表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第2章 始動
14/51

NIGHTMARE~死樹恋華~

 幻月のアリステシアは目を閉じていた。比較的綺麗なはずの、金属の壁に背中を預け、ただ腕組みをして待っている。魔物の蟲の、カタカタという高い鳴き声が時折聞こえるが、それ以外は静かなものだった。

 そう。

 本当に静か。

 静かすぎる。

 彼との約束から、もう1時間は経つ。いくらゆっくり歩いていても、さすがに着いているのが普通の時間。つまり、何らかの事情で歩けなくなっている可能性が高い。その何らかの事情というものについて、いくつか心当たりがあったものの、わざわざ確かめる気にはなれなかった。

 本当なら、こうやって待っているのも、面倒なくらい。

 ただ。

 一応、約束だから。

 自分の言葉には、責任を持たないといけない。

 ただ。

 それだけ。

 もしそのポリシーがなかったら、私は待っただろうか。

 いや。

 考える間でもない。

 そんなわけがない。

 そんな、時間の無駄に付き合うわけがない。

 目を閉じたまま、自分の胸にそっと手を当てた。

 ここも、静か。

 静かだ。

 落ち着いている。

 最初の──

 最初、あの沼で彼を見た時の、あの高鳴りは、もうどこにもなかった。

 そう。

 消えた。

 消えてしまった。

 少し強い力を手にしただけで、多少気があるふりをして見せただけで、あんなに傾いてしまうなんて。

 全ては私の為。

 私の。

 私の。

 ただ、私に認められたいだけ。

 そして、あわよくば、私に触れられたら──

 そんな矮小な望みを、大層な表現でシールドしてしているだけ。

 彼は。

 あの時の彼は、もう。

 どこにもいない。

 思わず、溜息。

 きっと。

 彼はもう死んでいる。

 いえ。

 たとえ生きてここまで来たとしても、私はどうするのがいいのかしら。

 また微笑んであげるの?

 馬鹿なお芝居に付き合ってあげるの?

 いえ。

 そうね。

 いっそのこと、殺してあげた方が、彼の為かもしれない。

 そして、どうせ自分の手を汚すことになるなら。

 今のうちに、消えておいてあげましょう。

 死ぬ思いをして。

 死に物狂いでここに辿り着いて。

 なのに。

 待ち合わせの場所に、私がいない。

 その絶望で。

 殺してあげる。

 その苦痛が。

 私からの、最後の餞別。


「──さようなら」


 目を閉じたまま、誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。敢えてそれ以上の労力をかけようとは、どうしても思えなかった。

 ああ。

 でも。

 ちょっと残念。

 せっかく、うまくいくかもしれないと思ったのに。

 あの特別な血統に加え、ここで経験を積めば。

 あいつの。

 あの史上最強と豪語する、自信家の魔王のお眼鏡に適うくらいには、強くなれたかもしれないのに。

 でも。

 やっぱり、所詮、人間は人間ということかしら。

 そして。

 気持ちを切り替え、歩き出そうとした、その時。


「楽しそうだな」


 衝撃。

 思わず目を開く。

 びっくり。

 びっくりして、声が出なかった。

 そう。

 700年ぶり。

 こんなに驚いたのも、700年ぶりだ。

 樹海とは反対側の、細い通路の奥の三叉路に視線を向ける。

 そこに。

 彼が立っていた。


「あら、お久しぶり」


 壁にもたれたまま、微笑みかける。でも、いつになく顔が強ばっているのが分かった。この感覚も、本当に久しぶり。

 あの男が着ていたのと同じ外套。同じ服装。

 でも、精悍で逞しい体つき、そして何より、纏っている風格が、段違い。

 だけど。

 彼は、あの頃にはなかった、大人っぽい優しい笑みを、こちらに返した。

 眠っていた心臓が、大きく鼓動を打つのを感じる。

 あら。

 へえ……

 また少し、びっくりする。

 意外だ。

 本当に意外だ。

 さすがに、700年も経つと、誰でも変わるみたい。

 あの頃は、あんなに子供だった。腹立たしくもあったけれど、それが彼の代え難い魅力だったのも確か。

 でも。

 こんな彼も、なかなか素敵だ。

 彼はゆっくり近づいてくる。無言のまま、その歩き姿を目で追っていると、彼は樹海の奥の方を向いたまま、こちらの正面で立ち止まった。


「誰か待っているのか?」


 彼はこちらを見ない。余裕のある大人の仕草。それでいて、男らしさを感じるワイルドな横顔。

 わざと目を伏せ、諦めたように答える。


「まあね。でも、フられちゃったみたい」

「何?」


 もの凄い勢いでこちらを向く魔王。

 子供みたいな反応。

 その辺りは、変わってないんだ。

 その仕草が可笑しくて、下を向いたまま、少し吹き出してしまった。


「一応断っておくけど、彼氏じゃないからね」

「じゃあ、何だ?」

「そうね。端的に表現するなら──」


 悪戯っぽい視線を意識して、彼の顔を見上げる。

 日に焼けた肌と黒い鋭利な視線。

 久しぶりだからなのか、なかなか新鮮で、そして。

 素直に言えば、格好良かった。


「──ちょっと気になる人間を拾ったから、少し世話して遊んでいただけ」


 彼の黒い瞳をじっと見つめる。

 それは、半分くらい嘘だった。

 本当は──

 いえ。

 やめておこう。

 残り半分が、実は、今目の前にいる魔王の為だと知ったら。

 きっと、こいつ。

 調子に乗るでしょうし。

 だけど。


「──幻月」


 700年ぶりの魔王、灰燼のクロイツはそう言うと、いつの間にか身につけていた余裕を口元に浮かべながら、悠然と近づいてくる。そのまま、逃がさないと言わんばかりに、頭の両側の壁に手を着いて顔を近づけてきた。

 瞳は真剣。

 綺麗で、そして真っ直ぐ。

 自分の胸を熱く刺激するのが分かる。

 そう。

 そうか。

 やっぱり、そうだった。

 私、こいつのこと、きっと嫌いじゃなかった。


「今からでも、俺のモノになってみないか?」


 まさに目と鼻の先で、彼が囁く。

 ソフトでクール

 そして優しい発声。

 本当に。

 本当に成長したんだ。

 彼の体温を感じながら、言い訳を考える。

 だけど。

 すぐに、そんな理由が見当たらないことに気付いた。


「──そうね」 


 諦めたように目を伏せる。

 そして、すぐに彼の顔を熱っぽい視線で見上げ、その精悍な頬を、右手で優しく撫でた。


「無断でいろいろ使わせて貰ったわけだし。その使用料分くらいは、付き合ってあげる」


 彼は小さく吹き出す。


「そんなこと、気にする女じゃないだろ?」

「あら。私だって、変わったかもしれないでしょう?」

「そうか。それもそうだ。だが──」


 彼は、頬を撫でていたこちらの腕をぎゅっと掴む。

 強く。

 力強く。

 まるで、それだけで、こちらの全てを捕まえられると言わんばかりの、力強さ。

 へえ。

 思わず感心。

 そして、微笑んだ。

 彼も、同じように笑った。

 とても心地いい。

 こちらの全てを見透かしたような、お互いを知り尽くした幼なじみのような、絶妙のタイミング。

 その彼が、だけど、あの頃にはなかった大人の彼が、囁くように告げる。


「──これから確かめてみれば、はっきりすることだ」

「……ええ」


 互いの体がさらに近付く。

 目を閉じる。

 そして。

 唇が触れる。

 さらに、もう一度。

 今度は、強く。

 呼吸までも奪われるように。

 熱い。

 唇が。

 口の中が。

 そして、全身が。

 まるで。

 冷たい月から、燃え盛る太陽に変えられたように。

 彼の。

 彼の色に、私は──

 あまりの熱気に目を開けると、同じようにこちらを見ていた彼の目元が弛み、さらに掴んだ腕を引き寄せた。

 彼の逞しい胸の中に身を預ける。

 その場所が、自分の想像以上に甘美で心地よく、それでいて、燃えさかる業火のように熱くもあって、こちらの思考を優しく、そして激しく溶かしていく。

 そう。

 もう、逃げられない。

 私は。

 捕まったんだ。

 彼の檻に。

 拘束されている。

 彼の腕に。

 私は。

 もう。

 もう、ずっと──

 永遠に。

 永遠に、彼のモノ。

 そうだ。

 私はずっと、この場所を探していたのかもしれない。

 互いの熱を逃がすように、預けるように、或いは共有するように、ふたりの魔王は、いつまでもその場所で身を重ねていた。

 そして、灰燼の魔王が作る黒い檻の中で、可憐な幻月の少女は、その絶対なる主の男だけに、未だかつて誰にも見せたことのない、淫靡でとろけるような悦びの表情を捧げ続けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ