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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第2章 始動
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5


 ああ、くそ。

 最悪だ。

 最悪の目覚めだ。

 細かい理由を挙げればキリがないが、大きく分ければ3つ。

 まず、さっきまで見た悪夢の内容。特にラストが最悪だった。知らない男の腕の中で、甘美に震えるアリシアの表情。一応、シドも男なので、そういった夢を見たことがないと言えば嘘になるが、今回はその中でも最高に気分が悪い。アリシアが他の男に抱かれるのが嫌だったわけじゃない。そんな夢を見てしまった自分に、果てしなく腹が立った。

 さらに、倒れ伏した自分の首に巻き付き、押さえつけるように圧迫する魔物の根。巻き付いているのはそこだけじゃなく、頭にも腰にも、腕にも脚にも、ほぼ全身を完全に拘束され、地中に引きずり込むように圧迫され続けている。体の半分はほぼ、既に地中にめり込んでしまっているようだ。口の中に土やら虫やらが入り込んでくるし、気道は圧迫されるしで息苦しいが、少し寝たのがよかったのか、思考がクリアなのが救いだ。

 そして、最後。

 こんな状況になるまで悠長に寝ていた、自分の不甲斐なさが、腹立たしいにも程がある。

 馬鹿か。

 馬鹿か、俺は。

 だが、全くの無駄というわけでもない。

 悔しい話だが、夢の中でアリシアが言っていたことは正しい。そもそも夢というものは、本人の潜在意識が見せるものだとも聞く。つまり、無意識に自覚していたことなのだろう。尚更、気付かないふりをしていた自分の愚かさに呆れるが、しかし、反省は後だ。

 俺は。

 俺は、まだ全然、強くなんかない。

 雑魚。

 雑魚だ。

 経験が足りない素人だから、当たり前だ。

 なのに。

 自惚れていた。

 俺なら、彼女を手に入れられる。

 向こうもそう期待しているからこそ、やれるはずだと。

 そして、そう言いながら。

 強くなれることが既に決まったように考えていた。

 強くなれる根拠を、彼女に求めていた。

 彼女にもたれ掛かって、自分を真摯に見つめることをしなかった。

 だけど。

 それは、違う。

 違うだろ。

 違うに決まってる。

 そもそも、強いから、それが何だ。

 俺は、何か欲しいから、何か手に入れたいから、強くなりたかったのか。

 そうじゃない。

 それは、馬鹿な人間の発想。

 金とか名誉とか、女とか宝石とか。

 そういう物を奪い取る為に、自分達だけが怠惰に生きたいから、強くなろうとするような、そんな奴らが考えること。

 でも。

 俺は違う。

 俺は、それが嫌だ。

 そんな人間が、嫌だ。

 だから。

 だから、俺は──

 俺は。

 俺らしく、生きたい。

 そう。

 それだけだ。

 今も。

 これからも。

 さあ。

 分かったら、後は実践。

 俺は、生きたい。

 だから。

 今も、生きるだけだ。


「──退けよ」


 まるで死神のように、冷淡に呟く。

 ただ、全身を這いずる虫達も、地に引きずり込もうとする木の根も、動きを止めない。

 まあ、当たり前か。

 そもそも言葉が通じない。

 それに。

 向こうも、そうやって生きているんだからな。

 それがここのルール。

 弱肉強食ってやつか。

 だが。

 こっちだって、生きてんだ。

 殺す。

 殺してでも、殲滅してでも、止める。

 その覚悟を決めた瞬間、思い出したように、喉が血を吐き出したが、目の前の土を汚すその臭い液体を眺めながらも、思考は淀みなく動いた。

 全身を刺すような痛みは続いている。

 魔性金属の拒絶反応。

 だが、それはつまり、まだ励起されているということでもあり、毒に対する抗体としての役割を果たしている証拠でもある。

 そうだ。

 いける。

 まだ、大丈夫。

 生きているうちは、大丈夫だ。

 あとは、そう──

 この根の拘束を、どうやって抜けるか。

 恐らく、力では勝てない。こちらは全身を刺す痛みのハンデがあるし、そもそも【樹魔種】は体力や腕力に優れる場合が多い。同時に防御にも優れるため、その血統を持つ人間は防衛役や囮役を担うことが大半だと、戦術理論を読んだことがある。敵の攻撃を引きつけても致命傷を負いにくいし、魔物に押し負けない力強さを持つからだ。

 つまり、一度拘束されると、抜け出すのは至難の業。

 どうする。

 どうする。

 考えろ。

 考えるしかない。

 強かろうが弱かろうが、金持ちでも貧乏人でも、泣いて喚いても達観して諦めても、その場その場で、随時適切な対処ができなければ、そいつは死ぬ。

 そうだ。

 この厳格さ。

 この無慈悲さが。

 生きるってことだ。

 それが、生きてるって意味。

 あ。

 そうだ。


「そうか……」


 ひとつだけ、この状況を打開する方法があることに気付く。

 彼女の言葉。


『貴方の炎に、倒せないものはない』


 そうだ。

 燃やせ。

 俺の血を。

 あの暗い炎なら、周りの奴ら全て、燃やせるはず。

 だが──

 問題は、これ以上励起させて、俺の肉体と精神が保つのかということだ。

 痛みで発狂する。

 或いは、その前に心臓が破裂する。

 十分あり得る。

 だけど。

 思わず、口元が綻んだ。

 いい。

 いいじゃないか。

 上等だ。

 むしろ、そのリスクが心地いい。

 俺は怠けた。

 死を前にして、負けることを恐れ、ただ怯えて倒れ伏していた。

 今、その清算をしている。

 俺が怠けた代償を払っている。

 そう。

 そうだ。

 俺は弱い。

 それは。

 今まで俺が怠けていたから。

 人に取り入られることばかり気にして、逃げ回って、強くなろうとしなかったから。

 だから、弱い。

 当たり前だ。

 当たり前だ。

 だからこそ、今更強くなろうと足掻いて、こんな惨めな思いをしている。

 でも。

 だからいい。

 惨めだからこそ、それがいい。

 あらゆる行いが自分に返ってくるからこそ、生きているという充実がある。

 自分で生きていると、何よりも確かな実感を与えてくれる。

 俺は生きている。

 これが。

 この苦痛が。

 この無情が。

 生きているということか。

 そうか。

 そうだ。


「ハハ──」


 笑った。

 泥の味を噛みしめながら、笑った。

 嬉しい。

 楽しい。

 生きている。

 戦っている。

 強くなろうとしている。

 自分の手で。

 自分の命を懸けて。

 自分の為に。

 それが嬉しい。

 生きる。

 生きるって。

 こんなにも。

 こんなにも充実したものなのか──

 そして。

 その時。

 何かが吹っ切れる音がした。


「へ──?」


 視界の全てが一転して黒く染まる。

 夜?

 いや。

 黒が揺れている。

 違う。

 これは。

 あの時の。

 黒炎。

 しかも。

 全身から溢れ出すような、凄まじい量だった。


「そうか──」


 不意に理解する。

 そして、のっそりと立ち上がる。

 既に、体を拘束していた根は灰に変わっていて、這い回っていた虫は塵と消えていた。

 それでも。

 全身から漲る黒炎の勢いは、全く衰えない。

 まるで自分が炎そのものになったよう。

 それでいて、その炎に守られているような、穏やかな熱気。

 まずは両手を呆然と眺め、腰の辺りを見下ろす。その全ての場所に、黒い炎が水流のように迸っていた。

 凄い。

 凄い量だ。

 それでいて、全く疲労しない。

 全身の血中を痛みが暴れ回るが、しかし、それも全く気にならないほどの、不思議な充実感があった。

 そう。

 そうだ。

 そういうことか。

 この炎を最も効率よく起動させるキー。

 自分の血潮を最も勢いよく燃やす鍵。

 それは。

 生きること。

 この感動。

 躍動。

 充実感。

 それらがもたらす、疲労や苦痛を完全に忘れさせるほどの、圧倒的な歓喜、情動。長距離ランナーも、疲労があるラインを超えると、あらゆる苦痛から解放されたような境地に至るとされる。体が軽くなり、どこまでも走れるような希望が満ちる。恐らく、それと似た状態。

 なるほど。

 なるほどな。

 その答えは、自分の中にピタリとハマるものがあった。

 そういう能力なら、心から好きになれる。

 口元を歪めながら、しばらくその黒炎を眺めていたが、不意に手近な大木に近付くと、その幹に燃えたままの右手を押し付ける。

 すると、炎が触れた場所が、見る見る黒く変色して、灰に変わっていく。ただ燃えているというよりも、朽ちていくといった感じ。それに、炎が燃え移らない。それは、その魔物が炎に耐性を持つせいかもしれないが、どうも、普通の炎とは性質が違うようだ。

 そう。

 そうだ。

 喜んで遊んでいる場合じゃない。

 それでは、ただの子供だ。

 まずは、この炎を使いこなせるようにならないと。

 そして、自分の体にどの程度の負荷がかかるものか、確かめておくのがいい。

 幸い、多種多様な毒ガスに満ちたここなら、負荷はかけ放題。戦う相手にも事欠かない。いけそうなら、この樹海全てを壊滅させられるか、試してみるのもいい。

 とにかく、鍛えるのみ。

 自分の肉と血を、できるだけ追い込んでみるだけ。

 俺はまた笑った。

 その笑顔が、たとえ人間からは狂気の表情にしか見えない邪悪なものだったとしても、それを敢えて隠すような動機は、どこにも見当たらなかった。

 これだ。

 俺が求めていたのは、これだ。

 今はただ、己の生の感動に、身を委ねるだけだった。


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