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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第2章 始動
16/51

6


「で?」


 極地並の凍てつくような視線が背後から浴びせられて、思わず振り返る。

 南国のジャングルのような、大きくけばけばしい色の花が咲き乱れた部屋を背景に、いつになくむくれた表情のアリシアが、腕組みしてこちらをじっと睨んでいた。

 ただ、まあ、それも当然と言えば、当然。

 このやりとりが、もう、20回以上繰り返されていた。


「だから、悪かったって」


 両腕を広げて謝ると、彼女は不機嫌な表情のまま、こちらに数歩近付く。もちろん、怒っているのはよく分かる。だけど、正直言って、あまり怖くなかった。とんでもなく綺麗な女の子が駄々をこねているようにしか見えない。顔立ちが整いすぎているだけに、逆に怒った方が、人間味が増して可愛らしく見える。思わず頭を撫でてやりたくなるほどに。もっとも、彼女にしてみれば、不本意だろうけれど。

 そんな観察はさておき、無言でこちらを見上げるアリシアに、これで何度目か分からない弁解をした。


「だけど、仕方ないだろ? いきなり死にかけて気絶してたわけだし。その時点で、時間の感覚なんてなかったんだから」

「で、それをいいことに、貴方は3時間以上、私をほったらかしにして、魔物達と遊んでたわけよね?」

「いや、まあ……、そう言えなくもないけどな」

「で、その間、『あ、アリシアが待ってるかもしれないし、一言くらい声かけておくか』とか、一度も思わなかったわけよね?」

「……すみません」


 何だか、初デートの待ち合わせに寝坊して言い訳させられている男みたいな心境だ。

 ただ、一応こちらにも言い分がある。

 まず、危険を承知の上だったとはいえ、こちらは紛いなりにも生死の境をさまよっていたという点。デートに例えるなら、待ち合わせ場所に向かう途中で事故に遭ったという感じか。ただ、それならそれで、無事だったなら連絡のひとつも入れんかいという彼女の主張は、果てしなく正しい。

 次に、彼女が3時間も待ってくれているとは思わなかった点。そんなに長時間経っていれば、向こうからこちらに確認しに来てくれるだろうとも思っていた。まあ、これもやっぱり都合のいい理屈なわけで、約束通り待っていた彼女に非はない。

 さらに最後。


「それに、ほら、どこまでやれるか、自分を追い込んでみたくなってな」


 うん。

 超自己中だ。

 言い訳になってないな。


「へえ……」


 アリシアは微笑んだ。どちらかというと、頬をひきつらせたと言った方がいいかもしれない。珍しく、コントロールから脱線しそうな、危うい表情だ。

 さすがに、その表情はなかなか凄みが出ていた。

 反射的に両手を挙げて、彼女とは別の意味で頬をひきつらせる。


「ま、まあ……、何ていうか、せっかくアリシアに案内して貰ったわけだしな。できるだけ、強くなったところを見せてやろうと──」

「貴方、本気で謝る気があるの?」

「あるある! いや、ほんと、ゴメン!」


 両手を合わせて頭を下げると、しばらく睨んでいたアリシアは、息を吐いて視線を逸らした。その横顔を見て、内心、生き返った時よりも激しく安堵した。もっとも、その直後に冷たい銀の視線を横目で浴びせられ、再び背筋が凍ったが。


「もう……、あれだけ待たされたことって、私の長い歴史の中でも、そうそうないことだと思う」


 そう言われると、自分が歴史上希にみるほどの礼儀知らずに聞こえるが、事実なので、言い返す余地はなかった。


「まあ、でも、確かにちょっと無茶かもしれないって思ってたし」


 彼女はそう言いながら、こちらの横を通り抜ける。

 その横顔に、少し驚いた。

 大人びているようで、でも少女のように可憐な、そんな表情。怒っているようにも困っているようにも見える、しかし、それでいて穏やかで癒されていくような、ほっとする不思議な笑み。その慈愛の月が、漆黒のワンピースを夜風のように揺らしながら、流星のように華麗に、しかし天体のように悠然と、自分の隣を流れた。

 そして、すれ違いざまに聞こえたのが。


「貴方が生きていたことを思えば、私の3時間なんて安いものかもね」


 呟くような、そんな台詞だった。

 先へと進む彼女の背中を、しばらく見つめる。

 そして、その意味を噛みしめた。

 俺の生が、彼女の3時間よりは重みがあると、認めてくれた。

 素直に聞けば、そういうことだ。

 表情が少しだけ綻ぶ。

 嬉しい。

 嬉しいのかもしれない。

 いや。

 まあ、いいさ。

 彼女の言葉に一喜一憂する前に、自分が納得できるだけの力をつければいいだけのこと。

 誰に何と言われようが、自分が信じる生き方をすればいいだけのこと。

 それだけだ。

 そう思った瞬間に、アリシアが振り返り、澄ました顔で微笑む。


「行きましょう。樹海ルートはもう問題ないでしょうし」

「ああ」


 すぐに彼女に追い付く。彼女の言うとおり、このルートで最も強大な敵はもはや苦じゃない。つまり、後は大した敵がいないという意味だ。

 そうなれば、さっさと残り2ルートに挑戦するだけのこと。ぼやぼやしていては、人間の一生はあっという間に終わってしまう。特に、体力的なピークはもっと早い。ここで雑魚にかまけている暇などない。

 事実、どんどん上へ進むにつれ、魔物は目に見えて弱くなっていた。5層目はともかく、4層目に至っては、こんなやつらに本当に世の魔狩達は苦戦しているのかと思えるほど、手応えのない相手ばかりだ。

 ただ、それはやはり相性の問題かもしれなかった。自分で進んでみて分かったが、このルートは搦め手の宝庫。毒ガスで麻痺や睡眠を狙う魔物が多く、完全な耐性を持つ自分にとっては、かなり相性がいい。

 通常なら毒は毒でも、神経系は防げるが細菌類は無理とか、吸うのは平気でも、直接刺されると防ぎきれないとか、そういう制約がある場合が多い。そのため、耐性を生かして狩りをする人間は、その土地や遺跡の魔物の傾向を調べて、自分の耐性が完全に生きる場所で戦う。そういう意味では、ここは異常なほど幅広い毒が用意してあるという話なので、思ったほど簡単なルートではないのかもしれない。

 そうこうしているうちに、アリシアに従って緑の蔦の這う螺旋階段を上がると、そこは明らかに今までと違う雰囲気の場所だった。

 研究所風と彼女は言っていたが、要するに、金属できちんと囲われているだけの広間。やたら広いだけの殺風景な部屋だが、見た目だけで言えば、最下層の玉座のさらに奥にあったあの居住区と、全く同じに見える。ただ、部屋の角に丸い電灯がついていて、やや眩しい印象だったが。

 とにもかくにも、3層目まで上ってきたようだ。


「ここが、樹海ルートの本来の入り口というわけ」


 短い階段を上った彼女が、こちらを見下ろしながら微笑む。螺旋階段のある端の部分は、窪地のように一段低くなっていて、ここからは部屋全体が見渡せないが、彼女の落ち着いた様子と、墓場のように静まり返った空気から察すれば、どうも無人のようだ。

 この『死の淵』は、3層目までは既に調べ尽くされているし、4層目以下は敵が強すぎるため、余程の猛者でもないと挑戦しない。そして、そんな余程の猛者がほいほい出てくるわけもなく、また、べらぼうに強いくせに実入りも少ないという噂もあって、今ではほとんど見捨てられた遺跡として有名だ。独学で勉強したシドはその辺りの事情をよく知っていたが、酒場では噂する者もほとんどいなかった。設計者の魔王の思惑とはかけ離れて、なかったことにされているのが現状だ。


「中央に広場があって、そこからほぼ均等に120度ずつの方角に、それぞれの入り口があるの」


 そんなアリシアの説明を受けながら、その部屋の扉を開けて、鉛色の通路を進んだ。最下層と比べると、光源があるため視界は良好だが、瓦礫が多いため歩きにくい。アリシアは大変かもしれないと思い、手を貸そうとしたが、彼女は瞳を大きくした後、微笑んで首を横に振った。


「意外とジェントルなんだ」

「そうか? でも、あんただったら、誰でも手を貸すんじゃないか?」

「そうね。ただ、場所によるかもしれない。貴方も、もう少し綺麗な格好なら、様になったかもね」


 彼女の言うとおり、着ている物は全て泥まみれで酷い有様だ。気が付く度に払い落としたりしたのだが、それでもこの惨状。逆に、同じ道を歩いてきたはずなのに、アリシアの服には塵ひとつない。靴にも泥がついていないように見える。彼女の足下を見てから顔に視線を戻すと、勝ち誇ったように優雅に微笑むアリシアの表情があった。

 そんな話をしているうちに、程なくして開けた場所に出た。アリシアの言っていた広場というのがここらしい。天井が高くドーム型で、壁も滑らかな円形。瓦礫は比較的少なく、電灯もそこそこあるため、ここだけ近代的な雰囲気だった。通路は3つというわけではなく、入ってきたのを含めれば、6方向に延びている。


「こっち」


 アリシアが左奥の通路を示す。そちらが別ルートに続く道らしい。

 腕を背中で組んで楽しげに歩く彼女に従いながら、今更な質問をしてみた。


「そっちはどのルートなんだ?」


 彼女は不意に立ち止まると、スカートを翻しながら振り返り、やや上目遣いで悪戯っぽく微笑みかける。高貴なお嬢様に気を許して貰えたような、不思議な親近感があった。


「どちらだと思う?」

「……あんたは知ってるんだよな?」

「ええ、もちろん。だけど、当ててみて」


 どんな気紛れなんだと呆れつつも、機嫌が良さそうな彼女の顔を見ていると、水を差すのも悪い。ついさっきまで、あれだけご機嫌斜めだったのに、もの凄い変わり身の早さ。とんでもない気紛れ魔王様だ。

 でも、悪い気はしない。

 どこの姫君にも決して劣らない、彼女の無垢な笑顔を眺めてから、簡単に答えた。


「回廊」

「どうして?」

「さっき、散々樹海の中を歩いたからな。その上さらに鍾乳洞ってのは、気が進まないんじゃないかと思ってな」

「なるほど。悪くない推理ね」


 彼女は満足げに頷くが、その直後に、瞳だけが挑戦的な形に変化していた。その推理には穴があるとでも言わんばかりに。

 だが。

 その彼女の答えを聞くよりも先に。

 異様な気配に気付く。

 両手を後ろに組み、リラックスした姿勢でこちらを見つめるアリシアの、その背後の床。

 何か。

 何か、黄色い蛇のようなモノが。

 音もなく這っている。

 だが、彼女に指摘するよりも早く。

 両サイドの通路から、突然人の気配が飛び出して来るのを感じた。

 衝撃。

 動揺。

 まさか、人がいた?

 こんな場所に?

 いや。

 よく考えればあり得なくはない。

 そして。

 こんな遺跡の中にいるということは、つまり、こいつらは──

 アリシアの銀の瞳が、戸惑いに揺れるのが見える。


「貰ったゼィィィ!」


 その時、ロック歌手のような、妙に語尾の長い、叫ぶような男の声が広間に響く。

 そして、ほぼ同時に右から飛んできた金属の球が床に落ちるなり、白い煙が物凄い勢いで吹き出し、あっという間に広間を埋め尽くした。

 鉛色の床も、白い電灯も、さらに、可憐な幻月の少女の姿も、瞬く間に覆い隠されていった。


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