない。簡単に殺しては拷問にならないからだ。しかし、この部屋には戸棚どころか、家具ひとつない。

 ところが、女は真面目な顔で頷いた。


「いえ。なんとかなるかもしれません」

「何?」


 そう言うなり、彼女は自分のローブの胸元に手を突っ込み、何やらごそごそと探し始めた。その時初めて気付いたが、彼女はかなり女性らしい体の持ち主のようだ。特に、胸の話だが。

 しかし、もはや死にかけているからなのか、全く劣情を催さない自分がいた。正直、その方がありがたかったが。

 やがて、彼女は寝転がった体勢のまま、自分の胸の中から小指サイズの小瓶を取り出し、震える手で僅かに掲げて見せた。


「私が作った秘薬です。ただ、これひとつだけしかないので、あの──」

「……なんて場所に仕舞ってんだよ」

「大事な物はここに隠すものだと教わりました」


 いったいどこのどいつが、そんな偏屈な常識を教えたのかと呆れたが、とりあえず置いておくことにする。

 代わりに、この場に相応しい現実的な質問を返した。


「それ、治療系の秘薬か?」

「はい。ですが、効果があるのは【異形種】の血統だけです。ところで、あの、またつかぬことを伺いますが、貴方は──」

「くれるのか?」


 向こうには見えないだろうが、睨むようにして尋ねた。

 その秘薬が本物ならば、このどうしようもない怪我が回復するかもしれない。全快は無理でも、歩けるようになるかもしれない。どんな血統の秘薬でも使えることは、もう証明済みだ。

 だけど。

 回復して、俺はどうしようというのか。

 まさか、彼女のところに帰るつもりか。

 馬鹿か、俺は。

 いったい、どんな顔をして帰れと?

 彼女に聞かれたらどうする。

 私と一緒にいるのが嫌になったんじゃないの、と。

 だけど。

 せめてここから逃げ出すくらいはした方がいいのでは──


「あの、ひとつだけお願いがあります」


 いつの間にか、小瓶を両手で胸に抱くようにして、じっとこちらを見つめていた彼女が、そう告げた。

 相変わらずの腫れ上がった顔。

 しかし、思いも寄らぬほど鋭利な、覚悟の決まった真っ直ぐな視線だ。


「ここからうまく出られたら、私の妹を助けて貰えませんか?」

「妹?」

「ヴェスタと言います。実の妹じゃないんですけど、私によく似た、長い黒髪の女の子です。たまたま縁があって一緒にいただけなんですが、その、実の姉妹みたいに仲良くして──」

「ちょっと待て」


 話が逸れそうなので、咄嗟に会話を遮った。その子の容姿についてならともかく、身の上話までされたら堪らない。

 本人もそれに気付いたのか、慌てたように話を戻した。


「す、すみません。とにかく、その子はまだ逃げ回っていると思うんです。ですから、何とか見つけ出して、この遺跡の外に逃がしてあげて下さい。それが秘薬を渡す条件です」

「そんな約束、俺が守るとは限らないだろ?」

「でも、私は、もう──」


 彼女は、そこで寂しそうに笑った。

 その表情だけで、何が言いたいのか分かった。

 私はもう逃げられない。

 死ぬしか。

 死ぬしかない。

 だから。

 だから、せめて仲の良かった妹だけは助けたい。

 彼女の為になることなら。

 そう信じられるなら。

 たとえ一縷の望みでも、見ず知らずの人間でも。

 望みを託して死んでいきたい。

 俺は。

 俺は猛烈に、腹が立ってきた。

 何だ。

 何なんだ、この女は。

 自分の。

 自分の命だろうが。

 てめえの命だろうが。

 それを。

 何で。

 何で諦めてる。

 そして。

 同じように諦めている大馬鹿がここにいることに、今更ながら気付いた。

 馬鹿。

 馬鹿だ。

 本当に大馬鹿だ。

 死ぬまで生きるんじゃなかったのか。

 それを彼女が教えてくれたんじゃなかったのか。

 地に這い蹲ってでも、血反吐垂れ流しながらでも、考えろ。その結果報われなくて、無惨にくたばったとしても、それでも足掻け。

 それが生きるってことじゃなかったのか。

 足掻け。

 足掻け。

 考えろ。

 考えろ──


「あんた──」


 口が勝手に動く。それから僅かに遅れて、ひとつの閃きがあった。

 そう。

 そうだ。

 彼女はどうして【異形種】用の秘薬を隠し持っていたのか。いわゆる秘薬調合師には、そもそも【異形種】が多い。それは、確立されている秘薬のレシピが他の血統と比べて多いからだが、それ以前に、自分が治療薬を隠し持っておくとしたらと考えれば、答えは自ずと出た。

 女の顔を見下ろしながら、確信を持って尋ねる。


「──あんた、【異形種】だな?」


 どれかひとつだけ持っておくなら、自分に使える治療薬を持っておくに決まってる。どんな状況でも、自分だけはいつも近くにいるのだから。他の血統用の秘薬では無駄になる可能性があるが、その血統用だけは確実に無駄にならない。

 こちらの気配の変化を感じ取ったのか、気圧されたように黙る女だったが、我に返るなり、すぐに頷いた。


「は、はい。でも、私は──」

「分かってる。だが、一か八か、いい方法を思い付いた」

「いい方法?」

「ああ」


 答えながらも、本格的に扉の外に注意を払う。ここから先は、聞かれるとまずい。いや、秘薬云々の辺りからとっくにまずかったのだが、誰もいなかったのは幸いだった。どうたら、別グループとやらの対処に相当手こずっているらしい。

 好都合。

 いや。

 たとえ都合が悪くても、いち早く始める以外にない。秘薬による治療は、瞬時に効果が出るわけではないのだから。

 再び女の顔を見下ろす。向こうも、何か感じ取ったのか、こちらを真摯に見つめていた。


「俺はシドだ。あんたの名前は?」

「あ、はい……、マリアです」

「じゃあ、マリア。今は一分一秒が惜しい。有無を言わさず、俺の指示には絶対に従って貰う。そうでなければ、俺はあんたの妹を助けない。分かったな?」

「はい」


 素直だ。この状況では満点と言っていい。

 そのマリアに、俺は告げた。


「まず、あんたがその秘薬を飲め」

「え?」


 床に寝転がったまま戸惑うマリア。しかし、返事をすることなく、淡々と次の命令を発した。


「飲んだら、服を脱げ」


 マリアの目が点になった。



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