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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第2章 始動
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3



 扉を開けると、細長い通路が10メートル程度続き、その奥が広間のように開けているのが見えた。そして、通路は今までと同じ機械的な雰囲気だが、広間の方は一転して、生命の楽園と言わんばかりの樹海に変わっていた。

 人が優に隠れられるほどの、幹の太い立派な木が乱立している。そして、その木から伸びた太い枝が幾重にも折り重なり、赤紫色の天井を形成していた。地面には土が敷かれているのが見えるが、そこからも枝と同じ色の根が張り出していて、地上の大半を占拠している。その枝と根の両方が、鋼鉄で囲われた通路の方にもびっちりと張り出しているため、まさに侵略という表現がぴったりくる印象だ。

 ただ、扉を開けたこちらの脇を抜けて、前にアリシアが進み出た瞬間、その木がただの植物でないことに気付いた。

 まるで蛸や烏賊の触手のように、それらの枝や根の先端がモゾモゾと動き出したからだ。

 しかし、アリシアは動じることなく、その枝の先を優しく撫でるようにしながら、こちらに優雅に振り返った。


「基本的に、魔王は魔物に襲われない」

「そうなのか?」

「ええ。中には襲うように躾られている場合もあるけれど。でも、彼らは本能的に、どちらが上位かということを認識している。そして、その本能には決して逆らわない。ある意味で、従順な性格なのね」

「てことは、そいつらがやたら人間を襲うのは、自分らの方が上だと思ってるからか?」

「当然」


 アリシアはあっさり頷く。何か光源となる植物でも生えているのか、樹海の奥からぼんやりとしたオレンジの光が見えていて、彼女の長い髪を穏やかに照らしていた。その黄金の輝きと華奢な肢体、そして、高級そうな漆黒の衣装は、樹海の背景と明らかにマッチしていないように思えた。だが、しかしよくよく見ると、違和感はそれほどでもない。聖霊のような雰囲気と言えば、その通りかもしれなかった。

 だけど、彼女の言葉は、聖霊のものとは程遠い、ある意味で人類に冷酷なものだった。


「人類だけが、種の摂理というものに反逆している。私を見て、汚してやろう、自分のモノにしてやろうと向かってくるのは、今のところ人間だけだしね」

「……それは、あんたを人間だと勘違いしてるからじゃないか?」

「さあ。それはどうかしら」


 彼女は何かを誘惑するような邪な笑みを見せ、自分の唇をそっと指でなぞる。時折見せる、超越者としての表情。

 滑らかな人形のような顔。

 その無垢な少女の顔が、挑発的に、妖艶に微笑む。

 そして、彼女の右手をズルズルと這う、妖しげな木の枝の動き。

 射抜くような銀の視線。

 その瞳とじっと見つめ合いながら、彼女の言葉の意味を考える。

 彼女を汚してやろう、自分のモノにしてやろうと向かってくるのは、『今のところ』人間だけ。

 そうか。

 そういうことか。

 つまり、俺はまだ──

 人間と似たようなものだと、そういうわけだか。

 なるほど。

 なるほどな。

 なかなか、腹が立った。

 だが、事実でもある。

 その通り。

 確かにその通り。

 そして、そんな当たり前なことをわざわざ言うからには。

 彼女なりに発破をかけてくれたということだろう。

 それが嫌なら、死に物狂いで頑張ってね、と──


「その木の魔物が、ここの最強か?」


 俺は彼女の背後を顎で示しながら尋ねる。それから、不敵に笑って見せた。

 アリシアの返した微笑みは、心なしか、少し嬉しそうに見えた。


「この遺跡は全部で6階層なんだけど、上半分と下半分で構造が違うの。上半分は、簡単に言えば普通の研究所タイプで、単純な地下3階層の構造。広さや部屋数やそこそこだけど、魔物は単発的だし、大した強さもない。今はほとんど制圧されてしまっているみたいね」

「ああ」


 その辺りは自分で調べたり聞き込んだりしたのでよく知っていた。少なくとも、今は大した脅威がないのは間違いない。


「だけど、それとは段違いなのが、下3階層」


 彼女は右手上を蠢く枝を優しく振り解くと、両腕を後ろで組んで、少女のような悪戯っぽい足取りでこちらに数歩近寄った。

 そして、屈託のない妖精みたいな笑顔でこちらに微笑みかける。


「下半分は、大きく分けて3つのルートに分かれている。その3ルートは、さっきの玉座の間に至る円形通路まで合流することはない。つまり、それぞれが完全に独立しているの。ちなみに、名前は、ここが樹海ルートで、他が鍾乳洞ルートと回廊ルート。分かり易いでしょう?」

「なるほどな」


 分かり易いかはともかくとして、納得の返事と共に頷く。それはつまり、わざわざ3ルートに分けた意図が分かったからだ。

 すなわち、樹海ルートに【魔蟲種】と【樹魔種】を配置。

 鍾乳洞ルートに【魔獣種】と【海魔種】を。

 最後の回廊ルートに【異形種】と【造兵種】を。

 魔物にはそれぞれ、最高の実力を発揮できる環境というものがある。その為の環境を、わざわざ遺跡内にこしらえたということらしい。それはそれで、ただ強者を選別する為だけに造られたという、この遺跡の趣旨には合っている。

 ただ──


「……種族をふたつまでに絞れば、ルートを幾つも作らなくてよかったんじゃ?」


 アリシアは諦めたように目を伏せ、肩を竦める。


「だって、所詮はあいつの思い付きだから」

「……だな」

「でしょう?」


 片目を瞑って、僅かに片膝を折るアリシア。お茶目なお嬢様のような上品な仕草だった。

 残念な魔王の思考回路に頭を使っても仕方ないので、彼女のその仕草を見るなり、さっさと思考を現実に戻すことにする。そういう意味では、彼女の可憐なウインクは、最高の清涼剤と言えた。


「結局、そこにいるのは、樹海ルートでは最強。つまり、【樹魔種】で最強の魔物ってわけか」


 奥を見ながら尋ねると、アリシアも体を横に向けてそちらを見た。


「まあね。だけど、恐らく、貴方にとってはそれほど強敵じゃないけれど」

「そうなのか」

「ええ」


 彼女はこちらの顔を子供のように真っ直ぐ見上げて、銀の視線を少しだけ穏やかにした。


「行ってみれば分かるけれど、あそこの最大の脅威は、いわば環境そのもの。考え得る限り最多種の【魔蟲種】の魔物を混生させることで、あの中は常に、異常なまでの猛毒で満ちている。もちろん、ここに棲む魔物達もまた、その毒の影響を受けるけれど、そこは耐性に優れた【樹魔種】の中に隠れることで、擬似的な耐性を得ることができる。他にも詳しい話をすればキリがないけれど、簡単に言えば、特殊攻撃に優れた【魔蟲種】と、それらを防御することに優れた【樹魔種】のコンビネーションというわけ」

「なるほどな」


 軽く頷く。それはつまり、いわゆる共生というやつだろう。天敵から身を守るために、特定の動物や植物が協力し合う関係。自然界では珍しいことじゃない。

 ただ、そこでふと、先の言葉の意味を理解した。


「要するに、毒が完全に効かない俺にとっては、このルートは脅威じゃないってことか?」

「ええ。まあ、そうね」


 アリシアは意外に軽く頷いて、こちらをじっと見据えた。今はもう、可愛らしさを潜めた厳しい視線に変わっていた。


「とにかく、行ってみれば分かる。今更だけど、行くでしょう?」

「本当に今更だな」


 こちらは軽く笑ってやったが、アリシアは何故か、いつもより控えめな笑みだった。意外なリアクションに、思わず目を見開いたほどだ。


「部屋の反対側まで300メートルくらいあるけれど、真っ直ぐ歩けば、ここみたいな細い通路に着くから。私はそこで待ってる。そこまで辿り着いてみせて」

「……ああ」


 多少怪訝に思いつつも、頷いてみせる。

 すると、彼女の代名詞とも言えるような、月のような優しい微笑みを見せて、アリシアは振り返る。

 そして、何の躊躇もなく、落ち着いた足取りで、樹海の中へと進んでいった。

 慣れた様子で太い根を跨ぎ、木々の向こうへと進んでいく。その度に、彼女の周囲の枝がざわざわと揺れるが、特に何事もなく、また、臆した様子もなく、その華奢な背中はすぐに見えなくなった。

 さて。

 次は、俺の番。

 彼女の態度に腑に落ちない点はあるが、しかし、結局は行ってみないと分からない。

 やるさ。

 やってやる。

 それ以外の道はない。

 以前の血統なら、まさに無謀な挑戦。いや、大半の人類にとっては、猛毒が満ちているというだけで命取りだ。

 しかし、今の自分の血統なら、十分に勝算はある。特に、魔物を倒すのではなく、ここを通り抜ければいいだけだ。ここの仕組みもおおよそ教えて貰っている。見方を変えれば、これほどの好条件はなかなかない。

 そう。

 そうだ。

 ここで逃げたら、永遠に逃げるしかない。

 遠ざかるだけ。

 月から。

 彼女から。

 左足を踏み出す。

 前に進む。

 本当は、自分が緊張していることに気付いていた。何せ、事実上初めての実戦。彼女は猛毒が最大の脅威と言ったが、他に何もないとは言っていない。さらに、自分はまだ己の能力を把握しきれていない。そして、アリシアの意味深な態度。不安な要素は多い。

 でも、誰にだって最初はあるし、能力の使い勝手は実戦の中で掴むしかない。

 それに。

 彼女の態度に影響されているようでは、話にならない。

 それでは、月齢を見て一喜一憂する占い師か。

 或いは、母親の憂う顔を見て不安がる子供か。

 駄目だ。

 そんなものでは。

 俺が目指すのは。

 俺の態度ひとつで、月を晴らすことも、陰らせることもできる。

 俺の自信ひとつで、彼女のあらゆる不安を取り除くことができる。

 それくらいでなければ。

 だからこそ、まずはここを、何としても突破してみせる。

 漆黒のブーツが、いよいよ土を踏み始める。その前から既に、地や壁や天井を這う植物の魔物達が、地響きのような異様な動きを見せ始めていた。

 それでも、彼女の後ろ姿と同じように、いや、それ以上に、堂々と進み続ける。

 鬱蒼と茂る樹海に蔓延る魔の群は、まるで獲物がテリトリーに入るのを舌なめずりしながら待ち構えるかのように、ざわざわと騒ぎ始めていた。


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