表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第3章 回帰
24/51

7



 気が付くと、背の高い黄金の穂が広がる草原にいた。

 もちろん、いくら何でも、遺跡の中から出たはずはない。よって、ここは樹海ルートのどこかだろう。何層目なのかは分からないが、少し前に対処した魔物の強さを考えれば、そろそろ入り口に近付いているのかもしれない。

 まるで起きながら夢を見ているようだと、そう思う。

 周囲の景色にもさっぱり現実味がない。低い金属の天井を除けば、この草原は境界が見えないほど広いため、実際のものとほとんど変わらないように見える。爽やかな風が吹き抜けるような錯覚さえする。しかし、意識して体の感覚に尋ねてみれば、実際はほとんど無風で、むしろ停滞感が鬱陶しいほどだった。

 だけど、体は進み続ける。

 当てもなく。

 夢遊病者みたいなものかと、ぼんやりと認識している自分がいた。

 そのまま、止める気も進む気も起きないくせに、体は自動操縦のように、だらしなく進み続ける。

 何がしたいのか。

 何がしたいんだか、俺は。

 それは考えるしかない。

 しかし、どうしても考える気になれなかった。

 仕方ない。

 仕方ない。

 ところが、その時。

 不意に物音を感じて、足が止まる。

 自分の体が穂をかき分ける音も止まった。

 だが、ほぼ両サイドから、同じ音が近付いてきているのが分かった。咄嗟に周囲を見渡すが、はっきりとした異変は見当たらない。明らかに、穂の中に隠れながら近づいてきている。

 やれやれ。

 また魔物か。

 これまでも何度か襲われているが、この辺りのレベルでは大した障害にはならないだろう。つまり、訓練にもならなければ、楽しめるわけもない。

 しかし、襲ってくる以上は仕方ない。

 その場に立って耳を澄ます。

 どちらも結構大きい。

 大型犬くらいの大きさはあるか。

 そう思っていた矢先。

 一際大きな音がして、左側の敵が穂の中から顔を出す。

 そちらを見る。

 だが。

 一瞬固まってしまった。

 そいつは魔物じゃなかった。


「行け!」


 そう叫んだのは、色黒で彫りの深い顔。

 人間だ。

 まさか。

 まさか。

 いや。

 よく考えれば、つまり、もう3層目が近いこの位置なら、人がいてもおかしくはない。

 そして、それよりも。

 対処が先だ。

 男が投げてきた金属球に注意を向ける。あのサングラス男が使っていたのと同じ形状。衝撃を受けると中から煙や液体が吹き出す仕掛けだ。これは魔具ではないが、魔族の発明品だと言われている。今では人類の間でもメジャーな道具だ。

 その球が山なりに飛んでいる。

 ここの地面はぬかるんでいて、おまけに穂がクッションになるため、着地の衝撃では起動しないはず。

 ならば、こちらの体に当てる気か。

 いや、それにしては遅い。

 何だ?

 何が狙いだ?

 しかし、考える暇はない。

 ひとまず避けるのが無難。

 地を転がるようにして、穂の中に身を隠すようにして、右に飛び込んだ。

 四肢をつく蜘蛛のような体勢で、気配を窺う。

 ところが。

 その背中に、何かがコツンと衝突する。

 動揺が走る。

 さっきの球か?

 軌道を変えた?

 音もなく?

 馬鹿な。

 いや。

 そうか。

 すぐに察した。

 さっきとは別の球だ。あのこれ見よがしなゆったりとした投げ方は、あっちが囮だったからだ。もうひとり、反対側にいた奴が、気付かれないように本命を投げただけのこと。

 くそ。

 やられた。

 しかし、後悔したところで遅い。既に球は起動を始めている。中からぶちまけられたのは、べったりとした重い液体だった。

 それが背中に、髪に、腕に、そして、周りの穂にべたべたと絡み付く。

 なるほど。

 足止めか。

 思わず舌打ち。

 よりにもよって、一番厄介な手を。

 毒や酸なら効かないので問題ない。だが、こういった拘束系は耐性で防げない。一番無難で確実な選択。

 頭がいい。

 戦い慣れている。

 魔狩の中でも相当な熟練者かもしれない。

 だが。

 上等だ。

 口元が歪む。

 少し、燃えてきた。

 その瞬間に、背後から殺気を感じる。しかし、誰かが近付いてくるような物音はしなかった。弓矢かボウガンか、遠隔武器で狙われているのだろうと予想した。

 足止めした上で狙撃。動かない相手を狙う方が格段に楽なわけで、やはり理にかなっている。おまけに狙いの付け方も早い。手慣れている。

 ただ──

 この程度を打開できないほど、俺は雑魚じゃない。

 その確信と共に。

 全身を燃え上がらさせる。

 そして。

 へばりつく粘液を一瞬で灰に変えた。

 そのまま回り込むように反転し、低い体勢で穂をかき分けながら、殺気を感じた方向へと突進する。


「な──」


 そんな動揺の声と共に、慌てて穂から顔を出す襲撃者。同じ色黒だが、さっき見た奴とは対照的な、あっさりとした垢抜けない風貌をしていた。かなり若い。

 何だ。

 思ったより、間抜けだ。

 わざわざ、自分の居場所を相手に知らせるとは。

 こちらに気付いた男が、咄嗟にボウガンを向けようとする。

 だが。

 遅い。

 突進の勢いのままその武器を掴み、揉み合いになりそうなところを引き寄せ、右の拳を腹にめり込ませる。

 苦悶の表情。

 相手の体から力が抜ける。

 やはり。

 弱い。

 それを確認してから、手を離してさらに蹴り飛ばし、地面に転がしておく。本当ならさらに追い打ちするところだが、今はそんな余裕がない。すぐに振り返って身構えた。

 すると、予想通り、ナイフのような物を腰だめに構えたもうひとりの男が、低い姿勢でこちらに突進してきている。

 相棒があっさりやられたのが気の毒だったが、2対1の状況を作ろうといういい判断だ。

 さらに、その機敏な動き。

 一切の慈悲を許さない、鋭利な視線。

 こいつは強い。

 相手の得物が一瞬だけ、穂の中から見えた。かなり大振りのナイフだったが、刀身の色が油のようにカラフルな光を反射している。魔具か、それともただの毒ナイフか。

 そうこうしているうちに、相手が穂の中から飛び出すようにして、切りつけてくる。

 その攻撃に対し、一瞬退くようにフェイントしてから、逆に踏み込んで迎撃した。

 ナイフが握られた右腕に、こちらも右腕を出す。

 服の上から肘の辺りを傷つけられながらも、向こうの腕を掴む。

 厳格な男の顔が、この時初めて弛んだ。

 そう。

 勝ったと思って油断した。

 つまり、毒が塗ってあったのだろう。しかも、よほど信頼性のある強力な毒らしい。耐性を持つ者が極端に少ないレアものか、それとも、致死量を軽く越える強力なものか。

 しかし、生憎だ。

 何であれ、俺には効かない。

 その油断を見逃さず、相手の腕を引き込むようにして、腹に拳をねじ込む。

 男の顔の彫りが一層険しくなる。

 だが。

 そいつは鍛え方が違ったのか、それ一発で力が抜けたりはしなかった。すぐさまこちらの腕をふりほどくと、ナイフで牽制しながら、よろけるように数歩後退して距離をとる。その間も、鋭い眼光がこちらをじっと睨んでいた。不用意に近付けば痛い目を見るというのが、ひしひしと伝わってくるほどに。

 そのまま、数メートルほど離れたところで、殴られた腹を押さえながら、こちらをじっと睨み続ける。

 強い。

 こいつは、やはり強い。

 これは楽しめそうだ。

 ところが、その時だった。


「おいおい──」


 舞台役者を思わせるような、低く渋いよく通る声が、草原に響く。今まで全く気配を感じていなかっただけに、その新たな乱入者の出現に少なからず驚かされた。

 だが──

 目の前で荒い息を吐く男の背後から、のっそりと現れたその尋常じゃない巨体が、さらに相当な衝撃だった。

 何だ。

 何だ、こいつ。

 本当に人間か。

 2メートルどころじゃない。

 天井に頭が接触しそうなほどの大男。

 そいつは背後からナイフ男の頭をテニスボールみたいに掴むと、そのまま人参でも引っこ抜くように、無造作に後ろに放り投げた。その軽い動作だけで、男は数メートルほど山なりに飛んでいった。まさに、野菜の選別でもしているように。

 そこで、その男の後ろに隠れていた巨体の全貌が、ようやく露わになる。

 とにかく規格外にデカいことは確かだが、一応、それは人間の体をしていた。半袖のシャツとアーミーパンツという、ある意味分かり易い格好だが、腕や足は建築物の柱ばりに太く、しかも見事に鍛え上げられている。古代の石像を思わせる、やや色白で無骨な顔。刈り上げられた短髪は淡いプラチナブロンドで、獅子を思わせる色合いをしていた。

 その圧倒的な巨体に唖然とするが、程なくして、別の意味でも衝撃を受けた。

 こんな──

 こんな大男がすぐ近くに来るまで、その気配すら感じ取れなかったというのか。

 こいつ。

 こいつは。

 相当強い。


「お前が、幻月の血統を連れてたっていう野郎か?」


 大男が腰に手を当て、静かに尋ねてくる。

 しかし、その問いに答える余裕は、もはやなかった。

 この途轍もない威圧感。

 ひしひしと伝わってくる、圧倒的な力量差。

 油断すれば。

 奴が動けば。

 その瞬間に。

 やられる。

 そう。

 そうだ。

 隙を探せ。

 弱点は。

 こいつの血統は何だ。

 この巨体からすぐに想像されるのは、力自慢が多い【樹魔種】か、ゴーレムと呼ばれる巨大機械兵を含む【造兵種】か。そういえば、背中に何か機械のような物を背負っているのが見える。あれが魔具だとすれば、扱えるのは【造兵種】だ。しかし、酸や毒に強くない【造兵種】の人間が、わざわざこのルートを選ぶだろうか。だとすれば、やはり耐性に優れた【樹魔種】か。


「だんまりか?」


 あれこれ考えているうちに、大男がそう言いながら前髪をかきあげ、視線を逸らしながら小さく溜息を吐いた。

 マズい。

 恐らく、もう猶予はない。

 次の一言で、奴は動く。

 だとすれば。

 先手必勝か。

 奴が動く前に動く。

 向こうの戦闘態勢が整う前に懐に入るしかない。とにかくリーチでは圧倒的に負けている。まともに組み合えば、まず勝ち目はない。

 もはや、迷っている暇はなかった。


「だったら──」


 相手の言葉が言い終わるよりも前に、突進した。さらに黒く燃える拳を突き出す。この防御無効の絶対の矛で致命傷を与える。それ以外にない。

 だが。

 既に手遅れだった。


「がぁ──」


 汚泥のような濁音と共に、大量の血液が口から吐き出される。

 内蔵の潰れる音。

 一瞬、意味が分からなかった。

 しかし──

 馬鹿な。

 馬鹿な。

 視線を下ろす。

 いつの間にかその場所に、自分の腹に、男の腕が深々と抉り込んでいる。

 全く見えなかった。

 それどころか、動き出すような気配は、まるで──

 しかし、それ以上考えるような間を与えられることはなく、まず直後に顎を砕かれ脳が揺れた。さらに胸ぐらを掴まれ、派手に地面に叩きつけられる。受け身がどうとかいう、そんなレベルじゃない。どちらかの鎖骨が砕けるような鈍い音がしたが、その時には既に、精神機能の大半が肉体から離れていた。それほどの、目まぐるしいほどの破壊の嵐だった。

 圧倒的。

 強い。

 強すぎる。

 こんな。

 こんな奴に。

 勝てる、わけが──


「おいおい。まだこれからなんだけどな。とりあえず、美人の彼女の居場所は後で吐いて貰うとして、まずは、俺の部下を可愛がってくれたケジメをつけねえとな。心配するな。そんな高いもんじゃねえから。せいぜい、腕1本ってとこだ」


 その言葉を認識するや否や。

 左肘の辺りを、万力のような力で圧迫される。

 そして。

 抵抗するような、認識するような時間さえない一瞬のうちに、嘘みたいに簡単に、関節が潰されるのが分かった。

 さらに。

 奴は無抵抗の左腕を、まるで大根を引き抜くみたいに引っ張る。

 筋肉も、神経も。

 今まさに収縮を繰り返していた血管を。

 それら全てを、丸ごと引き抜くように。

 そして──

 弾けるような断裂が幾筋も鳴り響く。、

 悪寒。

 恐怖。

 そして。

 そこにあったものがないという、超えてはならない一線を越えたような、けたたましいほどの焦燥感。

 脳の理解がすぐには追いつかなかった。

 しかし。

 まさか。

 まさか。

 嘘だろ。

 だが、その後、妙に生々しい、身のつまった何かが穂の中に放り捨てられるような、水気の多い音が響いて──

 嘘だ。

 嘘だ。

 こいつ、本当に。

 やりやがった!


「これでケジメはついたな。よかったよかった。じゃあ、後は、さくっと吐いて貰おうか……って、そうかそうか。顎砕いちまったんだったな。悪い悪い。ついつい力が入っちまって──」


 そんな、重苦しさとは無縁の淡々とした声は、次第に薄れていった。

 肉体的な痛みとは別の、渦巻くような何かが容赦なく精神を闇の淵に引きずり込み、抵抗する術もなくただ沈んでいくだけだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ