表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第3章 回帰
22/51

5



 焼けるように熱い右手で、眼前の人形の頭を掴んだ。

 手の甲の焼けた傷口から止めどなく血が流れる。

 その手が震える。

 だが。

 口が思わず綻ぶ。

 そう。

 そうだ。

 気付けにちょうどいい、そんな痛みだ。

 額から左目に血液が垂れてきて、視界が赤く染まる。だが、ちゃんと体は動くし、思考もクリアだ。つまり、急所は外れている。体勢が低かったのが幸いしたのかもしれない。そういう意味では、本当に運が良かった。

 そして、こちらの首を掴んでいた人形の腕からも、力が抜けていた。それがどうしてなのかは分からないが、向こうもこちらと同じで、全身をレーザーに貫かれたはず。だから、それが原因なのは間違いない。しかし、そもそも、ただ操られているだけなのに何故あんな超人的な動きができたのか、そこからが謎だ。

 だけど、まあいい。

 生きている。

 体が動く。

 思考が回る。

 何も不足はない。

 さあ。

 今度は、こちらの番だ。

 相手の体を支えにするようにして、ふらふらと立ち上がる。

 ところが──


「ぬぅ──!」


 その瞬間、相手の振り上げた足がこちらの右脇腹に食い込み、思いっきり蹴飛ばされた。

 腹部に刺すような痛み。

 催す吐き気。

 だが、それよりも──

 物凄い音を立てて金網の上を転がりながら、自分の頭に血が上るのがはっきり分かった。

 このヤロウ。

 絶対に。

 絶対にぶっ飛ばす。

 幸い、派手に転がったものの、今度は受け身をとっていた。

 床に這い蹲りながら、人形の方を見る。

 どうだ。

 どうなってる。

 来い。

 来いよ。

 ぶっ飛ばしてやる。

 すると。

 やたら血に染まったその一角で、屍の人形は、今まさにこちらに飛びかかろうと、先のない片足をバレリーナのように上げて──


「貴方ねえ──」


 彗星のような流麗な声。

 どこか呆れたような響きまで、はっきり聞き取れた。

 そして。

 その瞬間に、思い出した。

 目的。

 自分の役割。

 水を差されたように、怒りが霧散していく。

 人形がトランポリンのように金網を蹴り、こちらに飛びかかってくる。

 一切の迷いなく、転がるようにして、右へ移動した。

 ちょうどその場所に、彼女の待つ通路があったから。


「……お帰り」


 腕組みしたアリシアは、足元に転がり込んできたこちらを見下ろしながら、妙に抑えの利いた口調でそう告げた。その銀の視線は、飲み忘れて一晩明かした紅茶並に冷え切っている。

 うん。

 あの幽霊みたいな人形よりも、ずっと怖かった。


「よ、よう……」


 彼女の足元に寝転がったまま、右手を微妙に上げて挨拶する。ただ、幸か不幸か、彼女の黒いスカートの奥が覗けそうで覗けない、微妙な位置関係だったので、目のやり場に困った。

 すると、目敏くその視線に気付いたのか、急ににっこり微笑んだアリシアは、柔らかいスカートを押さえるようにして座り込み、満面の笑みのまま告げる。


「ねえ。そんなに死に急ぎたいのなら、いっそ協力してあげましょうか? 今だったら、そういう気分になれそうなんだけど」

「い、いやいや、そんな……、滅相もない」

「体中が穴だらけの今なら、魔眼の一発でも浴びせれば、励起した血液が全身から噴水みたいに吹き出して、綺麗でしょうね。何度か繰り返せば、そのまま失血死でイケるんじゃない?」

「イケるって……」


 その軽い言葉のまま、本当に軽く殺されそうなので、とりあえず目を逸らす。彼女の目を見なければ、一応大丈夫なはずだ。まあ、本気で彼女が殺す気なら、無駄な抵抗だとは思うが。

 しかし、その時、彼女の瞳が僅かに見開かれ、視線が上に逸れる。

 同時に、背後から押し寄せる悪寒。

 そうだ。

 すっかり忘れるところだったが、まだ戦闘中だ。


「あら、あの子も、貴方の自殺願望に協力したいんだって」


 そう言って、にっこり微笑みかけるアリシア。

 もちろん、その笑顔を悠長に眺めることはせず、寝返りを打つように、背後に体を返す。

 それとほぼ同時だった。

 少し前に見たのと同じポーズで、表情のない壊れた人形が跳び上がった。

 こちらを踏みつけるように、揃えて降ってくる両足。もっとも、片方は膝下がないが。


「くっ!」


 その下に飛び込むように転がり、攻撃をかわす。そして、そのまま時計の針のように体を回転させ、鈍い音と共に着地した人形の右足を、強引に払いにかかった。

 うまく足首が引っかかる。

 さらに、思いっきり引き寄せる。

 人形がバランスを崩すのが見える。

 よし。

 うまくいった。

 しかし、そう思えたのは、一瞬だけだった。

 向こうはやはりバレエのように空中で軽やかに回転すると、こちらの足払いの勢いさえ利用して、軸足だったはずの右足を、こちらの腹めがけて落としてくる。

 おいおい。

 なんだそりゃ。

 もはや、人間業じゃない。

 避けられるタイミングでもない。

 だけど、大人しく負けるのは嫌だ。

 左手は折れていて動かない。

 だったら。

 右手を折られてでも──


「あのねえ……」


 再びの、呆れきった彼女の声。

 その声で、反応が遅れた。

 しまった。

 無防備で腹に食らったら。

 内蔵が潰れる。

 それは。

 さすがにヤバいって──

 しかし。

 人形の攻撃は急に勢いを失い、降ってきた右足は、こちらの体の数センチ手前に着地した。

 そして、その勢いのまま、こちらに向かって前のめりに倒れてきて──


「おっと……」


 女性としてはずっしり重いが、機械人形としては意外に軽い。そして、思ったよりも柔らかい質感をしたその体を、主に右腕と腰の辺りで受け止める。

 スイッチが切られたみたいに、人形はぴくりとも動かなかった。

 それがどうしてか、さっぱり謎だが。


「まったく……」


 しかし、溜息混じりのその声を聞いてアリシアに視線を戻すと、すぐにその理由が分かった。

 いつの間にか仁王立ちしていた彼女の右手に摘まれて、大人しくぶら下がっているのは、巨大な肉色の蛭。

 つまり、操り手が離れたため機械人形の動きが止まった、ということらしい。

 いや。

 だけど。

 いつの間に?

 その疑問を視線で訴えていると、彼女はまず、その蛭をポイと広間の方に放り投げる。その『果肉』はこちらを見ることもなく、金網の上を這って、親である『肉樹園』の方に帰って行った。どういうわけか、他の骸骨も既に見当たらない。さらに親の方も、また、その中のレーザー射出機の方も、こちらが熱関知範囲外に出たため、今は嘘みたいに大人しい。

 そちらを一通り観察してから、再び幻月の魔王に視線を戻す。さっきよりは体ふたつ分ほど距離があるため、既に目のやり場に困るアングルからは抜け出していた。今はもう、いつもの綺麗な立ち姿があるだけ。漆黒の衣装が包むほっそりとした体の両側を、天の川のように流れ落ちる黄金の髪。人形のような端正な顔の中で、淡い銀の瞳が一際輝いている。相変わらずの、思わず触れたくなるが触れてはいけないような、可憐で神秘的な美しい少女。

 そんな彼女が、しばらく腕を組み、不機嫌そうな顔でこちらを見つめていたものの、やがて、それが見間違いだったような、柔らかい表情に変わった。


「手が汚れたわ」

「へ?」

「昨日3時間以上待たされたことといい、あの『果肉』を手で掴む羽目になったことといい、貴方って、私を怒らせようとしてるわけ? そういうのが趣味なの?」

「え、あ、いや……」


 戸惑いのあまり、右手が思わず髪を撫でる。怒られているにしては、彼女の表情が穏やか過ぎたからだ。

 しかし、やっぱり、謝った方がいいのだろうか。

 ところが、彼女の表情は一層優しくなるばかりで、それどころか──

 こちらに目線を合わせるように腰を屈め、むしろ母性を感じさせるような慈愛の表情で、こちらを優しく見据える。


「それに、無茶して腕まで折って……、いえ、腕だけならまだいいけれど、一歩間違えれば死んでいたかもしれないって、ちゃんと分かってる?」

「あ、ああ……」

「いくら私でも、死んでしまったらどうにもできないんだから」


 その台詞を彼女は、その優しい表情のままで、言い切った。

 だけど。

 何か、危ういような。

 その夜を照らす月光のような穏やかな色の中に、何か別の、その月が墜落するほどの悲壮な何かが見えたような。

 そんな気がした。

 しかし。

 その印象を確かめようと、彼女の可憐な顔をいくら眺めていても、結局、いつもの輝き以外のものは何も見いだせなかった。

 空に浮かぶ月に手を伸ばしても触れられないように、今の自分には、彼女が本気で隠している心に触れることができない。何か、そんなことを暗示されているような気がして。

 まるで、胸の中に暗いぽっかりとした穴が空いたような、漆黒の月が生まれたような不思議な情動を、持て余すしかなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ