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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第3章 回帰
20/51

3



 原始的な雰囲気だった樹海ルートから一転して、回廊ルートの最深部は、さすが魔族の遺跡と言わんばかりの、機械的な空気が満ちていた。

 ただし、その中心にある異形の物体を除いてだが。


「何だよ。あれは……」


 今度は鎖や振り子の形が多く彫られていた漆黒の扉を開けてすぐ、思わずそう呟いて固まってしまった。しかし、やはりと言うべきか、アリシアはその脇を躊躇なく抜けて、短い通路の中程あたりでこちらに振り返り、いつも通り微笑む。


「端的に言えば、あれがこのルートのラスボス。一般的には『肉樹園(フレッシュ・ツリー)』とも呼ばれている。要するに、そんなに珍しい魔物じゃないってことね」

「……いや、そんな名前、聞いたこともないんだが」

「個体数はそれほど多くないから。だけど、人間側の記録にも、ちゃんと残っている。ただし、とんでもない化け物がいたっていう、怪談的な記述が多いけれど」


 その表現には、確かに納得だった。特に夜中にあのおどおどしい姿を見たら、大の男でも悲鳴をあげるに違いない。今だって、隣にアリシアがいなかったら、見なかったことにして撤退していた気がする。

 ただ、改めてその異形の魔物を観察してみると、なるほど、確かに『肉樹園』だと思わせる見た目だった。

 細い通路の向こう側は、金網の敷かれた床と、鏡のように磨かれた光沢を放つ壁。その壁の緩やかなカーブから推測するに、かなり広いシリンダー状の空間のようだ。

 そして、その中央に『肉樹園』は鎮座している。

 一言で表現するなら、それは巨大な肉の塊だった。しかも、フレッシュと言うだけあって、明らかに生きている。おおまかに言えばラグビーボールのような形状で、しかし所々がグロテスクに膨れて、まるで心臓のように鼓動を打っている。よく見ると血管のような筋もあり、薄いピンクと赤のグラデーションがかなり生々しい。さらに、まさにツリーの名の通り、その中心から肉の枝が突き出し、床や壁にべったりと張り付いているのが見えた。

 まさに【異形種】の代表と言わんばかりの気色悪さだ。


「あの中に、『霊犀と鋼の意志』がある」

「……へ?」


 最初、言っている意味が分からず、思わずアリシアの顔を凝視した。

 しかし、向こうは落ち着き払った様子で長い髪を揺らし、真面目な顔で穏やかに言い放つ。


「ここの記録によれば、あの中に『仕舞った』ということだった。あれは基本的に、一定の熱を持つ物を探知して攻撃する。そして、自分の体に取り込んで消化するの。『霊犀と鋼の意志』は機械人形だから、起動中は一定の熱を放つ。つまり、ここに持ってくれば攻撃され、あの中に取り込まれてしまう。だけど、あの中で機能停止すれば、それ以上は消化されない。要するに、保管されているのとほぼ同じというわけ。あの中に置いておく方が、どこか倉庫に仕舞っておくよりも、魔物がセキュリティになる分だけ安全と考えたのでしょうね」

「まあ、そりゃそうかもしれないが……」


 そう呟きながら、腰に手を当てて溜息を吐き出した。内心、まだ少し混乱していた。


「……魔族の中には、まともな感性の持ち主がいないのか?」

「あら、私、まともじゃない?」

「あんた以外にはいないのか?」

「ええ。いないかも」


 彼女は可笑しそうに口元に手を当てて、あっさりと答えた。そう言い切られてしまうと、もはや返す言葉もない。

 ようやくそんな彼女の隣まで進み出て、奥の異形の魔物に視線を戻す。


「結局、あれを倒して、中にいる機械人形を引っ張り出せってことだな?」


 ただで出してくれるのなら、自分をここまで連れてくる必要はない。まあ、案外、ただの荷物持ちという可能性もなくはないが、しかし、彼女の楽しげな様子を見れば、そんなつまらない用事じゃないことは明らかだ。

 ところが、そこでアリシアは珍しく、困ったように眉を顰めた。しかし、口元は微妙に笑っているのを見逃さなかったが。

 何かまたとんでもないことを思い付いたのかと、内心嫌な予感がした。


「一応、回収する方法が3つあるんだけど」

「……3つもあるのか?」

「ええ。貴方が言った方法が、まずひとつ。多分、灰燼のクロイツも、自分が帰ってきた時はそうするつもりだった。一番分かりやすい、シンプルで力任せな方法だから。でも、今のケースでは、正直オススメできない」

「どうして?」

「だって、私達がこれを倒してしまったら、このルートがその分だけ簡単になってしまうでしょう?」

「ああ……」


 なるほどと、思わず相槌を打つ。確かに、せっかく強者選別用に計画的に配置されているものを、簡単に壊すのはよくない。その後に別の魔物を配置できるならいいが、そんな当てもないのだから。できることなら、こいつを生かしたまま回収したいところだ。


「というわけで、別案」


 彼女はそう言いながらこちらを見上げ、左手を軽く上げた。その手の指でチョキを作り、ハサミのように動かしてみせる。意外なほど子供っぽい仕草で、可愛らしく微笑ましい。


「次に簡単なのが、私があそこまで歩いて行って、あの魔物の中に手を突っ込む方法」

「……へ?」

「そして、恐らくはあの中に大量に詰まっている骸骨の中から、機械っぽい物を手探りで見つけて引きずり出す。私は魔物に攻撃されないし、ある意味、一番安全でスマートな方法ね」

「それは、また、何て言うか……」


 想像するだけで、なかなかシュールな光景と言わざるを得ない。人形のような無垢な少女が、あのグロテスクに鼓動を打つ肉の化け物の中に手を突っ込むというのだから。

 半ば唖然としながら頭を掻くと、彼女もチョキにしていた手を広げて、軽く肩を竦めた。


「でも、正直、気が進まない。だって、気持ち悪いもの」

「……随分はっきり言ったな」

「あら、やって欲しい?」

「いや、そういうわけじゃないが……」


 すると、きょとんとした顔から一転、意味深な上目遣いに変わり、こちらをじっと見つめてくる。


「名目じゃなくて、貴方が本当に私の主だったら、その時は喜んで従わせて頂くけれど。それどころか、あの肉の檻に囚われて全身を溶かされて来いと命令されても、むしろ、至上の悦びって言うのかしら。嬉しくすぎて泣いてしまうかも」

「……嬉しいのか?」

「ええ」


 一切の躊躇無く、アリシアはいつものように可憐に微笑んで頷く。そして、直後に羨望の眼差しで、こちらをうっとりと見つめた。その透けるような銀の瞳に、何か将来の光景が映っているのかもしれない。

 しかし、彼女にそんな表情で見つめられては、さすがに数秒も耐えられなかった。

 すぐに視線を逸らす。

 沈黙が数秒ほどあってから、ようやく彼女も現実に戻ってきた。


「でも、それはまだ先のお楽しみということで、とっておきましょう。というわけで、残すは最後の方法のみということになる」

「……だな」


 逸らしていた視線を戻しながら尋ねる。相変わらず、月姫の名に相応しい可憐な顔立ちだが、表情は既に見慣れた穏やかなものに変わっていた。


「最後の手も簡単。あの魔物に、自分から吐き出して貰うという方法」

「そんなことができるのか?」

「ええ。ただ……」


 彼女はまた上目遣いになった。

 ただし、今度の視線は、明らかに前回とは違う、嗜虐的で悪戯っぽい、いや──

 完全に、何か悪巧みを思い付いた目だった。


「ちょっとだけ、危険が伴うけれど」


 抑えの効いたその声に、思いっきり怪訝な視線を返す。


「絶対ちょっとじゃないだろ」

「いいえ」

「そう言われて、ちょっとで済んだ試しがないと思うんだが」

「そうだった? あら。それは意外」

「……今までのも、あんたら感覚では、ちょっとだったってことか?」

「もちろん」


 アリシアは、はにかむように屈託なく微笑む。

 なるほど。

 要するに、今まで俺が渡った橋も、魔王的にはちょっと危ない程度のものでしかないらしい。

 人類にとっては、明らかに即死クラスの危険だったのだが。

 だけど、まあ──

 結局、すぐに諦めの笑みを浮かべて、軽く手を広げている自分がいた。


「──つまらない危険じゃないだろうな? 俺の訓練になるんだな?」

「ええ。それはもう、絶対に」


 彼女が思わせぶりに片目を瞑る。この彗星のような眩い瞬きが、ろくなサインじゃないことに薄々気づき始めていたが、しかし、気付いた時には、既にその閃光が脳の奥にまで、しっかりと残光を刻んでしまっている。要するに、対処しようと思った時には既に手遅れなわけで、こうやって微笑まされてしまうのだった。

 まあ、いいさ。

 どうせ、遅かれ早かれ、この魔物とも戦ってみなくちゃならないわけだし。

 それに。

 自分の血が沸き立つのが、分かっていたから。

 面白い。

 きっとこれは面白い。

 彼女が提案してくることは、どれも死の危険と隣合わせ。

 だからこそ得られる充実がある。

 生きているという実感が。

 そう。

 結局俺は、そんな彼女の思い付きが、そんな彼女の性格が。

 決して、嫌いじゃない。


「──で、俺はどうすればいい?」


 準備運動とばかりに、肩の具合を確かめながら尋ねると、彼女は奥の魔物を指さした。


「とりあえず、通路の先へ出て、あの空間の中に入って。その瞬間、向こうの攻撃対象として認識されるから、気をつけて」

「了解」


 軽く手を振りながら歩き出す。金網の床に近付くにつれ、緊張で鼓動が高まるのが分かった。そして、その緊張が同時に、自分の奥に熱く火をつけることも。

 樹海ルートでは、獲物が毒ガスで弱るまで、大した行動を起こしてこなかった。

 さて。

 ここはどうだろうか。

 そんなことを考えながら、金網の上を踏みつけた、その瞬間。

 広い空間の中心に鎮座する、肉の塊の魔物から、何かが回転するような高い音が響き始める。

 体が足を止め、脳が自然と臨戦態勢に入る。

 何だ?

 機械の駆動音?

 或いは、換気扇の回る音だろうか。

 しかし、なんでそんな物が──

 そんな疑念と共に周囲を観察していた時、背後から、アリシアの声が届く。


「右へ2歩。前に1歩」

「へ?」


 振り返ると、いつの間にか腕を組んで真面目な顔をしたアリシアが、こちらを睨むように見据えていた。

 いや。

 彼女が見ているのは、自分よりも、そのさらに奥にいる、肉の魔物のようだ。


「急いで」

「……はい?」

「死ぬから」


 その声の響きがあまりに冷徹だったので、勝手にスイッチが入った。

 右に2。前に1。

 いや、今はほぼ180度振り返っているから、つまり──

 左に2。後ろに1。

 言われた通りに動く。

 さらに振り返って、魔物を視界に収めた、その瞬間だった。

 肉塊の中から、突然、幾筋もの光線が飛び出す。

 凄まじい殺気。

 死の予感。

 その筋を必死に目で追う。

 しかし。

 実際のところ、そんな暇さえなかった。

 本当に光速で飛び出したそのレーザー光は、周囲の壁を鏡のように反射し、一瞬のうちに、部屋中を駆け巡った。空間すべてを光で埋め尽くすほどに。

 声をあげるどころか、瞬く間すらない。

 事実、シドが身動ぎする間もなく、乱舞した光線は勝手に部屋中を飛び交い、そして、やはり勝手に、金網に触れて溶けるように消えた。

 ただし。

 全てが過ぎ去った後、こちらの服や髪に、無数の焦げ痕を残していたが。

 つまり、まやかしでも、冗談でもない。

 掛け値なしの殺人光線だ。


「な……!」


 言いようのない沈黙があってから、再び背後のアリシアに勢いよく振り返る。


「どこがちょっとだ! 普通に避けようが──」


 ところが、アリシアは真剣な表情で奥を見つめたままで。


「ほら、出てきたでしょう?」


 魔物から視線を逸らさずそう告げた。まだ文句を言い足りない気もしたが、それはとりあえず飲み込んで、状況把握するべく魔物の方を見る。

 すると、本当に、何か出てきていた。

 自身が発したレーザー光によって、所々焦げた穴が空いている『肉樹園』のすぐ下。

 その魔物と同じ肉色のどろりとした液体が広がり、その中から人の骸骨のようなモノが立ち上がって、何もない眼窩がこちらを見据えていた。

 いや。

 そう思った矢先、頭蓋骨の中から、巨大な肉色の(ひる)のような生命体が顔を出し、その巨大な眼球を突き出す。


「そいつが『肉樹園』の果実。名前はそのまま『果肉(ヒル)』だけどね。さっきのレーザー光の廃熱を利用して産まれるの」

「……つまり、あれか。これも、樹海ルートと同じで──」

「ええ。あの中にいる【造兵種】の魔物とコンビを組んでいる。ちなみに、中身の方は『閃光器(フラッシュ・レイ)』という、どちらかというと装置に近い魔物。だけど、本来なら手薄な防御を『肉樹園』の方にカバーして貰ってるわけ。さらに、効率よく廃熱を吸収して貰うことで、連射性能もばっちり」

「ばっちり、じゃねえだろ……」


 彼女の『ばっちり』はなかなか可愛らしい響きだったが、もはや呆れて文句も言えなかった。 そして、そんな状況でもない。

 アリシアの情報通り、再びあの回転音が聞こえ始めてきたからだ。

 また、あの避けようのない攻撃が──

 だが、その時。

 予期せぬ方向から伸びてきた肉樹園の枝が、左の手首にべったりと張り付いてきた。

 肉同士が融合するような、侵蝕されるような感触。

 気色悪い。

 しかし、なるほど。

 こうやって足止めしながら、レーザーの連射でトドメを刺す戦術か。

 とにかく、いずれにしても。

 捕まるわけにはいかない。

 敢えて意識する間でもなく、体には既にスイッチが入っていた。

 手から噴き出すように燃え上がった黒い炎が、その手首に張り付いていた肉の枝を一瞬で灰に変え、この空間の無機質な風の中へと滑り込ませていった。



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