第39話 消された三つ目
三つ目は、二百六十一の条でございました。
——輿の前を歩く者は、六名とする。
六名の内訳は、別の紙に書いてございます。式部方が二名、公宮の女官が二名、宴商会が一名、両国の使節から一名。家格の順でございます。
ヴィオレッタ殿下は、その紙を長くご覧になっておりました。
「六人とも、わたしが名前を知らない人です」
「はい」
「顔は見たことがあります。名前は知りません」
殿下は、覚書に指を置かれました。
「二百六十一には、六名としか書いてありません」
「はい。誰を、とは書いてございません」
「じゃあ、一人だけ、わたしが決めていいですか」
「六名のうち一名を、殿下がお決めになる。そのように書きます」
「ズーゼ」
「はい」
「庭の東の花壇を、二十年、世話していた人です。去年、腰を痛めて公宮を下がりました。街の下のほうに住んでいます」
「お名を、よくご存じでいらっしゃいますね」
「六人のうちの誰よりも、長く見ています」
わたくしは、書き取りました。
——二百六十一の二。輿の前を歩く六名のうち、一名は花嫁の定めるところによる。
◇
書面は、その日の夕方に式部方へ回しました。
翌朝、綴りを検めますと、二百六十一の二がございませんでした。
二百六十一の次は、二百六十二でございます。紙は綺麗でございました。塗り潰した跡も、線を引いた跡もございません。
差し替えでございます。
わたくしは、紙を灯に透かしました。透かしますと、繊維の目が見えます。二百六十一の紙と、二百六十二の紙は、目が揃っております。同じ抄きのものでございます。ということは、綴り全体を新しく写し直したのでもなく、この一枚だけを新しく足したのでもございません。もともと綴られていた元の紙を、そのまま戻したのでございます。
わたくしの書いた一枚は、抜かれて、どこかにございます。
抜かれた紙のことを、殿下には申し上げませんでした。申し上げますと、四つ目をお決めになりにくうなります。
「典礼監ラウフ様に、お目にかかりたいのでございますが」
ラウフ様は、記録の間におられました。壁の三面が綴りでございます。四面目に窓がございまして、その前にお立ちでございました。
「昨日の書面が、綴りから抜かれております」
「さようでございますか」
「典礼監のお手によるものでございましょうか」
「私が抜きましたなら、抜いたと書きます」
ラウフ様は、机の上の綴りをお開きになりました。開いたところに、横線が一本引いてございます。線の脇に、小さな印。
「私の消し方は、これでございます。線を引き、訂正の印を押し、いつ誰が何を根拠に消したかを、下に書く。四つ揃って初めて消したことになる。四つ揃わぬものは、消しではございません」
「では、昨日のものは」
「消しではございません」
ラウフ様は、眼鏡の位置を直されました。
「無かったことにされたのでございます」
その言い方に、少しだけ、含みがございました。この方は、無かったことにされるのがお嫌いでございます。
「典礼監は、それをお認めになりますか」
「認めるも認めないもございません。記録に無いものについて、私は何も申し上げられません。私が申し上げられますのは、記録にあるものだけでございます」
「はい」
「ですので、ヴェルスハイム殿」
ラウフ様が、初めて家名でお呼びになりました。
「あなたの受任の書面は、家名の欄が空いております。空欄は、記録としては不備でございます。不備のある書面によって記された条は、いずれ、無かったことにしやすうございます」
「脅しでございますか」
「手順の説明でございます」
◇
その日のうちに、もう一度書きました。
同じ文で、同じ番号でございます。二百六十一の二。書いて、式部方へ回しました。
翌朝、また抜かれておりました。
三度目を書きました。今度は、書く前に一枚、写しを取りました。写しは、わたくしの帳面に綴じました。
四度目のとき、ニナが横で見ておりました。
「それ、無駄じゃない」
「無駄でございます」
「じゃあなんでやるの」
「無駄だと分かる形にしております」
わたくしは、帳面をニナに見せました。四枚の写しが並んでおります。同じ文が四つ。日付が四つ。回した刻が四つ。
「あんた、これ集めてどうすんの」
「消える速さを見ております」
「速さ」
「一度目は、翌朝でございました。二度目も翌朝。三度目は、その日の夕方には無くなっておりました。四度目は、回して半刻で戻ってまいりました」
ニナが顔を上げました。
「……速くなってる」
「速くなっております。速くなりますのは、慣れたからでございます。慣れましたのは、同じ方が同じ手つきでなさっているからでございます」
「何人でやってると思う」
「お一人でございます」
「なんで分かるの」
「二人でなさいますと、速さが揃いません。人には、それぞれ手の速さがございます。この四度は、だんだん速くなっております。だんだん、というのは、一人の手の癖でございます」
ニナは、帳面の四枚を順に指でなぞりました。
「あんた、こういうの、王都でもやってたの」
「王都では、抜かれる紙がございませんでした」
「なんで」
「誰も読みませんでしたので」
ニナは、そこで何か言いかけて、やめました。
◇
五度目の書面は、綴じずに、式部方の卓へ置いておきました。
半刻後に見にまいりますと、紙はございませんでした。かわりに、卓の上に紙屑がございました。折って、また開いた跡のある紙でございます。
わたくしは、その折り目を見ました。
紙を抜く方は、抜いた紙を折ります。折り方は、人によって違います。四つに折る方、二つに折る方、丸める方。この紙は、上から三分の一のところで一度折って、それから下から三分の一を重ねてございます。三つ折りでございます。
書付を三つ折りにいたしますのは、袖に入れるためでございます。袖に入れて、人に見られずに運ぶためでございます。
——公宮で、袖の広い服をお召しになる方は、そう多くございません。
わたくしは、その紙屑を帳面に挟みました。挟んで、日と刻を書きました。証しにはなりません。折り方は、書いてみたところで、誰の折り方とも申せません。ただ、次に同じ折り方が出てまいりましたときに、二枚目になります。
帰りに、階段の途中で女官の方とすれ違いました。
あの日、大公妃陛下のお言伝を運んでこられた方でございます。書付をお持ちにならなかった方でございます。
その方は、こちらをご覧になりませんでした。ご覧にならないというのは、こちらをご存じだということでございます。知らない者の前を通ります方は、たいてい一度は目を上げられます。
坂を下りますと、宿の前に古い方が二人、並んでお立ちでございました。
六十八におなりの女の方と、七十二におなりの男の方でございます。二人とも、いちばんよい上着を着ておられました。よい上着というのは、袖の擦れていない上着のことでございます。着ていない年月のぶんだけ、新しゅうございます。
「祝宴師さん。……笑わないでくださいね」
「はい」
「四十年、いっしょにおりまして。式を、まだ挙げてないんです」
消された条を数えても、条は戻ってまいりません。ただ、消される速さと、折り方は残ります。残るものだけを集めておりますと、そのうち手つきが見えてまいります。
次回、四十年連れ添ったご夫婦の、初めての婚礼でございます。客を呼べない式で、戸だけを開けます。




