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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第3章 回帰
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6



 その日はなかなか寝付けなかった。寝室の悪趣味な雰囲気のせいもあるし、単に休もうという気分になれなかったというのもある。しかし、それ以上に、ひとつの予感を抱えていたからだ。

 今寝たら、きっと夢を見る。

 悪夢を。

 宇宙で塗り固めたような漆黒のベッドの上で、大の字に手足を投げ出している。折れた左腕にはアリシアが包帯を巻いてくれた。その上で治療用の秘薬を打つと、1時間もしないうちに元に戻った。そこまで強力な治癒力を引き出すには、普通は【異形種】の血統でもないと無理だが、自分の血統は、事実上全ての血統を併せ持つ。つまり、どの血統の秘薬でも使えるということになり、これは明らかにメリットのひとつだ。

 だけど、その発見の感動も、どこか薄いものだった。

 そう。

 もっと気になることがあったから。

 彼女の、あの、優しいのに、どこか寂しそうな表情。

 あれは。

 あれは、いったい、どうして──

 ベッドから体を起こし、薄いレースのカーテン越しに、漆黒の壁を見つめる。

 そして。

 不意に決心して、その巨大なベッドから抜け出すと靴を履き、そのまま部屋から出た。

 通路を左に進むと、やがていくつも小さな扉が並ぶ場所に着く。さらに奥には行き止まりが見えるが、その少し手前のドアを開けて中に入る。場所はもちろん覚えていたし、何度か開けた扉の質感を、まだ手が覚えていた。

 薄暗く狭い部屋には、寝心地の悪そうなベッドがひとつ。そして、背もたれのない小さな椅子がひとつと、やはり小さな台がひとつ。

 そう。

 つい先日まで、自分が使っていた部屋。

 当たり前だが、何も変わっていない。

 その変わらない空気を確かめてから、前と同じようにベッドの縁に腰掛ける。

 ここで。

 ここで俺は、彼女に、いろいろなことを──

 当たり散らすだけの俺に、彼女は一切の同情をしなかった。ただ淡々と、当たり前のことを答えてくれただけだ。

 殺してくれと言った俺に、彼女は「勝手に死んだら?」と答えた。「貴方が本気で自殺しようと思ったら、誰にも止められない」とも言ってくれた。それはつまり、俺の命が、結局は俺のモノだと教えてくれたのだろう。他の誰のモノでもない。他の誰かが面倒をみてくれるわけでも、責任をとってくれるわけでもない。俺の自由に、俺の為に使えばいいと、今考えてみれば当たり前のことを教えてくれただけだ。

 かつての自分は、魔狩という一種の称号が欲しくて、そのために人に媚びへつらうことばかり考えていた。魔狩になれれば、今まで自分を見下してきた連中を見返してやれる。そんなことのために、俺は自分の命を捨てようとした。本来なら、自分が本当に望むものが何なのか、それこそ、命を懸けてでも考えなければならなかったのに。

 何故って。

 俺の人生だから。

 他の誰でもない、俺の人生だから。

 俺がそれを考えないで、誰が考えてくれる?

 親兄弟や友達が、或いは見も知らぬどこかのカリスマが、それを与えてくれるとでも?

 馬鹿だ。

 そんなことを信じている奴がいたら、本物の馬鹿だ。

 ある意味では、俺だって、アリシアが導いてくれたと言えないこともない。だけど、彼女は俺の人生の答えを教えてくれたわけじゃない。ただ「何がしてみたい?」と聞いてくれただけだ。俺に考えろと言ってくれただけだ。そうしなければ、俺は一生クズのまま。どんなテストでも、その都度答えを教えて貰っていては成長しない。常に100点がとれても、自分で考えたものでないと意味がない。それが本当の「力」というものだ。

 そう。

 そうだ。

 これは、俺の命。

 これは、俺の生。

 だから、俺は戦える。

 他の誰でもない自分の命だから、それを懸けてでも戦える。

 だけど。

 どうして。

 どうして。

 彼女は、あんな──

 まるで。

 まるで、それが。

 俺の命が。

 俺だけのものじゃないと、そう言っているような──

 そして。

 その疑惑を。

 その疑念を。

 俺は。

 どう受け止めればいいのか。

 いくら見つめても、いや、むしろ、見つめれば見つめるほど、絵の具が水に溶けるように心が渦を巻き、次第に判別がつかなくなっていく。

 まさか、彼女は俺のことを、俺の命を、そこまで大事に想ってくれているのだろうか。だからあんな心配そうな目をしたのか。彼女の3時間よりは価値があると言ってくれたことはあるが、それ以上だったのだろうか。

 でも。

 俺はそれを喜んでいない気がする。

 むしろ、恐れていないだろうか。

 いや。

 そうか。

 嬉しいのは嬉しい。

 しかし、だからこそ、怖いのかもしれない。

 俺は、アリシアのことを好意的に思っている。それは間違いない。俺のことを、俺の話を初めて真剣に聞いてくれた。そして導いてくれた。そんな女性を嫌いになれるはずがない。

 ただ、どれくらい好きなのかと言われると、あまり踏み込めない自分もいる。

 はっきり言って、子供の頃からずっと女が嫌いだった。あの陰険で、打算的な生物が嫌いだ。何か用途があるとすれば、性の捌け口以外にないと信じていた。女を金で抱くことはあっても、一生添い遂げるなんてことはないと確信していた。奴らと分かり合うなんてことは論外だとさえ断言していた。

 でも、アリシアは違う。

 今まで出会ってきた女性達と、彼女が違うのは明らかだ。だけど、これが愛とか恋というものかと言われると、それは分からない。何せ、経験がないから。女を買ったことはあっても、女性を好きになったことはない。アリシアと添い遂げる覚悟があるのかなどと自問してみると、途端に混乱してくる。

 それに。

 本当に怖いのは、その先だ。

 彼女とそんな仲になったとして。

 俺は。

 今までの自分でいられるのか。

 誰よりも大事な女性ができて。

 その彼女と一生添い遂げる約束をしたとして。

 それでも、自分の命が自分だけのものだと言えるのか。

 戦えるのか。

 そう。

 そうだ。

 戦えない。

 戦えると思えなかった。

 自分だけの命だったから、あんな無茶ができた。

 だけど。

 それが自分だけのものじゃない、その命が消えて泣く人がいる、彼女をひとりにするのが何よりも辛いと分かってしまったら。

 戦えない。

 戦えるわけがない。

 そして。

 命を懸けられない自分は。

 本当になりたいものを目指せない自分は。

 その時点で、生きているとは言えないのではないか。

 死んでいるのと同じじゃないだろうか。

 だから。

 だからこそ。

 急に怖くなかった。

 居ても立ってもいられなくなった。

 俺は。

 俺は。

 どうする。

 どうすれば──

 消える?

 消えた方がいいのか?

 今、彼女の前から消えれば、そうすれば、多分。

 そう。

 そうすれば。

 俺のままでいられるはず。

 今なら、きっと彼女は俺のことをあっさり忘れてくれる。それなら、俺が無茶して死んでも、あんな悲しい表情をしなくて済む。

 でも。

 本当にそれがいいのか?

 逃げて。

 逃げていないか?

 逃げるのが、本当にいいのか?

 逃げないで考え続けることが、生きるということだったはずなのに。

 彼女から逃げることはつまり、結局、自分からも逃げていることに──

 だけど。

 今逃げなければ、その後ずっと膨らみ続けるかもしれない、彼女への好意から逃げ続けることになるのかもしれない。

 どちらが。

 どちらが正解だ?

 今、期待を裏切って逃げるのか。

 それとも、この先ずっと心を裏切り続けるのか。

 どっちが。

 どっちが正しい?

 しばらくその狭い部屋の中で、頭を抱えて考え続けた。しかし、一向に答えは出ない。そのうち、もしかしたら答えなんてないのではと思えてくる。今まであまりに怠けすぎた自分は、もはや袋小路の中にいて、どうやっても不幸から抜け出せないのかもしれないと、そんなことまで考えるようになってくる。

 駄目だ。

 ベッドから腰を上げ、ふらふらとした足取りで部屋から出る。そのまま元来た道を帰り、寝室まで戻ってくるが、どうしても、そのドアを開ける気にならなかった。仮にこのまま寝ても、恐らく、ろくな夢を見ない。死んだ自分の横で、彼女が泣いている光景しか思い浮かばない。だったら、寝不足の方がましだ。

 そのまま通り過ぎ、客間の並ぶ廊下に辿り着く。その時までは、何の意図も思惑もなかったのだが、しかし、アリシアの部屋の扉に差し掛かった時、不意にその足が止まった。

 多分、幽霊のような目つきをしていただろう。そんな虚ろな目で、鋼鉄色の扉を見つめた。

 ここに。

 この奥に、彼女が──

 まるで死んでいるみたいに静かだ。寝息のようなものは聞こえない。そもそも、魔王に睡眠が必要なのかどうかも分からない。だが、毎日シャワーを浴びて着替えているのは知っている。すると、部屋着のような物があるのだろうか。案外、今ここを開けたら、アリシアのネグリジェ姿が見られるのかもしれない。開ける時は覚悟しろと言っていたが、その格好を余程見られたくないということか。或いは、その格好が刺激的過ぎるから気をつけろという意味か。

 ここを開けて、彼女に襲いかかってみるか。

 そうすれば、白黒がつくような気がした。

 決定的に距離が縮まるか。

 それとも、決定的に嫌われるか。

 いや。

 馬鹿か。

 馬鹿だ。

 思わず呆れた。

 何を考えてるんだ、俺は。

 彼女の部屋を通り過ぎ、長い廊下を進む。

 やがて玉座の間へ繋がる大扉が見えてくる。そのほぼ反対側に、監視室に続く扉。その中には、つい数時間前に運び込んだばかりの、壊れた機械人形が置かれているはずだ。

 さらにその向こうへ歩けば、書庫や調合室がある。本でも読んでみようかと思ったが、どう考えても没頭できる気がしなかった。調合室の奥には天然の冷凍庫があるが、頭を冷やすには寒すぎる。

 結局、自分の手はいつの間にか、玉座の間へ続く扉を押し開けようとしていた。

 やっぱり。

 やっぱり、外に逃げるつもりか。

 しかし、自分が本当にそんなことを望んでいるのかいないのか、心の中は渾然一体としたままで、はっきりと分離し始めるような気配はどこにも見当たらなかった。



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