表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第2章 始動
13/51

4



 傷んだウイスキーが充満したような、異様な臭気を放つ霧。

 ノコギリのような巨大な葉から滴り落ちる、赤いジャムのようなどろりとした液体。

 そして、ブーツが地面に着く度にまとわりついてくる、毒々しい色合いの小さな虫の群。

 まさに密林と言わんばかりの光景の中を、一歩一歩慎重な足取りで進んでいく。高い湿度のせいか、思いの外蒸し暑い。たまに見かける球状の発光植物のお陰で、明かりは十分だが、視界は決して良好とは言えない。周りは高い太い木と、天井から垂れ下がる植物でいっぱいだからだ。真っ直ぐ進めばいいとは言われたが、今自分が本当に真っ直ぐ進めているのか、保証はない。

 ただ──

 それ以上の深刻な問題が、はっきりとした形を見せ始めていた。

 玉のような汗が顎から滴り落ちる。

 息は既に荒い。

 そして。


「くそ……」


 遂に足が止まり、地面に片膝を着いた。

 その膝から虫達が体に上り始めるが、正直、気にしていられないほど辛い。

 おかしい。

 これは明らかにおかしい。

 毒は。

 毒は効かないはずだが。

 しかし、明らかに体に異常が起きていた。

 呼吸が乱れる。

 動悸が止まらない。

 だが、それ以上に深刻なのは──


「あ、ぐぁ……」


 暴れ出す胸を押さえる。

 そう。

 心臓が。

 痛い。

 痛い。

 痛い──?

 あ。

 ああ。

 そうか。

 ようやく、自分の身に起きていることが分かった。

 心臓。

 つまり、血。

 血か。

 その中を流れる魔性金属

 励起。

 拒絶反応。

 そうか。

 そういうことか。

 毒ひとつひとつは大したことがなくても、それが何十種も一度に襲えば、抵抗するのに必要な励起も高いものが要求される。

 あの、アリシアの魔眼が一撃必殺だとしたら。

 この毒の嵐は、じわじわと確実に蝕む緩慢な死。

 つまり。

 これからさらに、酷くなる。

 どんどん。

 どんどん。

 俺が死ぬまで。

 死ぬまで、ずっと、こうやって──

 まさに。

 最凶の搦め手か。


「──なるほどな」


 アリシアが妙に不安そうだった理由が分かった。

 確かに、毒自体は大した脅威じゃない。

 一番の脅威は、自分の血の抗体。

 ああ、そうか──

 要は、アレルギーみたいなもんだ。

 ただし、あまりに激しいとアナフィラキシーと呼ばれる過剰反応となり、ショックで死に至ることもある。

 そうか。

 そういうことか。

 このままだと、俺は──

 そこで、酷い咳が出る。

 今まで経験したことのないような、汚い音。

 いや。

 そういえば、あの時経験したような気がする。

 屍の沼。

 あそこで死にかけた時も、確か──

 その時。

 体全体が跳ねるような、強烈な鼓動が心臓を打ち。

 直後に嘔吐した。

 いや。

 吐き出したものを見ると、それは赤い。

 吐血だ。


「──くそ」


 自分を奮起させようと思ったその声が、病人みたいに貧弱で、自分で衝撃を受ける。

 止まらない動悸。

 暴れ出すような鼓動。

 全身の神経が裂けるような痛み。

 まずい。

 まずい。

 いや。

 馬鹿か。

 馬鹿か、俺は。

 俺は何をしている。

 こんなところで休んでいる場合じゃない。むしろ、休めば休むほど、ここにいればいるほど、毒に抵抗する為に血が暴れる。死ぬ確率は高まっていく。

 なのに。

 まるで石のように、足が動かない。

 何故だ。

 どうして──

 だが。

 ふと自分の足を確認してみる。視界が白く曇っているような気がしたが、それでも気付けた。

 いつの間にか、地中から突き出た太い根が、しっかりと絡み付いていた。

 馬鹿な。

 いつの間に。

 驚く。

 動揺する。

 だが。

 そんな場合じゃない。

 落ち着け。

 そして、振り解け。

 攻撃しろ。

 でないと。

 でないと──

 だが、

 再び吐き気。

 そして。

 赤い血が再び、目の前の根を濡らす。

 咳が止まらない。

 マズい。

 これは、マズい。

 いくら頭で落ち着こうとしても、対照的に体の内部は祭り状態。その騒ぎが暴動に変わるのも時間の問題で、叩きつけるような心臓の鼓動が肺を揺らしている気さえする。

 こんな。

 こんな状態じゃ──

 何も。

 何も考えられない。

 湿気の多い、気持ち悪い環境が。

 節操なく、過剰なまでに吐き出そうとする咳が。

 太鼓のように肋骨の内側を殴り続ける心臓が。

 そして、ヒリヒリとする痛みが熱く燃えるようでいて、しかし、内から冷たい液体が染み渡っていくような、明らかに近づいてくる死の予感が。

 俺の。

 俺の思考を。

 俺の全てを。

 奪う。

 奪う。

 奪う。

 ああ。

 くそ。


「──くそが」


 もう一度、敢えて同じ言葉を吐き出す。

 馬鹿みたいに震えた、情けない声。

 何で。

 何でだ。

 何で俺は、こんなに弱くなった。

 あの時、秘薬で無理矢理血統を変えた時は、確かに耐えられたはず。あの時の痛みは、こんなもんじゃなかった。それを俺は耐え抜いたから、今ここにいるはずなのに。

 なのに。

 何故だ。

 この程度の痛みに屈しようとしているのは、何故だ。

 そうだ。

 何故。

 何故楽な方に、人間達と同じ方向に、逃げようとしているのか。

 死のうとしている。

 死を受け入れようと──

 違う。

 違うだろ。

 俺は。

 俺は、もっと。

 強く。

 強くなりたくて。

 そう。

 彼女と。

 彼女が望む方に、俺は──

 だけど、その時。

 記憶が。

 忘れていた記憶が

 蘇った。

 同時に。

 体から抵抗が消え失せる。

 地面に倒れる。

 そうだ。

 あの時も、こんな風に──

 顔の上を虫が這い回る。しかし、目を閉じるまでもなく、意識は既に飛び始めていた。

 脳裏に映るのは、夢の光景。

 死よりも恐ろしい、あの悪夢の──

 ああ。

 くそ。

 何で。

 何でだ。

 しかし、脳内では無慈悲に、彼女の声が再生される。


『死ぬまで実験動物にしてあげる』


『ありふれた命。大して尊くもない犠牲』


 そして。


『結局、私に構って欲しかっただけ』


 違う。

 違う。

 俺が目指したのは、そうじゃない。

 だけど。

 何で、俺は──

 どうして、抵抗しないのか。

 どうして、反論もできないほど、ここで無様に倒れ伏しているのか。

 どうして、そんなに俺は──

 俺は。

 俺は。

 何でこんなことをして──

 終わりのない螺旋の思考のまま、遂に意識が消えた。

 最後に僅かに感じ取れたのは、屈強な男の腕のような、首に巻き付く異様な圧迫感だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ