第7話 喪中の花嫁
この街で喪の色と申しますと、鼠色でございます。黒は棺のもの、鼠は残った者のもの。四十日のあいだは鼠を身につけ、それから一年、戸口に鼠の布を垂らしておく。そう決まっているのだそうでございます。
リーゼ様のお宅の戸口には、まだ垂れておりました。幅は二尺ほど。雨に打たれて、下のほうだけ色が抜けております。中へ通されますと、卓に二人おられました。娘さんと、叔父上でいらっしゃいます。
「あと三百二十日あるって、叔父が言うんです」
リーゼ様は十八でいらっしゃいます。父上を亡くされて、四十日と少し。
「でも、六日後に嫁ぎます」
「ヴァント家でございますね」
「北の、毛織の。父さんが決めた話だから」
叔父上が、卓の上で手を組み直されました。
「値の話でしてな。毛織の値が来年から変わる。今年のうちに縁を結んでおかんと、うちの染めが買い叩かれる」
「さようでございますか」
「兄が生きているうちに調った話です。日を延ばす筋合いはない」
リーゼ様は、そのあいだずっと卓の木目をご覧になっておりました。それから、指を三本立てられました。
「一、白の絹。二、金の帯。三、黒も鼠も、糸一本入れちゃいけない」
ニナが巻紙の筒を肩から下ろして、壁に立てかけました。
「——で? なんで急ぐの。喪が明けてからでいいじゃん」
「毛織の値が、来年から変わるので」
「それ、さっき聞いた」
「二度うかがいました」
「……ふうん」
ニナが、めずらしく先を続けませんでした。
◇
ヴァント家の宴の間へ、下見にまいりました。卓は十二。灯は二十。窓は東に三つで、西日は入りません。よく手入れの行き届いたお宅でございます。差配は新郎の姉上でいらっしゃいます。四十ほどの、話の早いお方でした。
「うちは白と金だ。喪の色は入れない。花嫁の家の不幸を、こちらの祝いに持ち込ませない」
「承知いたしました」
「花は白のみ。菊は入れるな。灯は蝋の白」
「はい」
「それから、亡くなった父御の名は出さん。式次第の花嫁の父の欄は、後見人の名にする。叔父御だ」
「弔いのお話も、なさらないほうがよろしゅうございますか」
「当たり前だ」
「花嫁が家から持ってまいりますものは」
姉上が、こちらをご覧になりました。
「何も。着替えの間に入るときに、全部こちらのものへ替える。髪の留めもだ」
「承知いたしました」
「あんた、王都から来たそうだね」
「はい」
「うちは商家だよ。仕来りが多いのは、そのぶん揉め事が少ないからだ。恨むならご先祖を恨んでくれ」
いただいた写しを、端から読んでまいりました。誓いの言葉。花。灯。席。楽師の曲目。宴の献立。返礼の品。着替えの間の使い方まで書いてございます。よく整った写しでございました。
読み終えまして、数えました。この一日のうちに、父上のお名前が出てくるところ。零でございます。
——つまり、この式に、あの人はいらっしゃらない。
書き足すことはできません。書き足せば、花嫁の家が不幸を持ち込んだことになります。それで困るのは、明日から北の毛織の家で暮らす娘さんのほうでございます。
◇
仕立て屋のオルガ様のところで、帯を見せていただきました。
「ヴァント家の金の帯だね。幅が広いから、締めるのに慣れが要るよ」
「どなたが締められますか」
「花嫁が自分で。あそこは締め方が家の決まりだから、よその女中には触らせないんだ」
「では、稽古が要りますね」
「三度もやれば覚えるさ。……あの子、覚える気があるかね」
わたくしは、帯を裏返していただきました。裏は生成りの木綿でございました。締めますと内側になって、腹に当たります。表からは、糸一本見えません。
「こちらは、どなたがご覧になりますか」
「裏だよ。誰も見ない」
「決まりは、ございますか」
オルガ様の手が止まりました。
「……裏地の決まりなんて、聞いたことないねえ」
——決まりの無いところが、一つ見つかった。
リーゼ様のお宅へ戻りまして、お尋ねいたしました。
「父上のお召し物で、まだお手元にあるものはございますか」
「外套が一枚。……捨てられなくて、物置に」
「拝見してもよろしゅうございますか」
物置は階段の下の、狭いところでございました。外套は釘に掛けてございます。染物屋のお召し物でございますので、袖口に藍が入っておりました。何年洗っても落ちなかったのでございましょう。
「裏地は、何色でございますか」
リーゼ様が、裾を返されました。それから、少し黙ってから仰いました。
「鼠色」
「一寸四方、いただけますか」
「……なんで」
「帯の裏へ、縫っていただきます」
娘さんが、口を開けたまま動かなくなりました。
「表からは見えません。締めれば内側になります。どなたにも見えません」
「見えないなら、意味ないじゃない」
「お腹に、当たります」
リーゼ様の手が、外套の裾を握りました。
「一日、当たっております」
オルガ様は、裾の内側から一寸四方をお切りになりました。目の詰んだ、よい布でございます。切り口がほつれませんよう、細かく縁を伏せてくださいました。
縫い付けますのは、帯の裏の、結び目の下でございます。締めますと、ちょうど臍のあたりに参ります。縫い目は十二針。糸は生成りを使っていただきました。
表へ響きませんよう、針は帯の地の目の一本を拾うだけにいたします。オルガ様は針を持つ前に、指先を三度、前掛けで拭かれました。
「これ、ばれない」
「ばれません。裏地に決まりは、ございませんので」
その晩、リーゼ様は帯を三度お締めになったそうでございます。
◇
式は、ヴァント家の仕来りどおりに進みました。白の絹。金の帯。菊は一輪もございません。花嫁の父の欄は、叔父上のお名前でございます。通路をお歩きになるとき、右手を取られたのも叔父上でございました。
誓いの言葉は新郎から。返礼の品は先方の家の紋のもの。楽師の曲目も、写しのとおりでございます。着替えの間で、帯はご自分でお締めになりました。決まりでございますので、わたくしも戸の外におりました。
中で、布のこすれる音が二度いたしました。二度目で、音が止まりました。それから、戸が開きます。誓いのあと、新郎の姉上がリーゼ様の肩に手を置いて、小さく仰いました。
「笑いなさい。今日はめでたい日なんだから」
リーゼ様は笑われました。それから、右手を帯へ持っていかれました。宴のあいだに、リーゼ様が帯へ手をやられたのは、七度でございます。どなたも気づきません。締め具合を直しているように見えますので。
七度目のときだけ、少し長うございました。楽師が曲を替える合間で、間が空いたのでございましょう。その七度のうち、二度は笑っておられるあいだでございました。
宴が終わりまして、着替えの間の外でお会いいたしました。
「お客さん」
「はい」
「うち、戸口の布、外さないまま嫁ぐんです」
「はい」
「持っていくもの、無いと思ってた」
リーゼ様は、それだけ仰って中へ戻られました。坂を下りますと、看板の下にニナが立っておりました。手に紙を一枚持っております。
「あんたの看板さ」
「はい」
「同じの、下の通りにもう一枚あった」
紙には、こう書いてございました。——花嫁専門。半値。承ります。
字は、たいへん丁寧でございました。
「筆跡、うちの商会の帳付けと同じだよ。あたし、あれ十回は見てるもん」
ニナが、わたくしの顔を見上げました。
「——で?」
花嫁が帯へ手をやった回数を数える話でした。七度でございます。数えていたのはアデルだけで、宴の席では誰も気づきません。この作品は、だいたいこういう数え方で進みます。
次回、その看板が、下の通りに写されておりました。半値だそうです。字は、たいへん丁寧でございました。




