↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「真実の愛と結婚する」と仰るので、王太子殿下の結婚式はご自分でどうぞ 〜式典をすべて整えていた元婚約者は、隣国で花嫁専門の祝宴師になります〜  作者: 晴海このみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/30

第4話 宴方の座

 宴商会の建物は、坂を上がって三つ目の角にございました。石造りの二階建てで、扉に鉄の輪が二つ。中は思ったより広うございます。帳場が三つ、待ちの椅子が九脚。壁に組数の札が掛かっており、今年に入って組まれた婚礼の数が墨で書き足されてまいります。


 わたくしは八番目でございました。待っておりますあいだに、鐘が四度鳴りました。低いのが二つ、高いのが三つ。四度でございますから、この半日で四組が誓ったのでございましょう。この街の人は、やはり誰も顔を上げません。順が回りまして、真ん中の帳場へ参りました。


「宴方の座を、いただきに伺いました」


 帳場の男は三十半ばで、指の腹に墨がついておりました。名は札に出ております。マイエル、とございます。


「登録ね。じゃあ、四つ言うから聞いて」


 男は紙を一枚、指で滑らせてまいりました。


「一、公国の民籍。二、この街に三年住んでいること。三、座を持ってる宴方が二人、裏書きすること。四、見習いの年季が五年」


「民籍は、ございません」


「うん」


「三年も、ございません。四日でございます」


「うん」


「裏書きも、年季も、ございません」


「じゃあ、無理だね」


 早うございました。話が速いのは、悪いことではございません。


「実績を、ご覧いただくことはできますか」


「実績」


 わたくしは巻紙を一本、卓に置きました。二年目の秋の、王城の宴のものでございます。厚みは指一本ぶん。この束のなかでは薄いほうでございます。


 マイエル様は、片手で広げました。広げて、それから、もう片方の手も添えました。卓の端から紙が垂れて、床につく前に、手が止まりました。


「……これ、あんたが書いたの」


「はい」


「一人で?」


「はい」


「客は」


「その年は、九百二十名でございます」


 男はしばらく黙って、指で一行をなぞりました。返礼の届いていない家の印のところでございます。ちょうど、国境の関で同じ場所を見た方がいらっしゃいました。それから、巻紙をゆっくり巻き戻して、こちらへ押し戻しました。


「——三年住んで、裏書き二枚な」


「では、裏書きをくださる方を、ご紹介いただけますか」


「……それは、うちの仕事じゃない」


「どちらの仕事でございましょう」


「上が、決めることだ」


 男は次の札を手に取りました。九番の方が椅子から立ち上がっております。——要件の話では、ない。


 わたくしは頭を下げて、外へ出ました。階段は十一段。上がるときは数えておりませんでしたので、下りながら数えました。


    ◇


「あのさ」


 扉を出て三歩目で、袖を掴まれました。背丈はわたくしの胸のあたりまで。前髪が目にかかっております。肩に式次第の巻紙を、筒ごと担いでおりました。細い肩に、筒だけが立派でございます。


「あの人たち、あんたが女だからじゃなくて上手いから断ったんだよ。分かってる?——で? 次どうすんの」


 一息でございました。


「……どちら様でいらっしゃいますか」


「ニナ。見習い。四年目」


「宴方の、でございますか」


「そう。使いっ走り。巻紙運ぶの。あたし、字は読めないけど、卓の数なら数えられるから。——で?」


 ニナさんは筒を担ぎ直しました。担ぎ直すたび、前髪が跳ねます。


「あんたが巻紙出したとき、マイエルさん、手ぇ止まったでしょ。あたし、そこの階段から見てたもん。あの人、手が止まったら困ってるときなの。困ってないときは止まんないの。あと三年って言われたでしょ。あれ嘘だからね。去年、川向こうから来た男の人、半年で座もらってたし。だからあれは、住んでる年の話じゃないの。——で? 次どうすんの」


「ずいぶん、お詳しゅうございますね」


「四年いるもん」


 ニナさんの筒には、紐が二重に巻いてございました。運び慣れた結び方でございます。


「先に、伺ってもよろしゅうございますか。なぜ、わたくしに教えてくださいますか」


「マルタの婚礼、あんたでしょ」


 ニナさんは、こともなげに仰いました。


「昨日、坂の上の聖堂。噂になってるよ、あの子ずいぶん機嫌よかったって。宿の裏で靴脱いで座ってたって。あの家、あんまりいい話じゃなかったからさ、みんな、あれ何、って言ってる」


「機嫌のよい花嫁は、珍しゅうございますか」


「珍しいよ」


 言い切られました。


「……いいなあ。あたしのときは、そういう噂、たぶん立たないんだろうな」


「ご予定が」


「うん、来年。親父が借りた金の形。相手はまだ見てない。名前も聞いてない。まあ、見なくても嫁ぐんだけどね」


 ニナさんは、そこだけ早口に、笑いながら仰いました。笑い方が上手でございました。この街には、笑い方の上手な娘さんが多うございます。


「——で? 次どうすんの」


    ◇


「宴警固頭のとこ行こ。あの人なら口きける」


 ニナさんは、わたくしの返事を待たずに坂を下りてまいりました。港の倉の前に、その方はいらっしゃいました。革の胴着に公国の紋。荷の札を検めております。


「登録は無理だ」


 まだ何も申し上げておりません。


「……お耳が早うございますね」


「商会に朝から他所者の女が座を取りに来たって話は、昼には港まで来る」


 クレメンス様は札を検め続けたまま、こちらを見ずに仰いました。


「で、なんで俺のところに来た」


「あたしが連れてきたの」


「聞いてないぞ、ニナ」


「言ってないもん」


 クレメンス様は札を束ねて、脇へ寄せました。


「言っとくが、俺は宴方じゃない。裏書きはできん」


「はい」


「座もやれん」


「はい」


「……」


 しばらく、荷の匂いだけがしておりました。港の荷は、この街ではたいてい花か酒か布でございます。


「一件ごとの届なら、警固の名簿に立会人の欄がある」


 クレメンス様が、面倒くさそうに仰いました。


「当日、卓に近づけていい人間を書く欄だ。座じゃない。札でもない。式が終われば消える。一日ぶんだ」


「充分でございます」


「充分じゃねえよ。金にならん」


「一日ございましたら、一点は変えられます」


 クレメンス様が、そこで初めてこちらを向きました。


「……分かってると思うが、俺がその欄に人を書くってのは、その人間が何をしても俺の責任になるってことだ」


「はい」


「めでたい席ってのは、一番人が死ぬ席だ。刃物は卓の上に並んでるし、酒は入るし、恨みのある家同士が同じ部屋にいる。だから警固がいる」


 それから、腰の帳面を取り出しました。


「名は」


「アデルでございます」


「家名の欄がある」


「では、空けておいてくださいませ」


 クレメンス様は、そこを空けたまま筆を止めて、二度ほど指で叩いて、結局そのままにいたしました。


    ◇


 その夜、銀の梯子亭の卓に、巻紙の筒が一本置かれました。


「はい、これ」


 ニナさんが、担いできた筒をそのまま卓へ寝かせました。宿の食堂には、まだ婚礼の名残の卓布がかかっております。


「明後日の式の。届け先の人が留守でさ、明日でいいって言われたんだけど、あたし持って帰ると親父が中身売るから」


「売る、でございますか」


「よそに。式次第って、けっこう売れるの。同じ日に別の式やってる人が、卓の数と楽師の名前だけ知りたいから」


 この街の商いの機微を、一つ教えていただきました。


「……ねえ、これ何が書いてあるの」


「お読みしてよろしいのですか」


「あたし読めないもん。読んで」


 わたくしは、巻紙を広げました。短うございました。指一本ぶんもございません。


 ベルネ家の婚礼。日は明後日。聖堂は港の側の大きいほう。花は白と青、卓は十四、楽師は四名。誓いのあとに杯を三度。署名の欄が、四つございました。花婿。花婿の父。婚家の代理人。司祭。


 わたくしは、頭からもう一度読みました。新婦。新婦。新婦。


 十九ございました。名前は、一度もございませんでした。


「どうしたの。——で?」


「ニナさん。この方のお名前を、ご存じですか」


「知らない。染物屋の下の娘、としか聞いてないよ」


 わたくしは巻紙を巻き戻しながら、もう一度だけ数えました。新婦、十九。


 名前、零。


 二人目の花嫁は、式次第から名前が消えておりました。

式次第が売り物になる街です。卓の数と楽師の名前だけでも、同じ日に式を挙げる家には値がつきますので。ニナが「持って帰ると親父が売るから」と担いできたのは、そういう紙でございました。


次回、その紙をもう一度読みます。新婦の名前が、一度も書かれておりません。アデルは、花嫁のほうへまいります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。