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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第3章 回帰
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 冷たい沼の底にある遺跡『死の淵』の最奥部。設計者によれば、居住区、或いは控え室と表現されている、玉座の間のさらに奥のエリア。

 再び樹海ルートを抜けて蜻蛉返りすることになったシドは、翌日、その中を忙しくなく歩かされる羽目になっていた。

 当然ながら、それを先導するのは、幻月の名を持つ、可憐なる魔王。


「そこからあそこまで、全部倉庫。だけど、実際に物置として使われているのは4部屋だけで、残りは空部屋。あ、でも、貴方が使ってた部屋と、そのさらに奥のあの部屋だけはベッドが置いてあったの。多分、牢獄が拷問部屋か、それか霊安室として使ってたんだと思うけど」

「……俺は最初、そんな部屋に寝かされてたのか」

「だって、もしあのまま死んでいても、移動させる手間が省けるでしょう?」


 設計図らしき色褪せた紙を持ったアリシアは、こちらを見てウインクする。あらゆる罪を寄せ付けないと言わんばかりの、魅力的で可愛らしい少女の笑み。その笑顔はいつも通りだが、どうやら普段より機嫌がいい。或いは、楽しそうと言ってもいい。祭りの準備に精を出す町娘のような、体を弾ませるようなアクティブな雰囲気を醸し出していた。いつも静かに本を読んでいた印象が強いだけに、意外な一面でもある。

 そんな彼女の勢いに流される形ではあったが、まるで新生活の部屋探しに来た出稼ぎ労働者みたく、居住区の中にどんな部屋があるのか、案内を受けている最中だった。

 思ったよりも、このエリアは広い。

 倉庫群から来た道を戻ると、まずは、あの趣味の偏った主の寝室に辿り着く。しかし、既に中を知っているので、敢えて確認する必要はない。その両隣に倉庫があるようだが、特に見たくもなかったので、開けることはしなかった。

 ただ──


「……本当に、俺にここで寝ろと?」

「ええ。だって、主の部屋なんだから」


 アリシアはあっさり頷いた。正直、物凄く気が進まないのだが、彼女はこちらの反論を聞く前に、機敏に言葉を付け足す。


「とりあえず、その話は後回し。今はとにかく、ここの現状を知って貰うのが先決だから」


 そう言われると、駄々をこねるのもなんなので、従う以外にない。

 さらに、その先には、来賓用という名目の客間が並んでいた。全部で6部屋あるという話だ。彼女はそのうちのひとつを示して、澄ました顔で微笑む。


「ちなみに、ここが私の部屋だけど、開けるときは覚悟してね」

「……開けたらギロチンが降ってくるとかじゃないだろうな」

「さあ、どうかしら。でも、貴方の寝室もそうだけど、ここにも鍵がついてないの。だから、もし万が一、間違えて開けてしまったら……」

「……何だよ?」


 彼女はにっこり微笑むだけだった。しかし、得体の知れない何かを感じたので、なるべく気をつけようとこっそり誓う。

 その先に長い空白地帯があり、次に見えた扉が、玉座の間に続く大扉。その向かいに小さな扉があり、アリシアはそこを開けて中に入った。

 続けて中に入ると、そこには意外な光景が広がっていた。

 簡単に言うなら、モニタールーム。

 今は起動されていないが、広い部屋の奥一面に真っ黒なディスプレイがいくつも並んでいる。それ以外には、背もたれの丸い銀色の椅子があるだけで、殺風景と言えば殺風景な部屋だ。

 故郷の田舎にはこんな物はなかったが、魔性金属文明を紹介する類のものなら、割と子供向けの教養本にも、この手の写真が載っている。もちろん、独学で勉強していたシドも、その写真を見たことがあった。


「監視室か」

「ええ」


 こちらの呟きに、部屋の端に寄っていたアリシアが振り返り、軽く微笑んだ。

 監視室とは、その名の通り、施設内部を監視する為の部屋。そのほとんどが遺跡の中にあり、すなわち、これもまた魔性金属を応用した、魔族達のテクノロジーだ。しかし、原理は既に解明されていて、都会では似たような部屋が再現されていることも多いと聞く。

 ただ、やはり実際を見ると、なかなか感動的だ。


「これ、まだ動くのか?」

「その話はちょっと後回し」


 そう言って口元を上げたアリシアは、さっさと部屋から出て行く。あまりの呆気なさに戸惑ったが、黙ってその後に続くと、長い通路の先にあった扉の中に入っていった。

 次もまた、別世界のような部屋だ。

 木材で造形された、温もりのある空間。柱はもちろん、階段も梯子も、これでもかというくらいある本棚の全ても木製。そして、その中には、ちょっとした都会の蔵書館に匹敵しそうなほどの書物が収められていた。

 要するに書庫、或いは、蔵書室と言ったところか。

 思いもよらぬ温かみのある開放的な空間に、思わず溜息を吐いてから、アリシアを見る。


「いつも読んでる本、ここから持ってきてたんだな」

「ええ」


 彼女が本棚を眺めながら頷くと、その長い黄金の髪がしっとりと揺れた。この文化的な場所によく似合った淑やかな仕草で、少し鼓動が高鳴る。よく考えてみれば、今までは殺伐とした場所ばかりで見ていたわけで、こういった穏やかで平和的な空間にいる彼女の横顔は、まるで絵画の一場面のような、見る者の息を止める、ある種の雰囲気を醸し出しているように見える。

 彼女はそれからも、何か物思いに耽るように、或いは、ここの空気に体を浸透させるように、静かにその場所に佇んでいた。

 その綺麗な横顔を時折眺め、こちらも平穏な空気をしばし堪能してから、やがてどちらともなく歩きだし、ふたりはその書庫を後にした。

 次もまた、分かりやすい部屋だ。

 ガラス製のチューブが沢山並んでいて、中に色とりどりの粘体が詰まっている。一見止まっているようにも見えるが、よく見ると、僅かな流動を感じ取れる。すなわち、これらは魔物。変わり種が多いとされる【異形種】の中でも対処し易く、むしろ秘薬の材料として飼育されることが多い、魔物らしからぬ魔物。色によって『朱粘体(レッド・ジェム)』『灰粘体(グレイ・ジェム)』と区別されるが、総じてジェム系呼ばれる魔物達だ。

 つまり、ここは、秘薬の調合室のようだ。


「ここで作ってたわけだな」


 色とりどりのガラス管を眺めながら、感心の溜息と共に呟く。いろいろ省略された言葉だが、毎日秘薬を用意してくれている彼女には、もちろん通じただろう。こういう施設もまた、写真では見たことがあるが、実際に見るとやはり凄い。

 ところが、こちらを振り向いた彼女は、真面目な顔であっさり否定した。


「いえ」

「へ?」

「あれ、私が作ったんじゃないの。元からあった在庫品」


 彼女は簡単に言ったが、結構、衝撃の事実だった。


「……てことは、もしかして、自分では作れない?」

「まあね。一応、知識だけはあるから、やってみればできるとは思うけれど」


 そんな簡単なものじゃないとは思ったが、それは口にしなかった。それよりももっと大事なことがあったからだ。


「……じゃあ、あれか。ここの在庫が切れた瞬間、俺は餓死決定?」


 やはり表情ひとつ変えないアリシアは、嘘みたいにあっさりと、コクンと頷く。


「そうかもね」

「そうかもね、じゃないだろ」

「あ、でも、あと3000回分くらいあるから」


 それを早く言えと、咄嗟に叫びそうになる。

 ただ、落ち着いてからよく考えてみれば、魔王である彼女にとって、その辺りの危機感に馴染みが薄いのかもしれない。彼女は自身に秘薬を打っていない。飲まず食わずでも基本的に死ぬことはないと、いつだったかあっさり教えてくれたことがあった。

 そして、彼女の言葉通り、その調合室の横には、専用の倉庫が設けられていた。これまた、どこかの酒蔵のような物凄いスペースがあって、秘薬の完成品はもちろん、魔物や生物から取り出した素材が、木箱の中に綺麗に分類されていた。一番奥には冷凍室まであって、どういう原理かは謎だが、真水を精製する装置も設置されていた。本当に、規模だけは一人前以上だ。

 そんな洞窟並の冷凍室を眺めてから、ふたりは通路に戻る。調合室の向かいにはシャワー室が並んでいるが、使ったことがあるので、中のことはだいたい分かっている。洗濯機のある脱衣所と、狭い浴室があるだけの簡素な部屋。ただし、洗濯機なんて物があるのは都会だけなので、田舎育ちのシドにとっては、それだけで十分豪華だが。

 その一帯には、他にも多くの部屋が並んでいる。しかし、アリシアはそれ全部を、「まあ、細々とした部屋ね」の一言で片付けてしまった。そういえば、彼女が使っているシャワー室もあるはずだが、どの扉なのかは分からない。いや、分からないからといって、特に残念なわけでもない。

 とりあえず、居住区の案内は、これでひとまず完了したらしい。


「さて、じゃあ、次は、回廊ルートに行きましょう」

「回廊ルート?」


 息を吐きながら腰に手を当てたアリシアに、思わず尋ねた。こちらを見上げた彼女は、銀の瞳を2回瞬かせてから、思い出したように微笑んだ。


「そういえば、後で説明するって約束だったのよね。でも、それは歩きながら説明するから。とりあえず、行きましょうか。シド『様』?」


 そう。

 結局のところ、それが一番説明して欲しい部分だ。

 どういうわけか、たまに様付けされるようになった現状。

 それと。

 俺がここの主になるってのは、どういう意味だろうか。


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