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魔蝕の血~幻月~  作者: 倉元裕紀
第2章 始動
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2



 玉座の間に至る両開きの大扉もまた、漆黒の鋼材でできていた。その向こう側には、洞穴の入り口にも似た長い階段が続いていて、それを下りきると、やはり無機質な鋼鉄色の通路が続いている。ちょうど、玉座の間を囲うような、内側に曲がる円形の通路のようだ。

 天井はそれなりに高く、また、道幅も広い。アリシアと横に並んでも十分なスペースがある。明かりはないものの、光を反射しやすい場所なのか、その微かな光を受けて、彼女の黄金の髪がなびく度に星空のようにキラキラと瞬いていた。


「人間達は、この遺跡のことを『死の淵(デプス・ダンジョン)』と呼んでいる」


 彼女はそう切り出してから、こちらを横目で見据えた。


「貴方も、この辺りで魔物を狩る修行をしていたのだから、名前くらいは聞いたことがある?」

「ああ」


 実のところ、よく知っている。近くに遺跡については、独学で勉強していたからだ。その中でも、『死の淵』は比較的有名な遺跡で、まだ未踏破なことはよく知られている。

 不意にアリシアは前の空間を無表情で見つめた。


「歴史的な観点から考えて、ここが灰燼のクロイツによって造られた、という人類の考察は正しい。この辺り一帯が彼の領土だったわけだしね。でも、正しいのはそれくらいなもので、人類は多くの点で、勘違いを重ねている。まあ、それが彼の狙いだったと言えば、そうなんだけど」

「狙い?」

「ただ、深謀遠慮と言うよりは、子供の思いつきみたいな感じだけど」


 彼女はそう言って苦笑いした。少し珍しい表情だったかもしれない。ただ、彼女の人形みたいな顔がその仕草をすると、人間味のようなものが感じられ、不思議と親近感が持てる。

 ところが、その次の彼女の言葉に意表を突かれた。


「あいつね、戦うのが好きなの」

「へ?」


 いつの間にかぞっとするような深い笑みを浮かべていた彼女は、しかしこちらが気付いた途端に穏やかな表情に変わり、前を向いた。


「最初はあらゆる獣と戦い、次に、高度な戦術を共有できる人間の軍隊と戦った。でも、それでも彼に傷ひとつつけられない。やがて、魔物はもちろん、優れた魔性血統を持つ人間と戦うようになった。でも、それでも満足できない。その頃のあいつは、明らかに周りが弱すぎるって、いつも不機嫌そうだった。他の魔王は魔王で、面倒臭いからって、相手にしてくれなかったしね」


 私もそうだけど、と言わんばかりに、彼女はこちらに可笑しそうな視線を送った。


「でね、その暇潰しとでも言わんばかりの態度で、私につきまとってくるわけ。いくら温厚な私でも、腹が立つと思わない?」


 温厚かどうかはさておき、こちらも口元だけで笑って見せた。

 そして、気付いた。

 そうか。

 なるほど。

 ひとつの確信を持って、尋ねる。


「何か、そいつに余計なことを吹き込んだな?」

「余計ってわけでもないと思うけれど」


 そう答えながらも、彼女は一瞬だけ、口元に悪の気配を忍ばせる。


「あいつに、ちょっとした童話を教えてあげたの。優しいと思っていた養父が、実は狼で、肥らせて食べる為に、主人公の女の子を育てていたって、そういう話なんだけどね」


 なんとなく、聞いたことのあるような話だ。しかし、詳細は思い出せなかったので、すぐに諦めて、アリシアの顔を見つめる。

 彼女は口元だけ僅かに上げた澄まし顔で、その視線を受け止めていた。


「それで、あんたもそうしてみたらって、そう言ったの。自分で育ててみればいいじゃないってね。そしたらあいつ、『そうか……、それもそうだな』とか言い出して、で、それっきり」

「それっきり?」

「ええ。それから一度も会ってないの。そうね。もう700年くらい前になるかしら」


 それはまた、とんでもないスケールの話だ。700年前と言えば、地上のほとんどが魔族の支配下にあった時代。現代の人間にしてみれば、紙の上の文章でしか実感できないような、大昔の話だ。

 アリシアはそこで前を向くと、視線を少し上げた。その透けるような銀の瞳が、何かを思い出すような、遠い視線を放っているように見える。


「で、ついこの間、この辺りにぶらっと立ち寄った時、そういえば、ここってあいつの土地だったなって思い出したの。あいつ、あれからどうしてたんだろうって、ちょっと気になっちゃってね。私の言葉がきっかけで何か思いついたみたいだし、一応、何があったのかくらいは知っておこうと思って」

「それで、この遺跡を見つけたのか?」

「そう。そして、ここに残された資料を読みながら、中や外を歩き回って調べているうちに、沼に転がっている貴方を見つけたというわけ」


 後は、貴方も知っての通り。

 そんな言葉を銀の視線から感じ取り、頷くと、彼女はその意図を受け止めるように微笑んで、再び前を向いた。


「ここまで聞いて、だいたい分かって貰えたとは思うけれど、要するに、この遺跡の歴史はせいぜい600年程度といったところ。つまり、人間達が噂しているような、魔性血統の誕生に寄与した機密研究施設だとか、魔族の起源に関わる歴史的大発見だとか、そういう、何十億とか何百億もの価値があるような遺産はない。はっきり言ってしまうと、やたら大規模で、やたら魔物が強いだけの、ただの空箱ね」

「……空箱?」

「ええ」


 彼女はあっさり頷く。こちらを見向きもしなかった。

 だけど、こちらは狐に摘まれた気分だ。

 通常、人類が言う遺跡とは、魔族が遺した大規模施設のことを指す。そこは彼らの住居であったり、軍事拠点だったり、或いは、研究所だったりする場合がほとんどで、その多くが、魔族の支配時代に造られたものだ。未だに謎が多い魔族の生態や、魔性金属技術の原理を知る手掛かりとして、各地の魔狩達が調査を進めている。

 そして、遺跡に配置された魔物が強ければ強いほど、その奥に隠されている秘密の重要度も高いというのが、今では通説になっている。

 いや。

 しかし、よくよく考えてみれば、それはただの希望的観測かもしれない。そうだったらいいなとでも思わないと、わざわざそんな危険な場所に行く気になれなかっただけかもしれない。

 そうか。

 そうだろうな。

 人間がやりそうな手だ。

 大して根拠のないことでも、自分に都合がいい理屈ならば、さも真理のように信じることができる。そういう奴らは決まって、その根拠を問われると、「そういうもんだ」としか答えられない。根拠なんてないからだ。確かめようとしたことすらない。

 別に、それ自体はどうでもいいことだが、しかし、傍から見ると馬鹿な話だ。

 何より、この遺跡がいい例だ。

 この辺りでは一際難解な遺跡として有名。確か、2層目か3層目くらいまでは比較的楽で踏破済みだが、4層目以降、魔物が鬼のように強く、奥に進んで帰ってきた者はいないとまで噂されている。それでも、毎年思い出したように、何人かが挑戦して命を散らすのだ。結局、その奥には何もないのに。

 魔物が強いから、その奥に莫大な宝があるという、そんな根拠のない話を信じ込んで。

 滑稽だ。

 本当に、滑稽な話だ。


「でも、唯一、あいつにとってだけは、ここは重要な意味がある」


 いつの間にかこちらを向いていたアリシアの瞳を見つめる。

 やや挑戦的な、不敵で鋭いナイフのような眼光だ。


「要するに、わざと大きな施設を造った。そして、できるだけ強力な障害を配置した。それも、下へ進むにつれ、段々と強くなるように。急に強くなってしまうと、せっかくの挑戦者候補が、あっさり死んでしまうかもしれないから」

「挑戦者候補?」


 咄嗟に尋ねてしまったが、その時には理解していた。

 そうか。

 そういうことか。

 何というか、それは──

 まさに、『魔王』が考えそうなことだ。

 不意にアリシアも微笑んで、小さく頷いた。


「つまり、自分で育てるのが面倒だから、修行の場所だけ造って待つことにしたわけ。この『死の淵』を越えられた人間なら、相当な猛者のはず。自分は、この最深部で待ち構えているだけでいい。そうすれば、そのうち選別された猛者がやってくるだろうってね」


 中々面白いプランかもしれないが、明らかな矛盾点がひとつある。

 この遺跡が造られたのは600年前。

 その当時、人間は魔族の奴隷だった。当たり前だが、今の魔狩のように、勝手に遺跡を荒らし回ることができた人間はいない。いくら待ったところで、挑戦者のひとりも来るわけがない。

 そこでアリシアは呆れたように肩を竦めてみせる。それでも、口元は楽しそうに微笑んでいたが。


「だからね、あいつ、馬鹿なの」

「……へ?」

「本当に、戦うしか取り柄のない奴なのよね。その上、思い込んだら一直線。ここだって、とにかく造ることしか頭になくて、後のことは全く考えてなかったみたい。まあ、結果的に今みたいな時代が来たからよかったものの、そうじゃなかったら、史上最も愚かな構造物ということで、何かの賞でも貰っていたかもね」

「それは、また、何て言うか……」


 前を見ながら頭を抱えた。

 造っただけ?

 無駄になっていたかもしれない?

 正直言って、馬鹿以外の感想が出てこない。全周が数キロメートルにも及ぶとも言われる、こんな馬鹿でかい施設を、そんな一朝一夕の思い込みだけで造るなんて、色んな意味でスケールが桁違いだ。

 だが、さらにもうひとつ、救いのない話があった。


「で、まあ、結局待ちくたびれて、200年くらいで諦めて出て行ったみたいなんだけど」

「……そいつ、阿呆過ぎだろ」

「それに、あいつの置き土産が残っていたしね」


 アリシアはこちらの背中を覗き込む。そこには、さきほど手にしたばかりの漆黒の大鎌が、ベルトも何もないのに張り付いている。しかも、刃を上に向けて。どちらかと言えば、刃が下の方が抜きやすいのだが、何故か勝手にそちらに向いてしまうのだから仕方ない。中央の空洞に眼球はないが、まるでそこから何かが覗いているような、不気味な暗闇ができていた。

 その眼窩をしばらく見つめてから、アリシアはあっさりと告げた。


「それがまだ誰にも盗られず残っていたってことは、多分、ここまで来られた人間がひとりもいないということよね。結局のところ、魔物が強すぎて、誰も突破できないんだと思うけど」


 本当に救いがない。

 馬鹿な徒労の見本みたいな話だった。

 若干頭痛がしてきた気がするが、それをなんとか振り払って、アリシアに尋ねる。


「まあ……、その可哀想な魔王の話は分かった。で、結局のところ、ここは『死の淵』の最深部なんだな?」

「ええ、そう」


 彼女は機敏に微笑んで頷く。彼女の銀の瞳と金の髪が、それぞれ流星のように瞬いた。

 その微笑みを敢えて細目で受け流し、尋ねる。


「つまり、人間はまだ誰も倒せないような強い魔物に、すぐに会えるわけだ」


 最奥部に向かうにつれ、段々強くなるように設定されたここの魔物。ということは、それを逆方向から進めば、最初に会うのが一番強い魔物ということになる。

 上等だ。

 雑魚にかまけているほど暇じゃないのだから。


「そうね」


 にっこり微笑んでくるアリシア。何だか機嫌が良さそうだ。

 こちらも少し微笑む。しかし、思ったよりも緊張しているのが分かって、すぐにそのぎこちない表情を引っ込めた。

 そう。

 そうだ。

 俺はまだ弱い。

 だから、強くなるしかない。

 しかも、目指すところは、まだ誰も見たことがないような境地。魔王すらも従えることができる、圧倒的な高み。

 当たり前だが、生半可なことでは辿り着けない。

 だが。

 それでも、辿り着いてみせる。

 あの場所に。

 今、すぐ隣を歩いている、世界で最も美しい月に。

 そう。

 そうだ。

 必ず。

 必ずこの手に掴んでみせる。

 それが自分の為でもあり、そして何より、彼女の為でもあるのだから──

 その覚悟を改めて胸に刻みつけた頃、緩やかなカーブを描く壁に、やはり漆黒の金属製の、巨大な扉が見えてくる。

 ただ、近づいていくにつれ、模様が若干違うことに気付く。

 その黒光りする滑らかな表面には、木や蔦や蝶といった、どこかのジャングルのような彫刻が描かれていた。


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