第8話 値切られる仕事
朝のうちに、下の通りを見てまいりました。紙は三枚貼ってございました。花屋の板塀に一枚、井戸の枠に一枚、それから宴商会の受付の柱に一枚。柱の一枚だけは、糊ではなく画鋲でとめてございます。
——花嫁専門。半値。承ります。
字はどれも同じでございました。丁寧で、わずかに右上がりで、数字の八の書き出しに癖がございます。
「言ったでしょ。うちの帳付け」
ニナが井戸の枠から一枚剥がして、丸めました。
「剥がしても、また貼るよ。紙なんかいくらでもあるもん」
「はい」
「怒んないの」
「本日は、石工の親方のところへまいります」
◇
ベルト様のお宅は、坂の下の、石の粉で白くなった通りにございました。娘さんはアンネ様と仰います。十六。相手は同じ通りの錠前屋のご次男で、両家とも承知の縁組でございます。婚礼は十一日後。
五日前に、親方ご自身が宿までお見えになりました。娘の式を頼みたいと、そう仰いました。値の話は後でいいとも仰いました。
卓に通されますと、先客がおりました。二十七、八の男でございます。宴商会の帳付けの前掛けをつけたまま、椅子に浅く腰かけております。
「ヤンです。商会の」
「アデルでございます」
「知ってます。看板、読みましたから」
愛想のよい笑い方をなさる方でございました。戸口からニナが入ってまいりまして、ヤン様の顔を見て足を止めました。
「——で? なんでうちの客のとこにいんの」
「ニナ。おまえ、まだそこにいるのか」
「いるよ」
「親御さんが困ってたぞ。うちへ戻れば飯は出る」
「——で?」
ベルト様が、帳面を卓に出されました。
「話を進めてくれ。石を刻む手が止まる」
◇
わたくしは、下見の覚えを開きました。
「卓が十六。客が四十二名。両家の仕来りの写しを突き合わせるのに二日。錠前屋様のお家は、誓いのあとに鍵をお渡しになる作法がおありでしたので、そこの段取りに一日」
「そんなものまで調べたのか」
「昨日、伺ってまいりました。花と灯と献立の手配に四日。前の日と、当日と、後の日」
「長ぇな」
「銀で八でございます」
ヤン様が、椅子の背にもたれました。
「うちは四です」
「四」
「三日で仕上げます。卓と花と楽師、まとめて。写しの突き合わせはやりません。当日、司祭に聞けば済みますから」
「聞いて、食い違いましたら」
「そのときはそのときで。式なんてね、始まってしまえば進むんですよ」
ヤン様は、笑いながら仰いました。
「ゾルドさんも言ってましてね。よそから来た人が、この街の値を吊り上げるのは困ると」
ベルト様が、わたくしのほうをご覧になりました。
「……あんた、四にできるか」
石の粉が、卓の上にうっすら積もっております。奥の戸口にアンネ様が立って、こちらを見ておいででした。
——落とせば、次も四だ。承知しておりました。承知しておりまして、わたくしは口を開きました。
「四で——」
卓に、革の帳面が置かれました。音がいたしました。クレメンス・ドラゴー様でございます。いつからそこにおいでだったのか、わたくしは存じませんでした。
「警固の下見だ。続けろ」
誰も続けませんでした。クレム様は帳面を開いて、卓の隅にご自分の名をお書きになりました。書きながら仰います。
「値切られてんぞ。黙ってると一生その値だ」
「クレム様」
「去年、三日で仕上げた式が四つあった。二つで喧嘩が出た。一つは階段から人が落ちた。俺が止めた」
「四つ目は」
「止められなかった」
クレム様は帳面を閉じられました。
「止める側は、値切られねえ。死人が出るからな。……祝う側だけが値切られる」
ベルト様が、卓の石の粉を手で払われました。
「……八か」
「八でございます」
「高ぇな」
「高うございます」
「あんた、まけないのか」
「まけますと、次の親方も八では頼めなくなります」
親方は、しばらく帳面をご覧になっておりました。それから、そこに一行お書きになりました。
——宴方 アデル 銀八。
ヤン様が立ち上がりました。前掛けの紐を結び直しながら、戸口で一度だけ振り返られます。
「ゾルドさんに、そう言っときます」
ヤン様が出ていかれたあと、奥の戸口からアンネ様が出てまいりました。
「あの、八って、高いんですか」
「高うございます」
「父さん、石を四つ余分に刻むことになると思う」
「はい」
アンネ様は、それから小さな声で仰いました。
「……あたしのに値がついたの、初めてなんですけど」
外へ出ますと、クレム様が塀にもたれておられました。
「なんで四で受けようとした」
「四でも、作れますので」
「作れるのと、受けていいのは違う」
「はい」
「あんた、王都で七年ぶんの式を作って、いくらもらってた」
指を折りかけて、やめました。数えるまでもないことでございました。式典の差配は婚約者の務めでございますので、値というものがございません。値の無い仕事を七年いたしますと、値のつけ方が分からなくなります。
「無給でございました」
クレム様が、塀から背を離されました。
「……道理でな」
「はい」
「言っとくが、俺は親切でやってるんじゃない。三日で作った式の警固は、俺の人手が二倍要る」
「承知いたしました」
「承知するな。高く取れ」
◇
帰り道、ニナが巻紙の筒を担ぎ直しました。
「あんた、いま値がついたね」
「はい」
「この街で、花嫁の仕事に値がついたの、たぶん初めてだよ」
ニナは、坂の途中で石を一つ蹴りました。
「あたしなんかさ、もう値ついてるもん。銀で十二。父さんの借りたぶん」
「はい」
「安いよね。十二だよ。卓十六より安いの、笑うでしょ」
ニナは笑いました。わたくしは笑いませんでした。ニナは、笑わない相手に同じ話を二度はいたしません。そこから先は、坂を上がるだけでございました。
宿の部屋で、鞄を開けました。いちばん底に、紙が一枚ございます。わたくしは、それを竈の火のそばまで持ってまいりました。
他人の一日に八と値をつけた日でございます。その日に、値のつかない紙を一枚持っているのは、帳尻が合いません。
——燃やせば、合う。
竈の口までは、腕を伸ばせば届きます。あとは指を離すだけでございました。火の粉が一つ袖へ飛んでまいりまして、すぐに消えました。紙の端が熱で少し反りまして、それから戻りました。七つ数えるあいだ、そのままでございました。
紙は、火に入れませんでした。鞄の、いちばん底へ戻しました。二度目でございます。
戸を叩く音がいたしました。宿の下働きの子が、書付を一枚置いていきます。婚礼の縁組の写しでございました。
新郎、ヴァルダー様。五十八。新婦、テオドラ様。十八。
わたくしは、指を折りました。四十でございます。
新婦のお名前の下に、生まれた月まで書いてございました。新郎の欄には、生まれた月がございません。爵位と、領地と、通行税の取り分だけが書いてございます。書付をお作りになった方が、どちらを人として数えていらしたかが分かります。
書付の裏に、頼み手の名がございました。新婦の家ではございません。新郎の家でもございません。
仲立ちをした、三つ目の家の名でございました。
銀貨八枚。他人の一日に、初めて値がつきました。ニナの値は銀貨十二枚だそうで、「卓十六より安いの、笑うでしょ」と本人は笑っておりました。笑わないでおきました。
次回、四十歳差の政略婚がまいります。誰も花嫁を見ていない卓で、動かせるのは席を一つだけでございます。




